最終章 ことづて
第1話
世の中の中学生が冬休みに入ったころ、わたしとお父さんは、引っ越しの準備に大忙しだった。
あれから、お父さんの新しいの仕事も見つかりアパートも決まった。新しいアパートは、千代おばあちゃんの家から車で三十分ほど離れた場所にある。
ここのところ、わたしとお父さんは、マンションで荷物をまとめたり、新しいアパートで荷解きをしたりと引っ越しでバタバタだった。
そして、わたしも、一月から学校に通いはじめる。でも、普通の中学校ではなくてフリースクールだ。
これに関しては、お父さんといっしょに、うんと悩んだし、いろいろと考えた。お父さんにも、不登校の原因は心の体力不足で疲れていたからかもしれないってちゃんと伝えた。そして、その根っこには、お母さんが死んだというさみしさや悲しさがあることも、伝えた。
向こうでの新しい生活や学校と環境が一気に変わることで、また疲れ切ってしまわないか不安もあった。だから、わたしは、少人数で自分のペースで学習できるフリースクールを選んだ。今から少し緊張している。
マンションを引き払う前日、わたしは、以前通っていた中学校へ行った。
「先生に、若葉からも、ありがとうとさようならを、しっかりと伝えたほうがいいよ」
昨日の夜、お父さんにそう言われた。
わたしのことで、お父さんも、ずいぶんとお世話になったらしい。
「実は、九州行きを最初に提案してくれたのは、先生なんだよ」
「えっ!?」
それは、とても意外なことだった。
「若葉のことを先生に相談してたんだけど、その中で、お母さんが十年前に死んだことや普段は、お母さんの話題もあまりしないことを話すと先生に叱られてしまってね」
「そうなの?」
苦笑いしながらお父さんはうなずいていた。
「お父さんがそんなことじゃあ、娘さんがお母さんの死に向き合えるはずがないでしょう!ってね。おばあちゃんとも相談して、若葉さんを預けてはどうですか?その方が、若葉さんの将来のためになるはずですって。娘さんに今一番必要なことかもしれません。学校のことは心配しなくていいですからってね」
「そうだったんだ」
「あの先生、いわゆる昔かたぎなところもあるけれど、いい先生だね」
誰もいない教室で待っていると、教室のドアが開いて先生が入ってきた。
「先生、お久しぶりです」
わたしの顔を見るなり、先生は大げさなほどの笑顔になった。
「おぉ!
「そ、そうですか」
先生の圧に、わたしは押され気味に返した。
「ああ。それに日焼けもしたか?色、そんなに黒かったか?」
あいかわらず、ズケズケと言いたいことをそのまま口にしてくる。
「多分。おばあちゃんの畑を時々手伝ってるので」
「畑か。そりゃあいい!」
先生は、わたしの前に座ってわたしの顔を覗き込んできた。
わたしは、思わずのけ反った。
「なるほど、お前、そんな感じなんだな」
「はい?」
「いや、やっと本当の三日月と会えた気がするって言うか。ま、どちらにしても、前よりも、とてもいいって感じだ。ガハハッ」
わたしは、向こうの中学校に転入することや向こうでは、中学に在籍しつつフリースクールに通う予定だということを先生に伝えた。
「先生」
「なんだ?」
「手紙に書いてくれてた乗り越えないほうがいい壁って、なんですか?」
ふいに手紙のことを思い出してそう聞いてみた。
わたしの問いに、先生は表情をすっと引っ込めた。口を結んで教室の隅の机に顔を向けた。誰もいない場所に、誰かを見ているようだった。
「ずっと昔に、受け持ってた教え子でね。自殺をしてしまった子がいるんだよ」
驚きのあまり、わたしは言葉が出なかった。
先生は静かに言葉を続けた。
「友だちもいたし、イジメられているわけでもなかった。ご両親とも、これといって問題があったわけではなかったが……」
なら、どうして自殺なんてしたんだろう。
そう思った。けれど、恐ろしいことかもしれないけど、なんとなくわかる気もして何も言えなかった。
「原因は今でもわからない。ただ、その子は、ふとしたときに、すごくさみしげな顔をする子だった。何かを探してさまよっているような子だったな。手に入れたい何かがあったのか、居場所を求めていたのか……。探して探してさまよって、それで、決して越えるべきではない壁を越えて、行ってしまったね」
「そうですか」
「ときどき思うんだがね。先生、その子は、死んだんじゃなくて消えたんだと思うんだ」
「わかります」
素直にそう言ってしまった自分にハッとした。思わず先生と目を合わせる。
先生は、
「そうかい」
とだけ優しく言った。
「よし!」
急に先生が気合いを入れて立ち上がる。
わたしは、びっくりして座ったままそれを見ていた。
先生が教壇に立つ。
「出席番号20番、三日月若葉!」
「え?」
あっけにとられてわたしは小さくそう言った。
「起立っ!」
大声でそう言われて、身体が反応する。しゃきっと背筋を伸ばして立ち上がった。
「出席番号20番、三日月若葉!」
「ハ、ハイ!」
わたしがそう言うと、先生はニヤリと笑った。
「まだ三学期が残ってるが、一足早く学年末の終業式だ。いや、この中学校を巣立つと考えると卒業式だな」
そう言うと、教壇に立ったまま、先生がまっすぐわたしを見た。
「卒業おめでとう。卒業証書はないから、代わりに握手だ」
そう言うと、先生が腕を伸ばしてきた。わたしは、教壇の前まで来てその手を握る。先生の手は、力強かった。
「よかったな、三日月。いるべき場所が見つかって。でも、忘れないでくれよ?先生にとって、三日月も、先生が受け持った多くの教え子の一人だからな。そして、長い教師人生の最後に受け持った生徒の一人だからな。それは、これからもずっと変わらんからな。がんばれ!」
「はい!」
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