第2話


 その日の夕方。

 いつものように、わたしは庭の掃除をしていた。

 昨日は小雨がぱらついていたけれど、今日は一日天気がよかった。最近、晴れる日も多くなった。いよいよ、梅雨明けが近いらしい。

 ほうきで落ち葉やちりを集めると、わたしは大きく背伸びをした。

 腰が気持ちいい。

 今日の夕空は、不思議な色をしている。

 空全体がオレンジ色のグラデーションになっている。その空に、薄っすらと雲がかかって、青や黄や紫に染まっていた。

 おばあちゃんは、畑の方で、うねにかけていた雨よけのビニールを外している。

 おばあちゃん家の畑は、なかなかに広い。テニスコート一面分くらいはあるだろう。

 畑では今、ナスやジャガイモやトマトなどの夏野菜とスイカを栽培しているそうだ。

 そのほかにも、ミカンの小さな木に柿や栗の木までもある。

 栗の木は、種から育てたらしい。どこか山奥の村にある立派な栗の大木の、その実をもらったんだとか。

 わたしは、目の前にある栗の木の前に立った。

 大きくて細長い葉っぱがたくさんついている。

 わたしは、今日の出来事を思い出していた。白石さんたちは、おばあちゃんにとても感謝していた。

 ことづて。

 その言葉の意味を、わたしはまだ知らない。だけど、今日のことで、ことづての仕事っていうものは、ほんの少し理解できた気がする。

 木と話ができることづての力……か。わたしにも、その力があるのだろうか?

 秋穂さんは、小さいときは木の声が聞こえたらしいけど、今はもう聞こえないらしい。そんなわたしは、今まで生きて来て、木の声が聞こえたなんていう経験はなかった。わたしは、最初から、ことづての力を受け継いでいないのかもしれない。

 木と話せるって、どういう感じなんだろうな?もし木とおしゃべりできたら、楽しいのかな?

 そよそよと風が吹いている。

 木々が枝を揺らして、葉音を鳴らしていた。

 ここのみんなも、おしゃべりとかしてる?

 心の中で、わたしは、木々に話しかけてみた。

 急にやって来たわたしのこと、どう思ってる?わたしって、どこかおかしいのかな?急に学校に行けなくなったんだ。どうすればいいと思う?みんなは、いつからここにいるの?わたしより背の低い子もいるけど、でも、昔からここにいるんだよね?あの人のこと、みんなも知ってるんだよね?

 すると、柔らかな栗の葉が、わたしの頬を優しくなでた。

 わたしは、栗の幹にそっと手を触れた。


「ねえ、おばあちゃん」

 夕食のとき、わたしは、ずっと聞いていなかったことづての意味を聞くことにした。それは少し勇気がいることだった。一度聞いてしまったら、もう元には戻れなくなる。そんな気がした。

「どうしたの?」

「ことづてってどういう意味?」

 おばあちゃんは、小さくうなずいた。

「ことづてって言うのはね、おばあちゃんたちみたいに木と話ができる人のことよ。そして、そんなことづてが伝える言葉もまた、ことづてって呼ぶね」

 そう言うと、静かにはしを置いて言葉を続けた。

「この地方には、長く生きる木がたくさんあってね。ことづての木ってばあちゃんたちは呼んでる。輝葉の姫さんも、その一人。木は、自分じゃ動けないでしょ?だから、ばあちゃんたちが、出向いていくのさ。木から人へ。人から木へ。木からほかの木へ言葉を伝える。木と人、木と木、そして人と人をつなぐ。それが、ことづて」

「そうなんだ」

「うん。でも今は、人に頼まれて木の調子を見たり、木の話し相手になるくらいだけどね」

 そう言い終えると、おばあちゃんは、ためらうような目でわたしを見た。

「若葉ちゃんのお母さんもね……。美樹も、輝葉の姫さんに、ことづてを残してるんだよ。若葉ちゃんへの」

 わたしの胸が、小さくふるえた。

「ばあちゃんも、その内容は知ってる。もし若葉ちゃんにことづての力がなくても、ばあちゃんから教えられるようにね」

「そうなんだ」

 あの人が、わたしにことづてを……。いったい何を伝えたかったんだろう?言いたいことがあるんなら手紙にするなり動画に残せばよかったのに。そっちの方がいいだろうに。

「まあ、夏はこれからだし。いつでもいいもんね」

 何も言わないわたしを見て、おばあちゃんは、そう言って、またご飯を食べはじめるのだった。


 夜。寝る前に、わたしは机に向かっていた。

「ふう、終わった」

 気持ちよくため息をはいて顔を上げる。

 達成感。今日やろうと思っていたところまで進むことができた。

 ムカデ事件以来、わたしは、割と真面目に勉強に取り組むようになっていた。勉強したはずの内容をほとんど忘れていることがとてもショックだったのだ。

 おばあちゃんから約束させられた規則正しい生活は、(ちょっと憎いけれど)わたしの体調を少しずつよくしていった。元気も出てきた。

 あれから、自分なりに学習計画を立てて取り組んでいる。少しずつだけど前に進んでいる気分だ。塾の参考書だけでなく、(ちょっと悔しいしイヤだけど)ジジ先のプリントも活用している。

 少しずつだけど、戻れている気がするのだ。学校に行けなくなる前に。ここに来る前に。

 前までは、心ばかりが焦って、でも実際は何もしなくて、それで身も心も憂うつになって、それでまた何も手につかなくなって……、その繰り返し。

 でも、勉強に集中したりおばあちゃんの手伝いをしているときは忘れられる。考えても仕方のないことだ。

 夏の間、この調子で頑張っていけば、きっと学校にも戻れると思う。元々、学校が嫌で不登校になったわけでもないのだ。ちょっと疲れてただけなんだ。都会の自分の家に戻ったら、きっと、すべてが元通りになる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る