第2話


 十二月三十日。

 数日前から、わたしとお父さんは、おばあちゃんの家ですごしている。

 今日は、二人で大掃除の手伝いをしていた。お正月もここですごす。

 わたしとお父さんが二人で仏壇の掃除をしているのをながめ、おばあちゃんはうれしそうに笑った。

「よかったね。お父さんといっしょに暮らせるようになって」

 なんだか満足気だ。それがちょっと、わたしには不満だった。

「もういっしょにいられなくなるんだよ?ことづての仕事も手伝えないかも。せっかくの弟子を逃がしてもいいんだ?」

 少し非難めいた口調で返した。

「いいさ!」

 おばあちゃんは大きくうなずいてみせた。

「学生は勉強が本業よ。仕事はいつだって教えてあげる。ばあちゃんも、まだまだがんばるから!美海ちゃんもいるしね。若葉ちゃんも、もっとやりたいことを見つけなさい。ことづての仕事は、ぼちぼちよ」

 そう言うと、おばあちゃんは、今度はお父さんに向かい合った。急に神妙な顔つきになる。

優一ゆういちさんも。あんまり仕事ばっかりにならんようにね。もっと気楽にいかないとね」

「そうですね」

 お父さんは、苦笑いしながら頭をかいていた。

 少しして美海ちゃんたちがやってきた。大地くんが、猛ダッシュでわたしに飛びつく。

「大掃除もうすんだぁ?」

 そう聞いてきた。

「だいたい。そっちは?」

「ぼくは今日、窓ふき手伝った!」

 自慢げに返す。

「自分の部屋の片づけが後少しだけ」

 美海ちゃんがそう付け加えた。

 秋穂さんは、ピカピカになった仏壇を見て感激している。

「仏壇まで掃除してくれたんですね。ありがとうございます」

 お父さんとわたしを見てそう言った。

「ありがとうございました。いつもはわたしたちが手伝いに来るんですけど、今回は任せっきりで」

 圭介おじさんもお父さんに頭を下げた。

「いえ」

 困ったように、お父さんが手を振った。

「ずっと何もしてこなかったのは、こっちだから」

「遠いし、向こうで仕事も生活もありますからね。仕方ないですよ」

 圭介おじさんは、落ち着いた口調で言った。

「ちょっといいね?」

 みんなで話をしているとき、おばあちゃんが、わたしたちに向かって声をかけた。

「今から姫さんとこに行こう」

「どこか行くんですか?」

 そうお父さんが聞き返す。

「うん。近くの神社に」

「あ、それなら、どうぞみなさんで。わたしは留守番しときますから」

 お父さんは、遠慮がちに言った。

「い~や。家族の大事な話だから、できれば来てくれないね」

 おばあちゃんはそう返した。

 わたしはお父さんの腕をつかんだ。

「いっしょに行こう!前に言ってた輝葉姫がいるところなんだよ。お母さんと友だちだったくすのきなんだよ」

 わたしは、お父さんを玄関に引っ張っていった。


 七人が、樹齢1400年の大楠おおくすの前に集った。ぞろぞろとやってきた妙な集団を見渡して、輝葉姫は、うれしさ半分おかしさ半分といった具合に笑っている。

「わたしら家族にご先祖さんが残してくれたことづてのあるのさ」

 輝葉姫にあいさつすると、おばあちゃんは、みんなに向かってそう言った。

「本当はね。圭介さんにも優一さんにも、もっと早く伝えてよかったんだけど。まぁみんな忙しいし、なかなか集まる機会もないから今になってしまった。別に急がなくてもいいて思ってたけど、そんなこと言ってたら、この先も、ないかもしれないもんね。だから今日は、集まってもらったんだよ」

 そう言っておばあちゃんは、わたしたちみんなの顔を見た。そして輝葉姫を仰ぎ見る。

「この楠の輝葉姫にご先祖さんが残してくれたことづて。本当はとっても長い物語だからね。とても一日では語りつくせないから、今日は、そのはじまりだけ。触りの部分だけだけど大切な部分だから、聞いてちょうだい」

 木の声が聞こえない四人はおばあちゃんを、わたしと美海ちゃんは、おばあちゃんと並び立つ輝葉姫を見つめた。

「昔、わたしが若木だったころ、このあたり一帯は、まだ木々が生い茂る森で、古い木たちが人とともにある山里でした。そして、その山里を、木霊依姫このたまのよりひめという女性が治めていました」

 輝葉姫とおばあちゃんは、声を重ね語りはじめた。


「木霊依姫というのは、一人の名前ではなく、この山里とそこに住まう者たちを治めていた女性が、代々受け継いできた名です。今のわたしの姿は、わたしに輝葉という名を与えてくれた姫の姿。木霊依姫の名を継ぐ最後の姫。彼女の名前はミネと言いました。

 わたしとミネが出会ったのは、彼女がまだ幼いころ。冬が終わり、葉が新しく芽吹く季節でした。先代の姫の孫娘である彼女も、幼くして、わたしたち木の声を聞く力を宿していました。

 わたしたちは、出会ってすぐに親しくなり、そして、ミネは、まだ名前のなかったわたしに、輝葉てるはという名前を与えました。

 ときが経ち、ミネが木霊依姫の名を継いでからも、わたしたちはよき友でした。

 ある日、ミネが山里の姫になって間もないころ、里の外から、一人の若者が森を訪れました。

 霧かすむ静かな夜。彼は、夜露で黒い髪を輝かせ、一羽の白い鳥を従えていました。

 ミネは、外から来たその者に、ここへ来たわけを問いました。

 彼は言いました。

 遠くのくにより、あちこちを巡る旅をしているのだと。木と話すことができる姫のことを聞いて、この森に入り、村を見つけられずに迷っていたのだと。

 ミネは、わたしがこの里の姫だと言い、彼を村へと導きました。

 わたしのもとでふたりは出会い、そして、そのえにしは結ばれたのでした。

 若者はミネの村で暮らし、やがてふたりには、女の子の子どもができました。

 それからも、ミネは、家族や里の人たちや木たちと幸せに暮らしていました。

 ですがあるとき、ミネの愛する人の白い鳥が、矢傷を受けて、わたしの枝に舞い降りました。

 それは、大地の果てより、鉄の武器と炎を手にした人々がこの地を襲う知らせでした。

 森の木々は次々と焼かれ、古いことづての木々も切り倒されました。

 人々は、山の奥へと隠れ、ミネの愛する人は、里の男たちと武器を携えて出て行きました。そして、そのまま、戻ることはありませんでした。

 自分の娘を人々とともに山へ逃がし、姫として最後までここに残ったミネは、胸に矢を受け、わたしの根元に倒れました。

 そのときミネは、わたしにことづてを頼みました。自分の娘へ。

『わたしの姿となって、あの子の話し相手になってほしい。あの子が悲しい思いをしないように。そして木霊依姫の物語とことづての役目を教えてあげてほしい』

 そう言い残し、ミネは息絶えました。

 こうしてわたしは、大切な友とその子のために、彼女の姿をまとい、人の姿となってたちあらわれました。

 森と里が焼き払われた後、ミネの娘は、山に隠れた人々とともに暮らしました。ことづての力を受け継いでいたその子は、母からのことづてを子へ孫へ伝え、そして、わたしも、彼女たち彼らへと伝えました。

 今までの木霊依姫たちの言霊と最後の姫の残したことづてを。

 だから、ここにまた伝えます。

 ミネとその先を生きるあなたたちへ、あなたたちの家族のことづてを」


 輝葉姫の話は、そこで終わった。

 これが、わたしが小さな頃から見ている夢の真実だった。わたしの遠い祖先、ミネの物語だった。三歳だったわたしに、お母さんが伝えてくれた物語だ。

 遠い遠い昔に、ミネは、まさにここで死んだのだ。大切な娘を残して……。

 わたしは泣いていた。そっと、わたしの肩にお父さんが手を置いた。お父さんを見上げると、お父さんの顔は楠を見上げていた。

 横を見ると美海ちゃんも泣いていた。いつもは騒がしい大地くんも黙っていた。鼻先を赤くしたお母さんを、大地くんが見上げる。それに気づいた秋穂さんは、何か言おうとしたけれど、何も言わずに大地くんを抱きしめた。圭介おじさんは、秋穂さんや子どもたちを見つめていた。愛おしそうな表情だった。

「こっちに来て」

 輝葉姫は、わたしと美海ちゃんと大地くんに手招きした。大地くんを真ん中に挟んで、肩をぶつけるように、輝葉姫の前に三人並んだ。

 何をする気だろう?

 そう思った瞬間に、輝葉姫が、わたしたちを腕の中に抱きしめていた。

「たったこの前まで小さかった美樹ちゃんと秋ちゃんは、いつの間にか立派なお母さんになっちゃって。ほんのこの前まで豆粒くらいに小さかった千代ちゃんは、いつの間にかおばあちゃんになってた。多分あなたたちもそうなんだろうね……。でも今日のこと、忘れないで」

 大地くんにはその姿は見えない。でも、大地くんは、何かを感じたのか黙って、まっすぐ楠を見上げていた。


 大晦日おおみそかの朝。

 まだおばあちゃんも起きていない時間に、わたしは目が覚めた。

 ベランダ窓をそっと開ける。痛いほどの澄んだ冷気がわたしを包んだ。一呼吸ごとに生まれ変わるような感覚だった。

 わたしはひとり、仏壇の前に正座した。ろうそくに火をつけて線香をあげる。りんを軽く叩いた。清らかな音はふるえ、波紋が広がる。

 しばらくお母さんの写真を見つめてから手を合わせた。

 目を、閉じる。

 お母さん。わたし、お母さんのこと、ずっと見ないようにしてた。心の奥に閉まってた。自分で隠しておいて、お母さんがいないってさまよって苦しんでたんだ。でも本当は、毎日毎日、ずっとお母さんのこと思ってた。ずっと探してた。

 だけど、それじゃあ毎日生活できないんだ。生きていけないんだ。だから、これからは、お母さんのこと、普段はいったん忘れて暮らそうと思う。

 でも信じて。嫌いなわけじゃないから。完全に忘れ去ることもないから。お母さんのことづても、ときどき思い出して、守れそうなものは守ってみるよ。

『わたしは、大地からあなたを見守っています。土や木に宿っています。それじゃあ、元気でね』

 うん。ありがとう。さようなら。お母さん。

『若葉、ずっと大好きよ』

 わたしも大好き。


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