30話 XXの世界

◇ユキナの視点◇


「え?」

 私はソウちゃんが黒い水に呑みこまれるのを呆然と見ていた。

 

「ソウタ……くん?」

 アカネちゃんが、ふらふらと魔方陣の中央に向かって歩く。


 カラン、と何かが地面に転がった。

 ソウちゃんのスマートフォンが、アカネちゃんの足に当たったのだ。

 それをアカネちゃんは拾い上げ、「あぁ……」と言って、その場にうずくまった。


 私は魔方陣の中央を確認した。

 そこには、砕けた魔法石があるだけ。

 さっきまでの化物は、どこにも居なくなっている。



 ――そして、ソウちゃんの姿も。



「ソウちゃん……?」

 私は周りを見回し、呼びかけた。


「ソウちゃん……、どこに居るの?」

 わかっている。

 さっき目の前で、黒い水に呑みこまれていったのだ。

 倉庫内を探したって、見つかるはずが無い。


「そ、ソウちゃん……や、やだなー、隠れてないで出てきてよ……」

 私は白々しい声を上げる。

 声が震える。

 

「そ、ソウちゃーん……どこー……?」

 私は言葉を発し続ける。


 そうしないと、怖くて、怖くて、……。


「あ、アカネちゃ……」

 私は振り返って親友の顔を見た。


「…………」

「…………」

 アカネちゃんと目が合った。




 ――




 とは、言わなかった。

 アカネちゃんは何も言わない。

 虚ろな目で、こちらを見つめるだけだった。 


「っ!?」

 私は、反射的に目を逸らした。

  

(私の所為だ……)

 

 馬鹿なことをした。

 ここに居た人たちと一緒。

 

 私も生き返れるんじゃないか……、そんなありもしない幻想にすがって、信じてもいない神様に頼って……罰が下った。


 私は、大切な人を失ってしまった。


 倉庫内は静寂が支配して。

 アカネちゃんの嗚咽だけが響いた。

  



◇ソウタの視点◇




 ――真っ暗な海の中を深く、深く、沈んでいく。




 強いて表現するなら、そんな感じだろうか。

 長い長い下降の後、気が付くと俺は見知らぬ場所で倒れていた。


 閉じていた目を開いた瞬間、奇妙な景色が広がっていた。

 原色のペンキを、至る所にぶちまけたような奇抜な空間。

 地面も天井も、この世の者とは思えない場所。

 ずっと見ているだけで、頭がおかしくなりそうな風景。

 

(落ち着け……)


 息を整える。

 ここに空気はあるのだろうか。

 不安だったが、とりあえず息はできるようだ。


 どこまでも広がる狂気的な景色。

 何か、誰か、居ないのだろうか……。

 見渡しても、人どころか、虫一匹、植物すら生えていない。


 人間が生きていける場所とは思えなかった。

 こんな所に居続けると、気が狂ってしまう……。

 じんわりと、背中を汗が伝った。


(どうすれば……)


 途方にくれていた時だった。


 背中を蟲が這ったように、ぞくりとした。

 何者かのおぞましい気配を感じた。 

 反射的に振り返る。


 目の前に――、肌も髪も全てが漆黒の何者かが立っていた。

 長い地面まで届いている髪から、女性なのだろうか。

 全身が黒いその女性は、眼だけがギラギラとした赤い瞳だった。 


 それと目が合った瞬間、全身から汗が噴き出した。

 脳みそを釘で何度も刺されたような、頭痛に襲われる。

 

 ……落ち着け。


 師匠に習った精神統一方法で、無理やり心を静めた。

 そして、素手で何とかなるとは思えなかったが身体に染み付いた動きで、俺は構えた。

 いつ襲われるかと、心臓がバクバクいっていたが、目の前の相手は一向に襲って来ない。


 ……なんだ?


 よく見ると、その黒い怪物は不思議そうにこちらを見ていた。


「…………」

「…………」

 俺がそいつの怪訝な眼を見つめると、相手もこっちを見つめている。  

 一分ほど、見つめ合っていたが埒が明かないと気づいた。

 俺は構えを解いた。


「あの……」

 恐る恐る話しかける。


「君ハ……サッキノ人間カ」

「!?」

 喋った!?

 言葉が、通じる……のか?

 

「……さっきの?」

「私ガ……ソチラノ世界ニ居ルタメノ媒介ヲ、砕イテクレタ人間ダロウ? オカゲデ戻サレテシマッタヨ」

「?」

 混乱しつつ、記憶を掘り起こす。


 媒介を、砕いた……?

 俺が砕いたのは、魔法石で。

 魔法石は、あの怪物を呼び出すためのアイテムだった。


「ってことは、あなたがさっきの怪物!?」 

 っと、思わず口に出してしまった。

 

「怪物トハ言ッテクレル……。一応、ワタシハ君タチが神トヨンデイル存在ダガ……」

 目の前の彼女は、苦々しい笑みを浮かべた。


「こ、これはとんだ失礼を……」

 今更な気がするが、俺は詫びた。


「カマワヌ……ココハ棄テラレタ世界。ワタシハ棄テラレタ神ダ……」

「棄てられた神……?」

 よくわからないが……。

 神様が捨てれるなんてことがあるんだろうか?


「誰カラモ信仰サレヌ神ニ、存在ノ意義ハナイ。ココハソノヨウナ存在が辿リ着ク場所……」

「…………」

 聞き取り辛い声だが、その声からあまり元気が無いように思った。

 そして、突然襲われるような心配はなさそうだ。

 改めて周りを見渡す。


 この場所は神様の世界らしい。

 そして、どう見ても人間が生きていける場所ではない。

 改めて焦燥感が押し寄せてくる。


「オマエヲ元ノ世界ニ戻シテヤリタイガ……」

「で、できるんですか!?」

 神様の言葉に、期待を込めて大声を上げてしまった。


「残念ダガ、私ニハソノ力ガ無イ……」

「……そうですか」

 期待した分、落胆も大きかった。


「ダガ、イズレ君ノ居タ世界ノ者ガ、私ヲ呼ビ出スカモシレナイ。ソノ時ニ一緒ニ出レバヨイ……」

「はぁ……」

 連れてってくれるらしい。

 優しい。

 この神様の言葉を信じるなら、悪い神様じゃない。

 だったら、なんであの倉庫ではあんなことを……。 


「私ハ願イヲ叶エヨウトシタノダガナ……。チカラガ足リナカッタ。生キ返ラセルト言ッテモ、私ノ眷属トシテ復活サセルクライシカ出来ヌ神ダ、私ハ」

「え?」

 耳を疑った。

 今、何て言った。

 願いを叶えようとした?

 倉庫に居る人たちを喰い殺そうとしたのではなく?


「違ウ……私ハ……救オウトシタ……信仰ノタメ……」

「そ、そうだったんですか……」

 とてもそうは思えなかったけど。


「私ハ……失敗シタ……」

 心なし、しょんぼりしているように見てた。


「神様……」

 気の毒に思った。


 よく考えると、普段は信仰もしていないのにいきなり呼び出されて願いを叶えろって言われたのか。

 それでも、神様なりになんとかしようとしてくれたと。


「俺はどうすれば、いいですか?」

「ココニ居テモ良イ……ダガ……」

「そうですか」

 なら、助けが来るのを待つしかないか。

 



「君ノ精神たましいハ持ツダロウカ……」




 ぽつりと神様が言った言葉の意味が、理解できなかった。

 その時は。




 ◇




 ――ここに来てから、どれくらい経っただろう


 ここには時間の概念が無い。


 昼と夜が無い。


 腹は減らないし、喉も乾かない。


 だから、死ぬことは無い。


 が、何もできない。

  

「大丈夫、カ……?」

「…………は……い」

 たまに会話をしていた神様との話題も尽きた。


 彼女……神様は、ずっとここに居るらしい。


 俺の居た世界とは違う宇宙、違う次元の世界。


 何でもこの世には、沢山の神様が居て、偉い神様、強い神様、弱い神様、狡賢い神様、そして彼女のように忘れられた神様。


 いつか、自分を信仰してくれる信者が現れるまでずっと待っていたそうだ。


 そして、この前に数百年ぶりに呼んでもらえた、と聞いた。


 ……冗談だろう。

 

 こんな何もないところに?


 こんな世界で、あと何十年も助けを待つ……?


 ……………………無理だ。


 水も要らず、食べ物も不要。


 だから、死にはしない。


 けど、きっと…………遅からず、俺は気が狂ってしまうだろう。 


「ゴメン……」


 最後に逢いたい人が居たはずなのに。


 すでに、それが誰だったかも思い出せなくなっていた。



 

 ◇




 俺は座ることすら億劫になり、地面に倒れていた。


 この狂った世界の風景が頭に入らないように目を閉じていた。 


 いっそ眠ってしまえば気が楽だが、決して眠れない。


「ナア……」


 神様は変わらず話しかけてくれるが、もう返事をする気にもなれなかった。


 ここでは、自殺ができない。


 ただただ、自分がおかしくなっていくのを待つしかできない。


 いや、すでに俺は狂っているのかも……



 その時。



 俺の頬に何かが触れた。


 最初は、勘違いだと思った。


 が、何か確かに当たっている。


(雨……?)

 

 この世界は、雨は降らない。

 太陽も雲も無いのだから。

 目を開くと、一枚の花びらが落ちていた。


(……え?)

 

 よく見ると、周りに点々とこの世界ではありえない花びらが散っている。

 きょろきょろと見回しても、植物らしきものは何も生えていない。

 ぽとぽとと。

 その花びらが落ちてくる。


 俺は一枚その花びらを手に取った。

 桜かと思ったそれは、薄い紫色をしていた。

 この花は一体……。 




 …………………………見つけた




 そんな声が聞こえ、手に持っていた花びらが燃え上った。

 熱っ!?

 慌てて手を離す。

 突如、巨大な目の前を何かが通り過ぎた。




 ――花吹雪が舞っている




 奇妙な色で塗りたくられていた世界が一面、藤色に染まる。

 コツコツと誰かがこちらに歩いてくる。 

 見覚えがあった。

 それは、どこかの喫茶店で会ったことがある女性だった。


「はろー、少年。アカネちゃんに聞いて助けに来てあげたわよ」

「…………っ」

 助けてください、そう言おうとした口が回らなかった。

 すでに、言葉を発することすら忘れていた。



「あぁ……感動で言葉も無いのね。大丈夫よ、大丈夫」

 その人は、整った顔でニッコリと微笑んだ。


 そして、俺の後ろにいる『神様』に視線を向けた。


「そこの壊れかけの神もどきを、すぐに出してあげるわ」

 その紫のローブを着た女の人は、唇を三日月のように歪め言い放った。

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