第3話


「美海ちゃんは元気ですか?」

 別れ際に、若い先生が、秋穂さんにそう聞いてきた。

「はい。もう元気すぎるくらいで。二年生からは、水泳教室にも通いはじめたんですよ」

 秋穂さんが笑って返すと、その先生も園長先生も驚きの声を上げた。

 なんだか感動感激って様子だ。

 わたしには、水泳を習うってだけでなぜそんなに驚くのか謎だった。

「娘の美海も木の声が聞こえるの」

 車の中で、秋穂さんは、わたしを見てそう言った。

「そうなんですか」

「うん。実はわたしも、小っちゃいころは、木と話せてたんだけどね」

「そうですか」

「でもすぐに聞こえなくなってさ。力が弱かったのかな?よくわかんないんだけどね」

 ふわりと笑って、そう付け加えた。

 すると、おばあちゃんが、しみじみした様子で言葉を続ける。

「うれしかったね~。姉妹そろって、の力を受け継いでくれて。これで自分も、跡継ぎができて引退できると思ったけど。まさか、こんなおばあちゃんになるまで、ことづての仕事をするとはね」

「わたしはすぐに声が聞こえなくなっちゃったんだけど、お姉ちゃんは、都会に引っ越すまで、おばあちゃんの手伝いもしていたんだよ」

「ぼくも、早く木とお話ししたいな~!」

 大地くんが、突然そう叫んで話に加わる。

「夢だもんね」

と秋穂さんは笑った。

 大地くんが、隣に座るわたしを見つめる。

「若葉お姉ちゃんは、もう話せるの?」

「わたし?ううん、しゃべれないよ」

「じゃあいつか、しゃべれるようになるよね」

「いつか……。どうだろ?」


 その夜、わたしがお風呂から上がると、出来立ての晩ごはんが湯気を立てていた。

 白ごはんとなめこの味噌汁、ホウレン草のお浸しに焼きサバ。

「…………(ビミョー)」

って感想だった。

「おばあちゃんは、昔から、木と話す仕事をしてるんですか?」

 食事をしながら聞いてみた。

「そうよ。ばあちゃんの家系は、代々そうだったから」

「お母さんも木の声、聞こえてたんですか?」

 秋穂さんにしたのと同じ質問を繰り返す。でも、もう一度聞かずにはおれなかった。

 おばあちゃんはうなずいた。

「大学生のころまでこっちにいたからね。ことづての仕事を、手伝ってもらってたよ。離れたところにいる木もあるからさ。ばあちゃん一人じゃ骨が折れるのさ」

 ことづて……。

 心の中でそっとつぶやく。

 この言葉を、わたしは、どこかで聞いた気がした。ずっと昔に。

 でも、それを考えると、胸が苦しくなった。ことづてが何なのか怖くて聞けなかった。

「ところで明日から若葉ちゃん、どうするの?」

 言葉に迷っていると、反対におばあちゃんから質問された。

「勉強道具を持ってきてるので、勉強します」

 わたしは、用意していたおりこうな答えを返した。

 今日も世の中の中学生は、一日がんばってすごしたんだろうな。勉強して部活して友達と遊んで、充実した一日をすごしたんだろうな。

 そんなことを考えると、さらに気持ちが重苦しくなる。罪悪感だ。

 ここと自分の家との距離以上に、自分と学校までの距離が、遠い。それは、もうどうにも取り返しのつかない距離な気がした。

 盗み見るように、おばあちゃんの顔色をうかがう。

 この人は、わたしのことを、どう思っているのだろうか?

 この人は、わたしが預けられた理由について、何も聞いてこない。でも事情は知っているはずだ。でないと、ほとんど会ったこともないわたしを預かったりしないだろう。

 この人にとっても、わたしは赤の他人なのだ。優しそうな顔の下では、急にわたしを押し付けられたことを迷惑に思っているのかもしれない。

 ご飯をほおばる祖母を見てふとそう思った。


「これを持って上がりなさい」

 寝る前、二階に行こうとするわたしを、おばあちゃんは呼び止めた。

 彼女が重たそうに床に置いたのは、とてもレトロな扇風機だった。

「二階のクーラー古いからね。あんまり涼しくないかもしれない。そのときは、これを使ったらいい」

 わたしは、レトロ扇風機を両手にさげて、急な階段を慎重にのぼった。

 部屋に戻ると、やりそびれていた段ボールの荷ほどきをはじめた。

 押し入れを開けると、きつい防虫剤の臭いがして思わず顔をしかめた。臭いが移ったら嫌だなと思いつつ服をしまっていく。

 つぎに勉強道具を出そうと手をのばしたら、段ボールの奥に隠れていた何かに指先が触れて、思わず手を縮めた。

 そうか。これも持って来てたんだった。

 それは、自分の部屋に置いていたあの人の写真だった。とりあえず勉強机に置く。

 あくびが出る。なんだか眠たい。スマホで時間を見る。

 まだこんな時間!?

 驚いた。いつもなら、まだまだ起きている時間帯だ。

 ベッドに座ったまま、部屋をながめる。

 少しの間、ここがわたしの仮住まいだ。

 荷解きがすんだら、何もすることがなくなった。スマホ片手に、そのまま横になった。またあくびが出る。

 今日はいろんなことありすぎた。おばあちゃんは木と話しだすし、あの人も木としゃべれたとか。秋穂さんは、それが当たり前みたいな感じだし。

「寝よ」

 スマホを充電器につなげると、部屋の明かりを消した。

「暗っ!」

 真っ暗闇だった。

 この時間帯ならば、都会の街はまだまだ明るい。今も街は楽し気な光と音に溢れ、ビルの四角い窓からも、明かりがもれているはずだ。

「夜って暗いな」

 スマホのライトに照らされた部屋。視線を感じて顔を起こす。

 写真立ての母・美樹だった。

 わたしは、この写真があまり好きじゃない。

 この写真は、お父さんが勝手に、わたしの部屋に飾ったもの。自分の意思とは関係なく、いつの間にかあったもの。家のココアと同じ。

 じゃあ なぜ持って来たかというと、祖母に気を使ったから。荷造りのときに目に入って、持っていかないと悪いのかなという気になった。

 写真の中のあの人と小さな自分。

 あの人はのんきに笑っている。これからどうなるかも知らないで。

 抱かれているわたしは、笑っても泣いてもいなかった。笑顔の母親の顔を、ただ、丸い黒目で見つめていた。

 自分が抱っこされるのも、愛されるのも、当たり前で当然のことなんだ。

 そう言っているように見えた。失うはずのない絶対の安心。

 残念でした。もうすぐその人いなくなるよ。バーカ。

 心の中で毒をはいた。

 ほらね。だからこの写真嫌いなんだ。こういう気分になるから。

 さっと写真を伏せて、わたしはベッドに転がった。

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