第3話


「ごめん。すぐに帰ってきちゃった」

 到着ロビーで待っていた千代おばあちゃんに、わたしはそう言った。なんだかとても照れ臭かった。

「いいさ。おかえり」

と、おばあちゃんはほがらかに笑った。

「おかえりー!」

 大地くんの声がロビーに響き渡った。きらっきらの笑顔でわたしに飛びついた。

「おかえりなさい」

 隣にいた美海ちゃんもそう言って笑った。

 今日は日曜日。二人も、わたしを迎えに来てくれていた。


 おばあちゃんの家に帰りつくと、わたしは、縁側から足を投げ出して、廊下に大の字に寝っ転がった。

 美海ちゃんが、わたしの横に座る。同じように足を投げ出して足をブラブラさせる。

「白玉団子があるから、みんなでお茶にしようかね」

 おばあちゃんが、そう言って台所へ向かう。

「もうすぐお月見って先生が言ってた」

 大地くんがそう言いながら、おばあちゃんの後を追った。

 寝っ転がったまま横を向くと、美海ちゃんは、飛んでいる赤トンボを見ていた。

 美海ちゃんって、勇気あるよな。

 そんな美海ちゃんを見ながら、わたしは思った。

 わたしは、視線を美海ちゃんの足に落とした。右足。

 夜中に、こっそり二人きりでアイスを食べたあの日、美海ちゃんは、ずっとわたしのことが嫌いだったと言った。それで意地の悪いことをしていたと謝った。

 あれって、普通なことじゃない。勇気あることだよな。

 だって、自分はそれができていないから。

「なに?」

 黙って自分を見ているわたしに気がついて、美海ちゃんが首をかしげる。

 わたしは起き上がって美海ちゃんの顔を見た。

「美海ちゃん、聞いてほしいことがあるんだ」

 美海ちゃんがうなずく。秋風が吹いて、美海ちゃんの髪が揺れた。

「ずっと言えなかったけど、わたしも、美海ちゃんに謝らないといけないことがあったんだ」

「なに?」

「ケンカして、仲直りした日のこと、憶えてるでしょ?」

 こくりと美海ちゃんはうなずいた。

「あの時わたし、美海ちゃんのことかわいそうなんて思ってないって言ったよね」

「うん」

 わたしは、ごくりと息を呑み込んだ。その言葉を口に出すのが恐ろしかった。

 美海ちゃんとケンカして、わたしの心に、ドロドロと渦巻くカオスが溢れ出した。

 美海ちゃんの勇気ある言葉で、その上澄みは消え去っていた。

 けれど、実は、心の奥底には、まだドロドロとしたものが残っていた。普段は、決して覗き込むことはない、自分自身の感情の、その深い部分。わたしは、そこに、思い切って顔を突っ込んだ。

 わたしは、秋穂さんの悲しみの一つに美海ちゃんの右足の障害を当てはめている。それは、どうしようもない事実だった。

 美海ちゃんも言っていたけど、実際にそうだったのだ。きっと、お父さんの圭介おじさんだって、おばあちゃんだってそうだったかもしれない。

 そりゃ、そうだ。みんな、ショックだったにちがいない。悲しかったに決まっている。つらかったに決まっている。それは当たり前だと思う。

 だけど、そう思うってことは、障害があるってことを不幸だと思ってしまっている自分がいるからなわけで。やっぱり自分は、美海ちゃんのことをかわいそうという目で見ていたのだ。認めるしかない。

 これは、仕方のないことなのかもしれない。秋穂さんたちの悲しみやつらさも本当。美海ちゃんの思いも本当。両方とも確かにあるんだから。どちらがいいとか悪いとか、軽いとか重いとかはないんだから。

『美海ちゃんのこと、かわいそうなんて思ってないよ』

 美海ちゃんとケンカして輝葉姫の下で仲直りしたあの日、わたしは彼女にそう言った。そのとき、美海ちゃんは何か言いたげで、その言葉を呑み込んだのを憶えている。

『嘘だ。かわいそうって目で、見てるよね?そんな目で見ないでよ。かわいそうと思われるの、嫌なんだ。すっごく傷つくんだ』

 人の心は複雑で、本当のところは美海ちゃんがどう思っていたのかなんてわからない。でも想像するに、そんなことを言いたかったのだと思う。

 そして、きっと、美海ちゃんのことをかわいそうだと思われることは、秋穂さんたちも望んではいないはずだ。

 これが正解なのか、正解と言うものがあるのかも分からないけれど、それが、今のわたしの考えだ。

「あれ、嘘なんだ。わたし、やっぱり美海ちゃんのことかわいそうって思ってたんだと思う。でも、バカにしてるとか、そういうことじゃないよ。バカにしたりはしてないんだけどね。でも、やっぱり、かわいそうと思ってたんだと思う」

 そう言うと、まっすぐ美海ちゃんを見つめた。

「ごめんなさい」

「うん。いいよ」

 美海ちゃんは、ゆっくりとうなずいた。

「あ、でも、今はもう思ってないからね」

「うん。わかってるよ」

 美海ちゃんはそう言うと笑った。

「今では、すごく素敵なものじゃないかとも思ってる」

「え~、素敵かな?」

「うん。夏に川遊びに行ったでしょ?そこで、飛び込みを水中から見てたでしょ」

「うん」

「あのとき、美海ちゃんが岩の上から飛び込んだの見てシンクロ選手みたいって言ったけど、あれ本当はちがうんだ。シンクロの選手になんて見えなかった」

 その言葉を聞いて、美海ちゃんは戸惑ったような表情をした。

「ごめん。ええっと、言いたいことはね。あのとき、本当はもっとキラキラしたものに見えてたってこと。光る泡の中から生まれた人魚姫みたいに、すごく素敵だった。この世のものじゃないくらいにね。きれいに見えたんだ」

「びっくりした。今さら何のことかと思った」

 美海ちゃんは、口をとんがらせてそう言った。怒っているというよりも照れているみたいだった。ほっぺたが赤くなっていた。

 でも、わたしの顔も多分赤く発光していると思う。顔全体がじんじんしびれていた。

「でも、わたし、人魚姫みたいに泡になって消えたりしないよ」

 最後に美海ちゃんは、少し上を向いて、わたしをまっすぐに見た。

 わかってる。美海ちゃんは、泡になって消えるほど、はかなくも、か弱くも、ないからね。

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