第2話
「うん……。うん。保育園ね?うん。わかった わかった。じゃあ迎えに来て。ハイハイ」
うなずきながら、祖母が、自分の娘と話している。
「夕方、ちょっと一緒に出かけようか」
電話が終わると、わたしにそう言った。
会ったら顔を覚えて、ちゃんと記憶しないといけないな。
しばらくして、明るい声とともに、玄関が開き、秋穂という人がやってきた。祖母と同じく小柄な人だった。
玄関前には、彼女の真っ白な軽自動車が停まっていた。
祖母が助手席に、わたしは後ろの席に乗って出発する。
向かうのは、彼女の息子が通うという保育園らしい。
彼女には、
これも、記憶しておいたほうがいいよね。
わたしは、秋穂さんの顔を盗み見た。
あの人の妹のはずなのに、写真の中のあの人より、今の秋穂さんは年上だ。それがなんだか不思議だった。
母・美樹が死んだのは十年前。突然のことだったようだ。
三歳になったばかりのわたしは、きっとよくわかっておらず、涙も出なかったのだと思う。覚えていないけど。でも、きっと悲しかったんだと思う。
あ、そうだ。確かお葬式(?)のとき、みんな泣いていたな。今の自分と同じくらいの子たちもいたっけ。その子たちも泣いてた。
その悲しい空気は、なんとなく覚えている。
ミラー越しに秋穂さんと目が合って、さっとわたしは目を伏せた。
「若葉ちゃん、朝着いたの?」
秋穂さんが話しかけてくる。
「いえ、お昼の便で」
「そうなんだ。田舎すぎてビックリしたでしょ?特におばあちゃんが住んでるとこは、さらに田舎なんだぁ。もっと栄えてるとこもあるんだけどね」
「いえ……」
はい田舎ですね、と本音は言えなかった。
「ところで、さっき言ってたのは、なんていう木かね?」
と、おばあちゃんが、あらたまった声で口をはさむ。
秋穂さんは、思い出すように、こめかみに指を当てた。
「ええっとね。センダンって木」
「センダンね。それで?いなくなった鳥の親子を探せってことね?」
「そう。アオバズクっていうフクロウの仲間でね。二、三日前から姿が見えなくなったんだってさ。探してほしいって、子どもたちが。かわいいよね」
秋穂さんはくすりと笑った。
「わかった わかった。じゃあ話してみようかね。でもあれよ?どんな木も話せるわけじゃないからね。鳥が巣を作るくらいの木なら、だいぶ大人の木だろうけど。話をするなら百年くらい経ってないといけないからさ」
会話を聞いていたわたしは、思わず自分の耳を疑った。
今この人、木と話すって言ったよね?木って、あの木?
わたしは、思わずおばあちゃんの顔を盗み見た。
わたしたちが保育園のベランダに近づくなり、元気よく、男の子が飛び出してきた。
「お母さーん!」
子どもらしいサラサラ髪の日焼けした男の子。
大地くんだ。その小さな鼻の形は、秋穂さんにそっくり……と思いきや千代おばあちゃんと似ていた。
秋穂さんが、その子の頬を両手で包む。
「お利口にしてた?」
秋穂さんにそう聞かれると、大地くんは、目を泳がせるようにはぐらかした。
後ろにいるエプロン姿の先生が、その様子をおかしそうに見ている。
わたしも、思わず噴き出しそうになった。
そんなわたしを、大地くんが不思議そうに見つめる。
「この人、だれ~?」
お母さんを見上げてそう言った。
「
秋穂さんにそう言われ、大地くんはぺこりと頭を下げた。
「こんにちわぁ」
「こんにちは」
そっか。この子と自分は従姉弟なのか。従姉弟という存在にはじめて出会うな。二人とも、千代おばあちゃんの孫なんだ。
奥から別の誰かがやってくる。
「川上さん、どうも。ごぶさたしてます」
どやら園長先生のようだった。
園長先生の案内で、わたしたちは裏庭へと向かった。
大きな木が、庭の中央に、一本堂々と生えていた。あれが、センダンという木のようだ。
木の前に来ると、園長先生が上を指さした。太い幹に、大きな穴がぽっかりと開いている。
「あの
秋穂さんが、その言葉を引き取って続ける。
「いつも枝に乗って園児たちを見守ってるんだって。子どもたちも、みんなその鳥が大好きで、お絵描きしたりしてるんだってさ」
若い先生がうなずく。
「そうなんです。だからみんな心配してて。そしたら大地くんがね?おばあちゃんに頼んでみようかって言ってくれて。それで大地くんのお母さんに相談して」
園長先生は、申し訳なさそうに千代おばあちゃんを見た。
「すみませんでした。急に依頼してしまって」
「いいの いいの」
おばあちゃんが顔の前で手を振る。
「そうそう。かまわないんですよ。本人も退屈してるんだから」
と秋穂さんも笑った。
「それじゃあ、話を聞いてみようかね」
おばあちゃんは、大きく枝を広げ緑の葉を揺らすその木に歩み寄る。
やっぱり木と話すって言った。一体どういうことだろう?
わたしは、なんだかだんだん怖くなってきた。
「若葉ちゃん。ちょっとだけ、離れてようか」
秋穂さんの声に振り返ると、みんなは数歩下がっていた。
何がはじまるんだろう。
ドキドキしながら、わたしも秋穂さんの横に並ぶ。
千代おばあちゃんは、じっと木を見上げていた。そのうちに、誰かと話をするように、うなずいたり耳を傾けたりしだした。
「何をしてるんですか?」
わたしが秋穂さんに問いかけると、彼女に抱かれた大地くんが代わりに答える。
「木とお話ししてるんだよ。木とおしゃべりできるの。すごいでしょ?」
得意げに目を輝かせた。
わたしは、信じられなくて、秋穂さんの顔を見た。
「おばあちゃんも木の声が聞こえるの」
当然のことのように、秋穂さんはそう言った。そしてこう続けた。
「若葉ちゃんのお母さんも、木の声、聞こえたじゃない?」
「木と、話せたの?」
「そう。聞いてなかった?」
今度は秋穂さんが、驚いたように小さく口を開けた。
「あ。聞いてた、気がする。憶えてないだけで」
反射的に嘘をついてしまった。
「そっか。そうだよね」
秋穂さんはうなずいた。
もうわけがわからない。木の声が聞こえるっていうのがそもそも謎だし、あの人も木と話せたとか。
おばあちゃんは、透明人間とでも話しているみたいだ。
「そうね。もう今年は旅立ったってことね?わかった わかった。子どもたちにも伝えとこう。それじゃあ、あんたは、何かしてほしいことはあるかい?添え木をしてほしいとか、虫がついてるとか……。ないね。ハイハイ、わかった」
センダンを見つめながら、独り言のようにしゃべっていた。
少しして、おばあちゃんは戻ってきた。
「どうでしたか?」
園長先生が心配そうにたずねる。
「だいじょうぶ。今年はね、もうヒナたちの成長が早くて飛べるようになったから、早めに別の森に行ったってさ。南の方。ここにいたのは、渡り鳥かね?」
「そうです。でも、まだ一ヵ月くらいはここにいるんですよ。いつもは」
「このへん、あんまり森がないでしょ?住宅地だから。だから、移動しつつ森に行ったらしい。だいじょうぶらしいよ。早めに巣立っただけみたいね」
それを聞いた園長先生が、安心したようにため息をもらす。
秋穂さんも、息子の顔をのぞいて笑う。
「よかったね。だいじょうぶだって。赤ちゃんが大きくなったから、お引越ししただけなんだってさ」
「ふ~ん。なら、また来年会えるかなぁ?」
大地くんは、木を見上げてつぶやいた。
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