31話 藤色の魔女


「私の縄張りで暴れてくれたのはあんたね?」


 風がないにもかかわらず、長い髪をなびかせその女性は言い放った。

 美しい女性の声は、聞くものに恐怖を与える何か含んでいた。

 刺すような冷たい眼光が、こちらに突き刺さる。


 周りを取り囲むのは薄紫色の渦。

 藤の花吹雪だった。


「………………ぁっ……ぁ……」


 何か喋ろうとしたが、舌が回らない。

 この女性に見覚えがあるのに、誰かがわからない。

 俺はただ、手を伸ばし、喉から意味の通らない呻き声だけを漏らしていた。

「ん?」とその女性の視線がこちらに向いた。


「あら? ゴメンゴメン。喋れなかったのね」

 ふっと笑みを浮かべ、その女性はこちらを指差した。




 ーー白魔法・精神分析




「くっ……」

 頭の中が澄み渡っていく。

 これまでの記憶が一気に鮮明になっていく。

 おかしな儀式に巻き込まれ、この奇妙な世界に迷い込んで…………アカネとユキナは、心配していないだろうか?

 気になることはたくさんある。

 が、今は目の前の問題だ。


 俺は正面に立っている薄紫色のワンピースを着た美しい女性に目を向けた。

 あの喫茶店の店長さんだ。

 確かもらった名刺に書いてあった名前はーー藤色ウィステリアの魔女メアリーさん。

 そして、世界に72人しかいない本物の『魔女』。


 俺を助けに来てくれた……のか?

 その時だった。

 



 ーーオオオオオオオオオオオッ!!!!



 

 獣のような声が、後ろから響いた。

 

「神様?」

 いつもとぼけたような表情だった神様の目が見開き、煌々と不気味に輝いている。


「ルアアアアアアアッ!!!!」

 咆哮と共に、空中に歪んだ黒い剣が何百本も現れた。

 その全てが、魔女メアリーさんへ向かう。


「あ、危ないっ!」

 俺は叫んだが、メアリーさんはつまらなそうな視線を向けるだけだった。


「神を名乗っておいて『準・神級』にも満たない魔法しか扱えないなんて……」

 数百本の黒剣がメアリーさんを貫いた。

 と思った時には、その姿は丸太に変わっていた。


(う、空蝉の術!?)

 魔女メアリーさんは、忍者だった!?

 アホなことを考えている間に、地面から次々に巨大な樹木が生えてきた。

 

「世界樹、そいつが餌よ」

 嘲るような声がどこからか、聞こえてくる。


「アアアアアアアアアアアアアア!!!!!」

 神様が雄叫びを上げ、未だ成長を続けている大木の一つを黒い剣で斬りつける。

 が、切った端から根が伸び神様の身体を締め上げていく。

 まるで触手のように、木の根が動いている。


「グッ…………何ダ……コレハ……?」

世界樹ユグドラシルの挿し木、そんなことも知らないの? まぁ、いいわ。ここで滅ぶあなたには関係ないものね」

「……ハナセッ!!」

 神様が根から逃れようとするたびに、返って締め付けられているようだ。

 それだけではなく、木の根が絡まるたびに神様が弱っているような……。

 まるで、木の養分として吸い取られているかのように。

 


 ーーオオオオオオオオオオオッ!!!!


 

 再び、獣のような咆哮が響き、空中に数百の黒剣が現れた。

 神様を縛り上げている木の根を切り裂こうとものすごいスピードで、迫る。

 が、届かない。

 全ての黒剣が、砕かれた。


(これが魔女メアリーさんの魔法……?)

  

 圧倒的だ。

 危なげもなく、神様の攻撃の全てを無効化していく。 

 反対に、神様が何をしようとも全て防がれ、やがて打つ手が無くなった。


 最後には、何もなかった場所に一つの『森』が出来上がっていた。

 そして、目の前には木の根に縛られ宙吊りにされ、動かなくなった神様がぐったりとしていた。



「じゃ、これでお終いね」



 そう言う魔女メアリーさんの手には、一本の木の杖が握られていた。

 いや、杖じゃない。

 槍だ。

 白い木製の長い槍だった。

 その槍は、3メートルほどもあり人が持つには長過ぎるように思えた。

 先端は2つに分かれた奇妙な形をしていた。


「……ク!」

 神様は逃れようともがくが、身体を雁字搦がんじがらめされている。


「聖槍のレプリカ…………。品質はB級品だけど、あなたくらいの低位の神格にはちょうどいいかしら……。それじゃあ、さようなら」

 魔女メアリーさんが、その長過ぎる槍を投槍の選手のように構える。

 数秒後には、神様はその槍に貫かれるだろう。


「…………」

 神様がこちらを見ている。

 すがるような目で、こちらを見つめていた。


「待ってください! メアリーさん!」

 気がつくと俺は、神様と魔女メアリーさんの間に立ちふさがっていた。


「……邪魔なんだけど?」

 冷え冷えとする声が返ってきた。


「どうして邪魔するの? 私はあなたを助けに来たのよ?」

「神様を殺す必要は、ありませんよね?」

「あるわ」

 断定され、言葉に詰まった。


「なぜ、……ですか?」

「そいつが私の縄張りで召喚されたからよ。そんな低級の神格に好き勝手させたとあっては、私が他の魔女になめられるの。だから、そいつは殺す。おわかり?」

 口調は軽い。

 まるで駄々っ子をたしなめるような。

 それでいて、これ以上無駄口を聞けば俺ごと殺されるような気すらした。


「それでも、殺さないでください」

「ふーん…………、まだ言うの?」

 ザク、と槍を地面に突き刺し、腕組みをした魔女さんがこちらにやってきた。


「キミ……ハ……」

 俺がちらっと振り返ると、神様がいつものようなきょとんとした目でこちらを見ていた。

 少しだけ、驚いているような顔だったが、彼女の感情は分かりづらい。

 いつも無表情だったから。


「こいつのせいで大勢死んだわ。あなただってここに連れ込まれて、もう少しで死ぬところだったのよ?

「でも、俺の話し相手になってくれました……。俺の精神がもたなかったのでさっきは口がきけないほど弱っていましたが」

「私がこいつを殺せば、この世界自体が無くなる。今後あなたのように迷い込んでしまう人も居なくなる。そのほうがいいでしょ?」

「でも、そもそも神様を呼び出したのは変な教団の都合で……神様は願いを叶えてくれようとしたんです。だから殺すなんて……」

 俺は必死で訴えた。

 数日、いやどれくらいの期間なのかは定かではないが神様と二人っきりで過ごして、ここで殺されてしまうというのはどうしても忍びなかった。


「ま、言いたいことはわかったわ」

 わかってくれたのだろうか?

 俺がほっと一息、付きかけたその時。


「なっ!?」

 俺の身体に、神様を縛っているような木の根が巻き付いてきて、一瞬で身体の自由を奪われた。

 俺は地面に這いつくばるような体勢になった。

 コツコツと足音が響く。

 

「私ね、命令をされるのがこの世で一番キライなの」

「メアリー…………さん?」

 ごくりと、つばを飲み込む。 

 メアリーさんの目には、親しみや優しさの気配は一寸も無かった。

 

「どうして、私があなたのいうことを聞かないといけないのかしら?」

 俺を見下ろす目は、氷のように冷たい。

 次の言葉を間違ったら、俺ごと殺されそうな。

 そんな予感がした。


 なんて言えばいい……?

 単にお願いするだけだと、聞き入れてもらえなさそうだ。

 俺は少しだけ迷った末、口を開いた。




「そりゃあ、常連客の頼みくらい聞いてくれてもいいじゃないですか? 店長」





 俺がぼそっと言うと、魔女さんがきょとんとした表情になった。

 ま、間違ったか!?

 下からお願いをしても無理そうだったから、横からいってみたが……馴れ馴れしかった?

 ドキドキと心臓の音がうるさい中、魔女メアリーさんの反応を待った。

 最初に少し驚いた顔をした彼女は、その後何かを思い出したかのように眉をひそめている。


「そういえば、あなたにはコーヒーを泥水呼ばわりされたんだったわね…………」

「いえ、そんなことは……」

 正確には泥水のほうがマシ、という感想である。

 人生で出会った中で、一番不味いコーヒーだった


「ひ、酷い! そこまで言わなくていいでしょ!」

「あ、あれ?」

 口に出してないよな?

 心読まれた?


「許せないわね……」

 魔女さんは爪を噛みながら、ぶつぶつ言っている。

 謝ったほうがいいのだろうか?


「あのー……」

 俺が恐る恐る声をかけると、魔女さんはキッとこちらを睨んだ。



私の息子あの子も、あなたのこと気に入ってるし、見逃してあげるわ! ふん、運が良かったわね、名のない神もどき!」

 魔女さんが言うや、俺と神様を縛っていた木の根がしゅるしゅると解けた。

 一本の小さな小枝が魔女さんの手に握られている。


「…………」

「…………」

 俺は解放された。

 少し離れた位置で、神様もぽかんとしている。

 た、助かった……のか?


「ほら、帰るわよ、少年」

 魔女さんが俺の手を引っ張った。

 次の瞬間、その周りに花吹雪が渦巻き始める。


「私、空間転移は苦手なの。手を離したら、次元の狭間に取り残されて今度こそ二度と戻れなくなるから。気をつけてね」

「は、はい!」

 その言葉に、ぎょっとして俺は魔女さんの手を強く握った。

 こ、怖すぎる。

 絶対に手を離さないからな。


 その時、視線を感じた。

 俺の方を見る黒い影があった。

 俺を見つめる紅い目は、少し寂しげだった。 


「さようなら、神様」

「…………アリガトウ」

 最後に聞こえてきたのはこんな言葉だった。


 次の瞬間光に包まれ、俺は意識を失った。




 ◇




 目を覚ますと真っ白な天井が目に飛び込んできた。


 起き上がろうとして、自分の身体中に管のようなものが刺さっていることに気づく。

 すぐ隣では、心拍音を図る機械が稼働していた。

 ここはどこだろう。

 部屋の設備的には、病院のようだが……いわゆる集中治療室ICU、だろうか? 


「患者が目を覚ましました」

 頭上から看護師らしき女性の声が聞こえた。  


「だから、言ったでしょ。大げさなのよ、ほらもう連れて帰るから」

「いけません、メアリー様。異世界へ迷い込んだ者は数日間の経過観察が必要と決まっています」

「面倒くさいわねー、あんたたちはいつも」

「そう言われましても……規則ですので……」

「ソウタくんに会わせてくださいっ!」

「大丈夫よ、アカネ。最初は精神崩壊しかけてたけど私が直しておいたから」

「全然、安心できないんですけどっ!?」


 数名の話し声が聞こえてきた。

 そのうち、一人はよく知っている女の子の声だ。

 アカネ……心配かけたみたいだな。

 謝らないと。


 俺は大きく息を吐いた。



 ……どうやら、俺はもとの世界に戻ってこれたらしい。

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