第37話 徳川宗家の危機②
一方、華と妙は、隠れ家となる屋敷に入り、届いた荷物などを解いて、片付けていた。
「母上、私は此処で何をしたら良いのですか?」
「普通に今まで通りに暮らしていればいいんですよ。但し、貴女を捕らえようとする人たちがいますから、一人で外へ出てはいけません。
それから、気功剣を少しばかり使えるといっても、貴女はまだ子供、世の中には貴女より強い人が、沢山いるという事を忘れてはなりません。いいですね」
「妙は、もう子供ではありません!」
妙は怒って、ぷいと部屋を出て行ってしまった。
「奥方様、妙様はどうかなさったのですか?」
妙の走り去る姿を目で追いながら、福丸が姿を見せた。
「あの子に気功剣を教えるのは早すぎたかもしれないわね。少し調子に乗っている所があるから、注意したら怒りだして……」
「十一歳では無理もありますまい。妙様には、警護の者を一人付けましょう」
「造作を掛けます」
華が頭を下げると、福丸は恐縮しながら用向きを伝えた。
「家光様暗殺の件ですが、十日ほど経ちましたら、皆がここに集まる事になっておりますので、宜しくお願いします」
「分かりました。準備をしておきましょう」
その日から七日が過ぎた頃、妙は、警護の者の目を盗んで外へ飛び出し、行方知れずとなった。
「馬鹿者! 何のための警護だ!」
福丸が、警護の若侍を叱りつけたが、後の祭りであった。
その夜、矢文が隠れ家に打ち込まれた。矢文には、蓮之助宛に「娘の命が惜しくば、家光暗殺の下手人探索は止めよ」と書いてあった。
「華、あれだけ言っておいたに、お前が付いていて何とした事だ!」
知らせを受けて駆け付けた蓮之助が、華に怒りを爆発させた。
「申し訳ありません。妙の事は命に代えても取り戻します!」
畳に額を擦り付けてひたすら謝る華を見て、いたたまれなくなった福丸が、
「蓮之助様、此度の事は全て、警護を全う出来なかった私めの落ち度、奥様に罪はございません。攻めは私が負います」
と、ひれ伏した。
「……もう良い。二人とも顔を上げよ」
華が、足を棒にして江戸中を探し回っている事を知っている蓮之助は、それ以上責めはしなかった。
「福丸、伊賀の服部半蔵殿に頼んで、妙の行方を捜して貰ってくれぬか」
「はっ、直ぐにも手配いたします」
その日、御用繁多の蓮之助は、後ろ髪を引かれる思いで、江戸城へ戻らねばならなかった。
数日が経っても、何の手掛かりも無く、皆が集まる夜となった。
「伊賀の衆、娘の足取りはまだ掴めぬか?」
蓮之助は開口一番、妙の事を聞いた。
「はっ、小さな娘を駕籠に押し込めたのを、見たという者が居りましたが、行く先は分かっておりません。今は、江戸中の駕籠屋を当たっている所で御座います」
「うむ、今後とも宜しく頼む。それでは、家光様暗殺に関して、皆の成果を聞かせてくれ」
この部屋には、二十数名の家来が集まっていて、今迄の探索の成果を、それぞれ報告していったが、黒幕に至る情報は何一つ無かった。
皆が沈黙して、重苦しい空気が流れた。
その時、後ろの襖がスッと開いて皆が振り向くと、「あっ!」と声を上げた。
そこには、着物が破れ、泥まみれになった妙が、立っていたのだ。
「妙!」
蓮之助と華が同時に声を上げた。妙は一目散に華の胸に飛び込むと、声を上げて泣き出した。華は彼女をしっかと抱きしめて、頭を優しく撫でた。その目には涙が光っていた。
「良かった、帰って来てくれたのね。怪我は無いの? もう心配はいらないわ。本当に良かった」
母の温かさに包まれた妙は、ひとしきり泣きじゃくった後、華に訴えるように、小さな声で話し出した。
「母上、……妙は……妙は人を殺してしまいました」
「ゆっくりでいいから、何があったのか話してごらんなさい」
華は、妙の汚れた顔を拭いてやりながら、笑みをたたえて言った。
「あの日、駕籠に乗せられて大きな武家屋敷に連れて行かれ、牢に閉じ込められたのです。そこで、私を人質にして、父上や母上を亡き者にするという話を聞きました。
私は怖くなって、気功剣を使って牢を破り、逃げようとしたのですが、見つかってしまって……。
それから何が起きたのか覚えが無いのです。気が付けば、多くの侍が血を流して倒れていました。私は、怖くなって無我夢中で逃げだして来たのです」
妙は、そこまで言うと、再び大粒の涙を流しながら母の言葉を待った。
「きっと、無意識に妙の防衛本能が働いたのね。でも、あなたに倒された人たちは死んではいません。実はね、あなたに教えた気功剣は、刀じゃなくて木剣のような物なの。だから、致命傷を与えるような傷は負っていないと思うわ」
「お母さま!」
妙が安心したように華に身体を預け、一同から安堵の声があがった。
「よし、手分けして、多くの家臣が怪我をしたという屋敷を探し出すのじゃ!」
蓮之助の命で、家臣達は夜の江戸市中へと散っていった。
「妙、お母さまとお風呂に入りましょう」
「はい、母上!」
妙は、風呂で身体を綺麗にしてもらって、安心したように眠りについた。
「妙に気功剣を教えておいてよかったな。それにしても、十一歳で警護の者を蹴散らしてしまうとは、末恐ろしいものがある。やはり、華の血を継いだようだな」
「確かに、天賦の才はあるようです。でも、戦うだけの女にはしたくありません」
「うむ、我らのように良き縁を結び、仲良く暮らすのが一番じゃ。剣術は身を護れればそれでよい」
その夜は、妙を挟んで川の字になって親子で眠った。
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