第2話


「うん……。うん。保育園ね?うん。わかった わかった。じゃあ迎えに来て。ハイハイ」

 うなずきながら、祖母が、自分の娘と話している。

「夕方、ちょっと一緒に出かけようか」

 電話が終わると、わたしにそう言った。

 大町おおまち秋穂あきほという人は、わたしの母・美樹の二歳下の妹だった。母親が二人姉妹だったことは、わたしも知っていた。多分会ったこともあるのだろう。でも顔は、まったく思い出せない。

 会ったら顔を覚えて、ちゃんと記憶しないといけないな。


 しばらくして、明るい声とともに、玄関が開き、秋穂という人がやってきた。祖母と同じく小柄な人だった。

 玄関前には、彼女の真っ白な軽自動車が停まっていた。

 祖母が助手席に、わたしは後ろの席に乗って出発する。

 向かうのは、彼女の息子が通うという保育園らしい。

 彼女には、大地だいちという五歳の息子と美海みうという小学四年生の娘の二人の子どもがいるらしい。誰も聞いていないのに、おばあちゃんが勝手にしゃべっていた。

 これも、記憶しておいたほうがいいよね。

 わたしは、秋穂さんの顔を盗み見た。

 あの人の妹のはずなのに、写真の中のあの人より、今の秋穂さんは年上だ。それがなんだか不思議だった。

 母・美樹が死んだのは十年前。突然のことだったようだ。

 三歳になったばかりのわたしは、きっとよくわかっておらず、涙も出なかったのだと思う。覚えていないけど。でも、きっと悲しかったんだと思う。

 あ、そうだ。確かお葬式(?)のとき、みんな泣いていたな。今の自分と同じくらいの子たちもいたっけ。その子たちも泣いてた。

 その悲しい空気は、なんとなく覚えている。

 ミラー越しに秋穂さんと目が合って、さっとわたしは目を伏せた。

「若葉ちゃん、朝着いたの?」

 秋穂さんが話しかけてくる。

「いえ、お昼の便で」

「そうなんだ。田舎すぎてビックリしたでしょ?特におばあちゃんが住んでるとこは、さらに田舎なんだぁ。もっと栄えてるとこもあるんだけどね」

「いえ……」

 はい田舎ですね、と本音は言えなかった。

「ところで、さっき言ってたのは、なんていう木かね?」

と、おばあちゃんが、あらたまった声で口をはさむ。

 秋穂さんは、思い出すように、こめかみに指を当てた。

「ええっとね。センダンって木」

「センダンね。それで?いなくなった鳥の親子を探せってことね?」

「そう。アオバズクっていうフクロウの仲間でね。二、三日前から姿が見えなくなったんだってさ。探してほしいって、子どもたちが。かわいいよね」

 秋穂さんはくすりと笑った。

「わかった わかった。じゃあ話してみようかね。でもあれよ?どんな木も話せるわけじゃないからね。鳥が巣を作るくらいの木なら、だいぶ大人の木だろうけど。話をするなら百年くらい経ってないといけないからさ」

 会話を聞いていたわたしは、思わず自分の耳を疑った。

 今この人、木と話すって言ったよね?木って、あの木?

 わたしは、思わずおばあちゃんの顔を盗み見た。


 わたしたちが保育園のベランダに近づくなり、元気よく、男の子が飛び出してきた。

「お母さーん!」

 子どもらしいサラサラ髪の日焼けした男の子。

 大地くんだ。その小さな鼻の形は、秋穂さんにそっくり……と思いきや千代おばあちゃんと似ていた。

 秋穂さんが、その子の頬を両手で包む。

「お利口にしてた?」

 秋穂さんにそう聞かれると、大地くんは、目を泳がせるようにはぐらかした。

 後ろにいるエプロン姿の先生が、その様子をおかしそうに見ている。

 わたしも、思わず噴き出しそうになった。

 そんなわたしを、大地くんが不思議そうに見つめる。

「この人、だれ~?」

 お母さんを見上げてそう言った。

従姉弟いとこの若葉お姉ちゃんよ。あいさつして」

 秋穂さんにそう言われ、大地くんはぺこりと頭を下げた。

「こんにちわぁ」

「こんにちは」

 そっか。この子と自分は従姉弟なのか。従姉弟という存在にはじめて出会うな。二人とも、千代おばあちゃんの孫なんだ。

 奥から別の誰かがやってくる。

「川上さん、どうも。ごぶさたしてます」

 どやら園長先生のようだった。

 園長先生の案内で、わたしたちは裏庭へと向かった。

 大きな木が、庭の中央に、一本堂々と生えていた。あれが、センダンという木のようだ。

 木の前に来ると、園長先生が上を指さした。太い幹に、大きな穴がぽっかりと開いている。

「あのうろに、十年くらい前から、アオバズクが巣を作ってるんです。今年も来てたんですけど、三日くらい前に突然いなくなっちゃって。みんな心配してるんですよ」

 秋穂さんが、その言葉を引き取って続ける。

「いつも枝に乗って園児たちを見守ってるんだって。子どもたちも、みんなその鳥が大好きで、お絵描きしたりしてるんだってさ」

 若い先生がうなずく。

「そうなんです。だからみんな心配してて。そしたら大地くんがね?おばあちゃんに頼んでみようかって言ってくれて。それで大地くんのお母さんに相談して」

 園長先生は、申し訳なさそうに千代おばあちゃんを見た。

「すみませんでした。急に依頼してしまって」

「いいの いいの」

 おばあちゃんが顔の前で手を振る。

「そうそう。かまわないんですよ。本人も退屈してるんだから」

と秋穂さんも笑った。

「それじゃあ、話を聞いてみようかね」

 おばあちゃんは、大きく枝を広げ緑の葉を揺らすその木に歩み寄る。

 やっぱり木と話すって言った。一体どういうことだろう?

 わたしは、なんだかだんだん怖くなってきた。

「若葉ちゃん。ちょっとだけ、離れてようか」

 秋穂さんの声に振り返ると、みんなは数歩下がっていた。

 何がはじまるんだろう。

 ドキドキしながら、わたしも秋穂さんの横に並ぶ。

 千代おばあちゃんは、じっと木を見上げていた。そのうちに、誰かと話をするように、うなずいたり耳を傾けたりしだした。

「何をしてるんですか?」

 わたしが秋穂さんに問いかけると、彼女に抱かれた大地くんが代わりに答える。

「木とお話ししてるんだよ。木とおしゃべりできるの。すごいでしょ?」

 得意げに目を輝かせた。

 わたしは、信じられなくて、秋穂さんの顔を見た。

「おばあちゃんも木の声が聞こえるの」

 当然のことのように、秋穂さんはそう言った。そしてこう続けた。

「若葉ちゃんのお母さんも、木の声、聞こえたじゃない?」

「木と、話せたの?」

「そう。聞いてなかった?」

 今度は秋穂さんが、驚いたように小さく口を開けた。

「あ。聞いてた、気がする。憶えてないだけで」

 反射的に嘘をついてしまった。

「そっか。そうだよね」

 秋穂さんはうなずいた。

 もうわけがわからない。木の声が聞こえるっていうのがそもそも謎だし、あの人も木と話せたとか。

 おばあちゃんは、透明人間とでも話しているみたいだ。

「そうね。もう今年は旅立ったってことね?わかった わかった。子どもたちにも伝えとこう。それじゃあ、あんたは、何かしてほしいことはあるかい?添え木をしてほしいとか、虫がついてるとか……。ないね。ハイハイ、わかった」

 センダンを見つめながら、独り言のようにしゃべっていた。

 少しして、おばあちゃんは戻ってきた。

「どうでしたか?」

 園長先生が心配そうにたずねる。

「だいじょうぶ。今年はね、もうヒナたちの成長が早くて飛べるようになったから、早めに別の森に行ったってさ。南の方。ここにいたのは、渡り鳥かね?」

「そうです。でも、まだ一ヵ月くらいはここにいるんですよ。いつもは」

「このへん、あんまり森がないでしょ?住宅地だから。だから、移動しつつ森に行ったらしい。だいじょうぶらしいよ。早めに巣立っただけみたいね」

 それを聞いた園長先生が、安心したようにため息をもらす。

 秋穂さんも、息子の顔をのぞいて笑う。

「よかったね。だいじょうぶだって。赤ちゃんが大きくなったから、お引越ししただけなんだってさ」

「ふ~ん。なら、また来年会えるかなぁ?」

 大地くんは、木を見上げてつぶやいた。

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