第4話


 夏休み最後の週。

 今度は、美海ちゃんと大地くんの二人が、おばあちゃんの家にお泊りに来た。

 夜の庭で、わたしたちは、小さな花火大会をやった。

 夜風は、Tシャツだけでは、もうほんのりと冷たくさえ感じる。虫たちの声も、いつの間にかにぎやかになった。夏が終わろうとしている。

 花火の後、みんなで、千代おばあちゃんの寝室で寝ることになった。

 廊下のつきあたりの小さな和室一面に、敷布団とござを敷く。なんだかぎゅうぎゅうでごちゃごちゃだ。

「ま、みんなで大の字に寝りゃいいか」

 おばあちゃんは、そのありさまを見て笑っていた。


 深夜に、物音で、わたしは目が覚めた。

 美海ちゃんがいない。廊下の明かりがついていた。

 廊下から、どたりと音が聞こえた。

 寝ている二人を起こさないように、わたしは、静かに廊下へ出ていった。

 美海ちゃんが倒れていた。

「だいじょうぶ?」

 小声で問いかける。

「うん」

 美海ちゃんは、壁に手をかけて立ち上がった。

 美海ちゃんの家では、廊下やトイレに手すりがついていて、美海ちゃんも歩きやすくなっていた。バリアフリーというやつだ。でも、この家にはそれがない。普段と勝手が違うのだと思う。

 美海ちゃんは、一人で、ゆっくりとトイレへと向かっていった。

 わたしはそれを見守っていた。部屋に戻ろうとして足を止め居間に向かう。

「美海ちゃん!」

 トイレから戻った美海ちゃんを、わたしは小声で呼び止めた。

 両手にアイスをつまんでぶらぶらさせる。

 美海ちゃんが、にやりと笑って居間に入ってくる。二人でソファに座った。

 真っ暗な部屋を、テレビの明かりだけが照らす。

 わたしたちは、小声でいろんなおしゃべりをした。普段と違う雰囲気のためか、いつもは話せないことも遠慮なく話せた。

 たとえば、わたしの不登校の理由。

 美海ちゃんは、イジメが原因だと思っていたらしい。

「だって、クラスのボスとかに目をつけられるタイプじゃん?若葉ちゃんて」

という発言には、思わず咳き込んでしまった。

 わたしは、本当のことをはじめて明かした。

 六月に風邪をひいて学校を休んで、それがきっかけで学校に行けなくなったこと。原因はわからないってこと。

 そして、恥ずかしいけれど、心の体力不足という考えも明かした。

 わたしも、美海ちゃんに質問した。右足のことや義足について。

 なぜ室内で義足を脱ぐのか疑問だったけれど、夏場は暑いし蒸れるから、美海ちゃんは、家では、あんまり履かないですごすんだとか。そして水泳用の義足ってものがあるということも知った。でも、これも美海ちゃんは使っていないらしい。

「若葉ちゃん、本当に帰っちゃうの?」

 美海ちゃんが、そう言ってわたしを見つめる。

「うん」

と、わたしは小さくうなずいた。

「今度はいつ来る?冬休み?」

「どうかな……。まだ、わかんないんだよね」

 今度、なんて考えていなかったわたしは曖昧に答えた。

「そっか」

 美海ちゃんが、アイスの棒を口にくわえたままうつむく。

「どうかしたの?」

「うん……」

 美海ちゃんは、下を向いたまま小さな声で答えた。

「わたし、若葉ちゃんに謝らないといけないことがあるの」

「えっ?なに?」

 美海ちゃんは、なんだか緊張しているような表情で、わたしに顔を向けた。

「わたし、若葉ちゃんのこと嫌い、だったの」

 そう言われて、わたしはどきりとした。

「右足のことだよね?わたしも、よくわかってなかったし」

 あのとき泣いていた美海ちゃんの顔が頭に浮かぶ。でも、あの時のことはお互いに、ごめんなさいしたはずだった。

 でも美海ちゃんは、

「ちがう」

と、小さく首を横に振った。

「そうじゃなくて、あのことがあったから、嫌いになったわけじゃなくて……。わたし、ずっと前から、会う前から若葉ちゃんのこと嫌いだった。大嫌いだった」

 わたしは、意味が分からなくて言葉が出なかった。ちょっと混乱している。

「若葉ちゃんのお母さんが死んだとき、わたし、お母さんのお腹の中にいたんだって」

「そう」

「お母さん、お姉ちゃんが死んですごくショックだったみたい。しばらく、元気なかったんだって。その後に、わたしの足に障害が見つかって、さらに落ち込んで……。それで、わたしの足も、自分のせいじゃないかって」

「えっ?」

「お母さんは、そんなこと言わないよ?でも、大人たちが話してるの、聞いたことがあるんだ。お母さんが、わたしの足のことで自分を責めてたって……」

「そんなことはないよ。それは、ちがうはずだよ……」

 そんなこと、あるわけない。多分きっと、絶対に、そんなことはないはずだ。

 でも、根拠も何もない優しい言葉は、しりすぼみになって消えた。

 美海ちゃんはうなずいた。

「わたしもそう思う。右足のこと、お母さんのせいとか思ってないしね。そもそも、これが わたしの普通だから〝~のせい〟とか考えたことないからね。でもわたし、お母さんを悲しませた若葉ちゃんのお母さんも、若葉ちゃんのことも、どうしても許せなかった」

 美海ちゃんはそう言って、ゆっくりとわたしと視線を結んだ。

「若葉ちゃん……。なんでもっと早く会いに来てくれなかったの?お母さんも、おばあちゃんも、輝葉姫も、ずっとずっと待ってた。会いたがってたのに」

「ごめん」

 わたしの声は、とても弱々しかった。

「ううん。わたしもごめん。嘘ついた。元から嫌いだった若葉ちゃんを好きになれなくて……。仲良くしようとできなくて……。それで」

 美海ちゃんの声はだんだんとふるえてきた。

 美海ちゃんを見ると、瞳にも涙がたまって潤んでいた。

「右足を利用しちゃった。気を遣ってくれてる若葉ちゃんの優しさを利用しちゃた。ごめんなさい。ご、ごめんなさい」

 ぽろぽろと涙をこぼしながら、美海ちゃんがそう言った。

 わたしはショックだった。美海ちゃんを誤解していたことが。

 思えば確かにそうだった。右足のことでギクシャクする前から、美海ちゃんは、わたしに対して冷たかった。

 初対面だから人見知りしているのかもしれないと思ったけれど、美海ちゃんはそんな性格じゃないのだ。

 わたしは、ずっと勘違いしていたのだ。

 あのときの美海ちゃんの涙の意味を、わたしは、まったく理解していなかったらしい。

「いいよ。何とも思ってない。だいじょうぶだから」

 わたしがそう言うと、美海ちゃんが、ワッと泣き出した。美海ちゃんは、手のあちこちで涙を拭きながら、

「ごめんなさい」

と何度も言った。

「許してる。最初から許してるから。だいじょうぶだから。わたしも、ずっと来れなくてごめんね」

 わたしは、美海ちゃんの肩にそっと手を置いた。

 熱かった。そのせいか、わたしも身体中がカッカしてきて、胸からなにかが込み上げてきた。

 わたしが赤の他人と思っていたたくさんの人たちは、こんなにも、わたしのことを思ってくれていた。待ってくれていた。

 大切に思えないわけがない。わたしにとっても、大切な人たちに決まってる。

 喉が痛い。顔が熱い。

 わたしも泣きそうだった。でも涙は出なかった。

 美海ちゃんと仲直りした後も消えなかったわたしの心の中のカオスが、美海ちゃんの勇気ある告白によって消えていく。

 人の気持ちって、複雑で、理解できたと思っていても、本当にそうとは限らないんだな。

 そう思った。

 でも今日、わたしは、美海ちゃんの心に、そっと触れられた気がした。ほんの少しだけ。

「若葉ちゃん。輝葉ちゃんから、お母さんのことづてを聞いてあげてね。輝葉ちゃん、ずっと待ってたから」

 寝室に戻るときに、美海ちゃんがそう言った。

「うん。帰る日までには、受け取るよ。ちゃんと、ことづてを受け取ってから帰るつもりだから」

 わたしは、自分に言い聞かせるようにうなずいた。

 お母さんからのことづて。

 受けとらない理由なんてない。だけど、なぜかずっと、わたしはそれを避けてきた。でも、いつかは受け取らないといけない。それもわかっていた。

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