第2話


 次の日、わたしは、おばあちゃんから散歩に誘われた。

「どこに行くの?」

「近くの神社。若葉ちゃんに会わせたい人がいるの。人っていうか木だけどね」

 おばあちゃんはほがらかに笑った。

 田んぼ道をくだり、家並みの間を抜けて歩いていく。

 川のそばに神社があった。

 敷地内に階段があり、境内から、河川敷に降りられるようになっていた。

 コンクリートの遊歩道が、川下まで続いている。山手側には、川に架けられた朱色の鉄橋が見えた。

 そして神社の石垣と遊歩道に挟まれた斜面に一本の大きな木が立っていた。

 驚きのあまり、わたしは、突っ立ったまま黙ってその景色を見つめた。

 夢に出てくる光景。あの場所が、本当にあったなんて……。

 夢であの人が寄り添っていた木。そっくりそのままだった。幹が境内にまでのびあがっている。その枝は、まるで風で舞うように、空に弧を描いていた。

 どうやら、わたしの仮住まいの部屋から見えている木は、これなようだ。こんなに大きな木は、このあたりにはこれしかない。

「どうしたの?」

 おばあちゃんが不思議そうにわたしを見る。

「なんでもない」

「姫さん。美樹の娘の若葉ちゃんを連れてきたよ」

 おばあちゃんは、木に向かって、一人でうなずいて笑った。

 木の声が聞こえないわたしには、なんだか変に思えた。誰かがこの光景を見たら、きっと奇妙に思うだろう。

 離れて立っているわたしに、おばあちゃんが手招きする。

「彼女はね、くす輝葉姫てるはひめていう名前でね。ときどきしゃべりに来るの」

「てるは?」

「そう。輝く葉っぱて書いて、輝葉」

 わたしは、もう一度、木を見上げた。

 風が流れていく。

 たくさんのエメラルド色の葉が揺れている。

 しゃらしゃらと、全身に葉音が降りそそいだ。

 輝葉。

 その言葉も、わたしはどこかで聞いたことがあるような気がした。夢の中で、かもしれない。

 あの人も木の声が聞こえていた。と言うことは、夢の中でもきっと、この木と話をしていたのだろう。やはり、あの怖い夢の一部は、わたしの本当の記憶の欠片かけらなのかもしれない。

 おばあちゃんは、斜面の草地にゆっくりと腰を下ろした。

 わたしは、少し距離を開けて座る。

 目線の位置に川が流れる。ゆったりと流れる大きな川だった。

 これも、夢の中と同じだ。夢の中の小さな自分が見ているのと同じ目線で、今わたしは同じ景色を見ている。

 なんだか不思議だった。夢なのか現実なのか、少し、あやふやな感じ。

 川下に、シラサギが一羽、たたずんでいてわたしはドキリとした。夢に出てくる白い鳥もシラサギなのだ。

 じっと水面を見ている。魚を狙っているらしい。こちらの視線に気づいたのか、ふいに顔を上げた。

 目が合った瞬間、胸がこごえるようにふるえた。そして、心臓の鼓動が早くなる。肺を締めつけられるような息苦しさを感じた。

 おばあちゃんは、その木だけでなく、わたしにも話すようにしゃべりはじめる。

「秋も美樹も、よくここに来てたね。特に美樹と姫さんは仲良しだったもんねぇ」

 わたしは、おばあちゃんの言葉を背中で聞いた。目は、対岸の道路を走る車を追い続けた。

「姫さんがね。ここに来たことがあること憶えてるねって。ずっと昔に、若葉ちゃんがまだ小さかったころ、お母さん、若葉ちゃんを連れてここに来たことがあるんだけど、憶えてる?」

 わたしは、祖母の顔も木も見ずに、小さく首をかしげた。

「はっきりと憶えてはないんだけど、でも時々、ここの景色を夢で見てた。やっぱり、ここに来たことがあったんだね」

と、わたしは答えた。

 それ以外の不吉な部分、つまり矢が刺さったシラサギが来てあの人も矢で射抜かれることや周囲が炎に包まれることはおばあちゃんには言わなかった。

「この輝葉の姫さんはね。ばあちゃんたち家族にとって大事なことづての木でもあるんだよ」

 ことづて。

 わたしはまた、心の中でつぶやいた。

「お母さんのこと、いろいろ知りたいことがあったら、姫さんと話してみたらいい。ばあちゃんが、二人の言葉をつなぐから。それが仕事だからさ。もちろん、ばあちゃん自身が知ってることでもいいよ。美樹は、ばあちゃんの娘だからね」

 なんだか、さっきから心臓がバクバクして、弾けてしまいそうだ。

 苦しい。

 わたしは、何も言えず黙っていた。

 ここから逃げ出したい。

 そう思いながら、

「また、いつか」

とだけ、必死で伝えた。

「そうね。まあ、ここにいる間、いつでもいいものね。ばあちゃんも姫さんも、いつでもいいから。気が向いたときにね」

 それから少しの間、おばあちゃんは親しげに、その木と話をしていた。

 わたしは、この時間が早く過ぎ去るのを縮こまるようにして待っていた。

「若葉ちゃん」

 おばあちゃんに呼ばれ、わたしは、岩のように重たい頭を上げた。おばあちゃんの顔を見るのにとてもエネルギーがいった。

「姫さんが、またおいでね、だって。一人で来てもいいからって。たとえ若葉ちゃんが木の声が聞こえなくても、姫さんは、ちゃんと話を聞いてるからね。若葉ちゃんも、姫さんと話したいことがあったら来たらいい」

 わたしは言葉なくうなずいた。

「じゃあ、あたしもまた来るから。……うん。若葉ちゃんも、またね、だって」

「はい」

 階段をのぼり境内に戻る。そばに看板が立っていた。この木の解説だった。くすのきという名で、樹齢は1400年くらいあるらしい。

 わたしは、境内にのびあがる枝を仰いだ。

 太い幹が、途中で、三股みつまたに枝分かれしていた。まるで腰かけのようになっている。幹やその腰かけにもコケやほかの植物が根付いていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る