第七章 大風吹き荒れ木の葉散る
第1話
夜に降り出した雨は、朝になっても、やむことなく降り続けた。
お昼になると、風もひどくなってきた。
おばあちゃんとわたしは、二人で、庭木をロープで縛ったり植木鉢を家の中に避難させたり雨戸を閉めたりと忙しく動き回った。
作業が終わるころには、二人ともずぶ濡れになっていた。
タオルで頭を拭きながら、おばあちゃんが、ベランダ窓から空を見上げる。
「明日の天気が心配ね。若葉ちゃん、飛行機はだいじょうぶなの?」
「どうだろうね」
窓に打ちつける雨粒を見ながら、まるで他人事のようにわたしは返した。
九月一日の朝、雨戸を開け放つと、庭は、緑の落ち葉でいっぱいだった。
激しい雨は、あれから止むことなく降り続けた。
そして、この地方を豪雨が襲った。
山のそばで高い位置にあるため、おばあちゃんの家を含めて、ご近所の被害は少なかったが、周りの田んぼは、茶色く濁った水に沈んでしまった。
ニュースによると、川が決壊して家々が水に浸かったところもあり、あちこちの町で被害が出ていた。
大楠のおじいちゃんが住む町も、そこへ行くときに通った緑の
秋穂さんたちを心配して、おばあちゃんが電話をかけていた。聞くと、大地くんが通うセンダンの木がある保育園の周りも、秋穂さんたちの住む町も、道路が冠水したりあちこちで被害があったらしい。
あの日以来、わたしは、美海ちゃんたちと会えていない。
本当であれば、昨日、わたしは帰る予定だった。でも、強い風と大雨の影響で飛行機も欠航していた。
そして本当なら、昨日、わたしは、輝葉姫からことづてを受け取るつもりでいた。けれど、それもできなかった。
外に出るのが危険なくらいに激しい雨だったのだ。
おばあちゃんに相談すると、
「今日は行っちゃだめ」
と、少しきつい口調で言われた。
「あそこは、川のそばでしょ?この雨だったら、いつも歩いてる河川敷の道も水没してるよ。きっと濁流になってて流れも速いから、落ち着いてから行きなさい」
「ねぇ、それって……。輝葉姫はだいじょうぶなの?」
わたしがそう聞くと、おばあちゃんはうなずいた。
「平気だと思うよ」
本当かな?
わたしは信じられなかった。だって、ニュースでも、歴史的な豪雨災害だって言っているのだ。だいじょうぶという保証はどこにもない。
わたしは、今まで出会ってきた木たちのことも心配だった。あちこちで、道路わきの斜面が崩れて倒木したり、街路樹が折れたりしていたから。
午前中は雨曇りだった空。
お昼に仰げば、リンドウ色の空が広がっていた。
わたしの足は、そんな空に導かれるように輝葉姫のいる神社へと向かった。
わたしの好きな緑の風景は、茶色くなっていた。田んぼは一面、泥水のプールと化していた。風が強く吹いて、すぐ足元で濁り水がちゃぷちゃぷ揺れている。
わたしは、意を決して歩き出した。
遊歩道に下りようとして輝葉姫にとめられた。輝葉姫は、
輝葉姫といっしょに石垣の下をのぞきこむ。
川は水かさを増し、遊歩道は水没していた。
「昔は、こんなに水が溢れることも少なかったんだけどね。近ごろは、夏の大雨で根元まで水が来ることもあるんだ」
「水に浸かると、よくないの?」
浮かない顔の輝葉姫をわたしは見つめた。
「うん。根や幹が水に浸かると、腐る原因になるからね」
「そう……。でも、ずっとだいじょうぶだったんだから、これからも平気だよね?」
わたしの問いかけに、輝葉姫は何も答えなかった。
幹のすぐそばまで迫り流れる川に目を落としている。悲しげな表情だった。
「千年以上起きなかった変化が、いま起きていると思う。だから……」
輝葉姫は、まっすぐに、わたしと視線を結んだ。
「ずっと生きているからと言って、これからも同じということはないの。神社の奥に小山があってそこに朽ちて倒れた大きな木があるの、知ってる?あれは、わたしの兄。わたしよりも立派な楠だった。でも、たった一発の雷で焼け落ちてしまったの」
わたしの身体の奥底から、何かがせり上がってくる。
痛くて、熱くて、苦しい。
「なんでそんなこと言うの?」
追い詰められたような気持ちになった。
わたしは、言葉を強めて、責めるように輝葉姫を見た。
「わたしは多分、まだこの先、何十年も生き続けられると思う。昔よりいろんなことが進歩して、木のお医者さんまで現れた。いろんな薬ができて木の治療をしてくれる。その手当てがなければ、わたしは、もう枯れてしまっていたかもしれない。でも、だからと言って、この先もこうしてここにいられるとは限らないの。だから」
「嫌だっ!!」
心が爆発して、わたしは叫んでいた。
輝葉姫が、びっくりして目を丸くしている。
わたしは、もうそれ以上、輝葉姫の顔を見ることができなくて、彼女に背を向けた。
「ちょっと待って、若葉ちゃん!」
輝葉姫の声を無視し、わたしは走り出した。
嫌だ!なんでそんなこと言うんだよ!バカ!
「待って!行かないで!」
小さくそんな声が聞こえた気がした。でも立ち止まらなかった。走って走って走って、おばあちゃんの家まで逃げた。
「どうしたの?」
玄関に転がりこんできたわたしに、おばあちゃんが驚いて声をかけた。
わたしは、何も答えずに部屋まで駆け上がった。そのままベッドに突っ伏す。
せっかく。せっかく勇気を出してことづてを受け取りに行ったのに。なんでこうなっちゃうんだよ!なんでそんなこと言うんだよ!なんでっ……!!
息が整わない。恐怖が濁流となって、わたしを呑み込んでいく。そのままどこかへ連れ去られる気がした。
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