20話 渋谷ソウタは、考える

 アカネの後ろ姿を見送って、俺は帰路についた。

 家に着くと、リビングで両親と妹がテレビを観ていた。


「おかえり、ソウタ」

「遅かったな」

「お兄ちゃん! 遅くなるなら、連絡してよ! 夕食ごはん残してるからね!」

「ああ、ゴメンゴメン」

 俺は妹に詫び、テーブルに視線を移した。

 サラダと生姜焼きにラップがしてある。

 

 俺は保温になっているご飯をよそい、みそ汁を温めなおした。

 麦茶をグラスに注ぎ、手を合わせた。

 リビングには、バラエティ番組の笑い声が響いている。

 俺は夕食を食べながら、今日の出来事を反芻していた。


「お兄ちゃん」

「ん?」

「今日、何かあった?」

「いや、友達と試験勉強をしてただけだよ」

「ふぅん、そ。なんか、楽しそうだったから」

「そうか……?」

「うん、うれしそう。良い事があったのかなって」

 ニコっと妹が笑う。


 俺はニヤけていたのだろうか。 

 表情を引き締めて、俺は夕食を済ませた。

 食器を洗い、自分の部屋に戻ろうとドアノブに手をかけた。


「お兄ちゃん、もう部屋行っちゃうの?」

 妹が暗にここに居ろと言ってくる。


「試験が近いから勉強するよ」

「うへぇ……真面目だなぁ」

「ナツキも試験は大丈夫なのか?」

「あーうん、平気平気」

 両親から「おまえも勉強したほうが……」と説教される妹に、少し申し訳ない気持ちになりつつ、俺は自室に入った。


 ばたん、とベッドに倒れ込む。

 静かな部屋の中で、耳を澄ます。

 目を閉じると、僅かにリビングのテレビの音が聞こえてきた。

 たまに家の外を走る、車のエンジン音が耳に届いた。


「ユキナ……」

 俺は小さく死んだ恋人の名前を呼んだが、勿論返事はなかった。

 昼間の黒猫レオさんとの会話を思い出した。


 俺の後ろに24時間、ユキナの幽霊が居る……。


 ふと、机の上に並べてある大量のツーショットの写真が目に留まった。

 そして、毎朝ユキナの写真に「ユキナ、愛してるよ」と言っていることを思い出して……って、あれを見られてたのか!?

 

 あ、明日からはやめておこう……。

 悶えた。




 ◇




 翌日の放課後。


「なあ、アカネ。放課後は時間ある?」

「ごめん、ソウタくん。私、今日は家の用事があるんだ」

「そっか」

「また、勉強教えてね」

「勿論」

 アカネに声をかけたが、今日は予定があるようだ。


 悪友のトオルの席を見ると、机につっぷしてぐったりしている。

 徹夜で仕事をしていたのだろうか。

 誘おうかと思ったが、今日はやめておくか。


 俺は一人で、昨日の喫茶店へ足を運んだ。 

 理由は、なんとなくだ。


 コーヒーが美味かったというのもあるし、客が居なくて落ち着いて勉強ができる点も気にいった。

 しかし、何と言ってもやっぱりユキナについて話を聞いてみたかった。


 深い森の中を歩く。

 看板の一つも無いので、場所がわかり辛い。

 でも、昨日と同じ道で着くはずだ。


「あれ……? こっちだったと思うんだけど」

 道に迷った?

 方向音痴では無いはずなんだけど……。

 ウロウロとしていると「おや、君か」と後ろから声をかけられた。

 振り返ったが誰も居ない。


「こっちだ、こっち」

 声の主は、足元に居た。


黒猫レオさん」

「連日訪ねてくるとは。しかし、こっちは方向が逆だぞ」

「え? でも……」

「ついてこい」

 俺が黒猫レオさんについて行くと、あっさりと到着した。


 テラス席には、誰も居ない。

 相変わらず客は俺一人のようだ。

 俺は手近な席に座った。

 あの中性的な美形の店員さんの姿は見当たらない。


「どれ、店員を呼んでこようか」

 黒猫レオさんが店の中に消えた。

 折角だから、黒猫レオさんにユキナのことを聞きたかったんだけど……。

 ま、いっか。


 俺は店員さんが来るまで、参考書を広げてぼんやり眺めた。

 

 ――If you really want to hear about it , the first thing you'll probably want to know is where I was born, and what my lousy childhood was like, and how my parents were occupied and all before they had me, ....


 英語の長文をダラダラ読んでいると、足音が近づいて来た。

 黒猫レオさんではない、人間の足音だ。


 この前の店員さんかと思って顔を上げると、薄紫色のワンピースを着た女性が立っていた。



 全身が、ゾワリと粟立った。


 昔、師匠に古武術の修行で「動くなよ」と言われ、正拳突きを鼻の頭すれすれに打ち込まれた。

 その時、景色がスローになりゆっくりと拳が迫ってきた。 

 ――死ぬ、と感じた時には俺は地面にへたり込んでいた。


「その危機感を覚えておけよ」と笑って言われたが、俺は恐怖で口が聞けなかった。

 その時の『100倍』嫌な感じを目の前の女性から受けた。

 この人には、逆らってはいけない……、全身の細胞が訴えた。


「あら? どちら様?」

 女性が口を開くと、さっきまでの恐怖感が霧散した。

 アナウンサーのように聞き取りやすい綺麗な声で、微笑まれた。


「おい、店長。客に決まってるだろう」

 黒猫レオさんが言った。

 この人が店長?


「えっ!? 嘘、どうしましょう」

「さっさとコーヒーを入れるんだ、店長」

「ええ~、私がっ!?」

「他に居ないだろう?」

「あの子が帰ってくるまで待ちましょうよー」

「お客を待たせるな」

 いや、俺まだ注文オーダーしてないんだけど……。

 というか、副店長のほうが店長より立場が強いのだろうか?

 店長と呼ばれた女性は、店内に去っていった。


「すまんな。いつもの弟子が今、買い出しに行ってるんだ」

「はぁ……」

「うーむ、一人でできるか心配だ。吾輩も見てこよう」

「あ」

 黒猫レオさんも行ってしまった。

 仕方ない、勉強の続きをするか。


 それから15分くらい経ってコーヒーが出てきた。


「ど、どうぞ~」

 店長と呼ばれた女性が、慣れない手つきでコーヒーを運んできた。

 その時初めて、きちんと顔を見た。


(凄い美人……)

 芸能人と言われても通用しそうな、綺麗な人だった。

 年齢はよくわからない。


「ありがとうございます」

 俺はカップを手に取り、コーヒーを一口すすった。

 そして、衝撃を受けた。


(ま、マズっ!?)

 泥水でも、もう少しマシな味がするだろうという味だった。

 えぇ~、これを飲むのキツイなぁ……。


「店長、失敗のようだぞ」

「えぇ~、うそ―! あんなに大変だったのにー!」

「母さん、何やってるんですか?」

「あら、お帰り」

 お?

 ぱっと、後ろを振り返るとこの前の美形の店員さんだった。

 母さん?

 この二人、母子なのか。

 似てないなぁ。


「これ……まさかお客様に出したんですか?」

「……だ、駄目だった?」

「淹れなおします。申し訳ありません、お客様。泥水をお出ししてしまって」

「酷いーー!!」

 店長が悲鳴を上げるが、店員さんは相手にせずにカップを持って店内に消えた。

 30秒もせずに、店員さんがコーヒーを持ってきた。

 相変わらず早いなぁ……。


「どうぞ」

「ありがとうございます」

 一口、飲んだ。

 う、美味っ!?

 前と同じのはずだが、その前の一口が泥水だったせいで余計に美味しく感じる。

 はぁ……、やっぱこの店いいなぁ~。


「うぅ……泥水……。私の淹れたコーヒーは泥水ですか……」

「そ、そんなことは……」

 店長さんが落ち込んでいたので、そんなこと無いと言いたかったが……、酷い味だったからなぁ。

 となりで美形の店員さんがため息をついている。


「ところで青年。今日は幽霊の少女とは一緒じゃないのだな」

「え?」

 黒猫さんがおかしなことを言った。


「ん? そういえば君は視えないのだったか。今日は幽霊の少女が取り憑いていないぞ」

 な、何だって!?

 俺は慌てて振り向いたが、勿論、そこには誰も居ない。

 俺にはユキナが視えないのだから、いつもと全く同じだ。


「あら、何それ。面白そうな話ね。レオナルドちゃん、教えてよ」

 俺と黒猫さんの会話に、店長さんが入ってきた。


「お客の個人情報だ。吾輩の口からは言えん」

「ふぅん、それもそうね。ね、お客様?」

「は、はい」

 店長さんは、俺の前の席に腰かけ頬杖をついてニヤリと笑った。

 その瞳には、奇妙な光が揺らいだ。



「ねぇ、私に相談してみない? これでも私、世界に72人しかいない『本物の魔女』なの」

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