第3話


「若葉姉ちゃん」

 耳元で声をかけられて目が覚める。いつの間にか寝ちゃってたらしい。

 大地くんがこっちを見ていてびっくりした。

「どうしたの?」

「姉ちゃんがどこにもいない」

と大地くんは言った。

 一階に降りていく。玄関を見ると義足がなくなっていた。

 大地くんが、それを見てつぶやく。

「神社の木のところと思う」

輝葉姫てるはひめのところ?」

「うん。悩みごとがあったりしたら聞いてもらってるから」

 さっきの思いつめたような表情の美海ちゃんを思い出すと少し心配になった。

 わたしは、大地くんと一緒に外に出た。おばあちゃんには、散歩に行くとだけ伝えた。

 神社の境内から、川岸に続く階段を下りて大楠の根元を見やった。

 丸まった美海ちゃんの背中が見えた。

 わたしは安心して息をもらした。

 美海ちゃんは、木陰に座り、腕に顔をうずめていた。隣には、彼女に寄り添うように座る輝葉姫もいた。

 わたしたちに気がつくと、輝葉姫は首をのばしてほほえんだ。

 足音が聞こえたのか美海ちゃんも顔を上げる。

 わたしの姿を見ると、口をへの字にした。

 わたしは、美海ちゃんの顔を見て、泣いていたんだなと感じた。

「やっぱりここにいたね!」

 大地くんは、うれしそうにわたしを見上げた。

「隣、座ってもいい?」

 遠慮がちにわたしは聞いた。

 美海ちゃんは相変わらず無言だった。

 わたしは、少し離れたところに腰を下ろした。

 川の中では、魚が気持ちよさそうに群れをなして泳いでいる。お姉ちゃんを見つけられて安心した大地くんは、今はもう、その魚に夢中になっている。

「美海ちゃんが木と話せるようになったのって、いつごろ?」

 風と水音を感じながら、わたしはそう聞いた。

 口を利かない美海ちゃんの代わりに輝葉姫が口を開く。

「ずっと小さなころからだったね。千代おばあちゃんに連れられて、よく遊びにも来ていたもんね」

「保育園の木ともおしゃべりしたことある?センダンっていう大きな木があったでしょ?」

「憶えてない」

 美海ちゃんの声だった。

 放り投げるような言い方だったけれど、わたしは、美海ちゃんの声が聞けて少しほっとした。

 わたしは、ふと保育園の先生たちを思い出した。

 美海ちゃんが水泳教室に通っていると聞いて、すごいって感動していたが、その理由がわかった。

 やっぱり大人もそうなんだよな。それが普通の反応。

「わたしさ、こっちに来るまで木と話せる人がいるなんて知らなかった。だから、ちょっとビックリって感じ。女の人しか、こういう力ってないのかな?」

「知らない」

 美海ちゃんはそっけない。

 輝葉姫がわたしに顔を向ける。

「そういうわけじゃないよ。男のことづてだっているよ。何人も知ってるよ。でも確かに女の人の方が多いね」

 風が吹く。

 水面みなもが揺れて、輝葉姫の大楠の葉がさやいだ。たくさんの葉音が降りそそぐ。

 わたしは、そっと美海ちゃんの表情をうかがった。美海ちゃんは、膝に顔をうずめたままだった。

 ジーンズからのびる義足に目を落とす。ラインストーンが、光を受けて輝いていた。

「そのラインストーン、自分で作ったの?それとも元からそういうデザインのがあるの?」

 すると美海ちゃんは、少し顔を上げて、川面の光を反射する自分の義足に目を落とした。

「お母さんと一緒に作った」

 むすっとしているけど、どこか誇らしげな声だった。

「作ったんだ。上手だね」

 一呼吸置いてから、わたしは言葉を続けた。

「触っても、いい?」

 少しの間があって、美海ちゃんはうなずいた。少しだけ、右足をわたしの方へと向けた。

 わたしは、ラインストーンの表面に手をのばした。

 触れる瞬間、恥ずかしいほどに指先がふるえていた。

 宝石の形をしたデコレーションシールだった。

「こういうの百均とかに売ってるでしょ?それを買って貼ったの」

「……美海ちゃん」

 義足を見つめたまま、息をはくようにわたしは言った。のどが緊張している。

「その。昨日からごめんね。なんかよくわかってなくて。でも、わたし、美海ちゃんのこと、かわいそうなんて思ってないよ。かわいそうだから助けようとしたわけでもないんだ」

 美海ちゃんの気持ちは、正直まだよくわからない。でも、とりあえず早く仲直りをしたかった。今の険悪な関係のままに夏をすごすのは、とてもじゃないけれど耐えられない。

 美海ちゃんは、ゆっくりと顔を上げた。

 かすかに揺れる瞳が、わたしを見つめる。

 彼女は、一瞬、何か言いたげな表情をした。でも、それをみ込むように口を動かすと、

「わたし、自分でできないことはちゃんとできないって言うから。手伝ってもらいたいときはそう言うから。それ以外のときは普通にしてて」

と、そう言った。

 その言葉は、どこかに迷いを抱きながらも力強さがあった。

「わかった。今度からそうする」

「わたしも、ごめん。さっきひどいこと言って」

「ううん。いいんだ」

 わたしたちは帰ろうと立ち上がった。

 輝葉姫が、美海ちゃんに声をかける。

「今度、秋ちゃんも連れてきて。久しぶりにお話がしたいから」

「わかった」

「美海ちゃんも、いつでもおいでね」 

「うん。ありがとう」

 美海ちゃんは笑顔で手を振った。

 帰ろうと弟を呼ぶ。

 輝葉姫は、つぎにわたしにも顔を向ける。

「若葉ちゃんも、いつでも」

「はい」

 わたしは小さく答えた。

 一瞬、この前見た夢のことを思い出した。あの人の代わりに、輝葉姫が矢で射抜かれる場面だ。

 だけど、今の輝葉姫を見ても、そんな傷は見当たらない。

 あれはやっぱり、ただの夢なのだろうか?どこまでがただの夢で、本当の記憶なのだろう。輝葉姫に聞けばわかることだ。あの人のことづても、そして、あの人が最後にわたしに言っている言葉も……。

「輝葉姫」

 聞いてみようかと思った。

「なに?」

 輝葉姫は、黙ってわたしの目を見つめていた。じっと耐えるようにして、わたしが何か言うのを待っているようだった。

 わたしは、その眼差しに耐えられず、目線を足元に落としてしまった。

 どうしてこんなに、苦しいんだろう?

 何も聞けなかった。

「帰ります」

 そう答えるのが精いっぱいだった。

 輝葉姫は、気を取り直したように表情を和らげてうなずいた。

「ありがとう。またゆっくり話そうね」

 すそ野に広がる田んぼ道を三人で歩く。幼い姉弟の少し後ろをわたしは歩いていた。

「ばあちゃん家まで駆けっこしよー!」

と突然、大地くんがそう言って走り出す。

「転ぶよ」

と、お姉ちゃんが言葉をかけた次の瞬間に弟は転んだ。

「痛い」

 小さな声が聞こえる。

「もう」

 あきれてため息をついた美海ちゃんが、わたしを見て笑った。

 わたしはほっとした。とりあえず、美海ちゃんと仲直りできたみたいだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る