第9話 伊賀忍軍の襲撃①

蓮之助が柳生の里を出て、早、四か月が経っていた。


 この頃には、蓮之助の頭は月代から総髪にして後ろで束ねており、華も相変わらず髪は結わず、長い髪を後ろで束ねて垂らしていた。


 山小屋での二人の生活は質素なものであったが、華は、毎日嬉しそうに蓮之助の世話を焼いていた。蓮之助に好意を寄せる華にとって、彼との生活は何ものにも替えがたいものだったのだ。


 蓮之助は、当初、そんな華を見ながら安堵する一方で、気掛かりなことがあった。それは、華に恋心が芽生えたことで、剣への執着が削がれるのではないかということだった。 

 だが、華は、剣を取ると豹変した。彼女の修羅の剣は、以前にも増して強くなっていたのだ。

 それは、自分の命を懸けてでも蓮之助との生活を護らんとする、彼女の凄まじい執念が剣の力となっていたのである。


 華の剣の修行では、蓮之助が武蔵と戦って会得した二刀流を徹底して教え込んだ。華は、凄まじい気迫でそれを吸収していって、終には、武蔵の豪剣には及ばなかったものの、その速さでは、引けを取らないところまで腕を上げていた。


「華、凄いな。今なら武蔵殿に褒められようぞ」


 華は、嬉しそうにコックリと頷いた。


「儂の、無刀取りにも限界が見えている。更に高みを目指さねば徳川宗家との闘いに勝ち残れまい。武蔵殿の二刀流は、有るものは何でも使えという、合理を追求したものとも言える。私達も二人いるのだから、二身一体の技を考えて良いと思う。華も考えてみてくれ」


「分かりました」


 華は、自分が頼られている事が嬉しかった。



二人の食生活は、島崎家から届けられていた、米、味噌、梅などが主で、食卓は質素なものだった。

 だが、春の山には、イタドリ、ワラビ、ゼンマイ、フキノトウなどが繁茂していて、二人は貴重な食材である、こうした山菜取りにも精を出した。

 又、時折、蓮之助が捕まえて来るイノシシやウサギなども食卓を賑わせていた。


「たまには、肉を食わねば力が出ないからな。華、うんと食べろ」


 囲炉裏に掛けられた鍋にはウサギの肉と山菜がぐつぐつと煮立って、美味しそうな匂いが小屋中に立ちこめていた。


「蓮之助様、始めてウサギの肉を食べましたが、おいしゅうございます」


「うむ、柳生では、子供の頃から山を駆け巡って、ウサギを追い回したものよ。ここは何とのう柳生の山に似ているので、住もうと思ったのだ」


 蓮之助は故郷の柳生を思い出すように目を細めた。


 二人が、食事をしながら談笑していると、突然、猟犬のテンが吠えだした。

 テンは、華の家の者が、番犬にと連れて来た今年五歳になる柴犬である。狩りでは、蓮之助の指示通りに走り回り、活躍してくれている。


「わたくしが見て参ります」


 華が刀を手に戸口へ向かうと、蓮之助も刀を引き寄せた。

 テンが激しく吠えたてる中、華は、そっと戸を開いて外を伺った。


 そこには、巨大な獣が立っていて、恐ろしい狂気の眼で華を見据えていた。


「ヴルルルル!」


「蓮之助様!」


 華は叫びながら後退りして、刀を抜いて身構えた。


「華、どうした!?」


 蓮之助が、立って華の方へ行こうとした刹那、板戸を蹴破って、巨大な黒いものがドッと暴れ込んで来た。


 囲炉裏の火に照らされたのは、七尺を超える巨大なクマだった。クマは左腕に傷を負っていて、狂暴化していた。


「華、下がれ!」


 蓮之助が叫んだ途端、クマの太い腕が華を襲った。

 華は、それを刀で防ごうとしたが、刀ごと弾かれて土間に叩きつけられた。


 その時、外からテンが飛び掛かりクマの首に食いついたが、その剛力の前に、あっさり振り落とされてしまった。


 巨大なクマは狂気の目を光らせながら、倒れた華目掛けて五本の鋭い爪を一気に振り下ろした。


 逃げる暇もなく、華が咄嗟に両手で顔を護った、次の瞬間、

 華を護ろうと覆いかぶさった蓮之助の背中に、クマの鋭い爪が食い込み、肉が削がれ、血が噴き出た。


「ウウッ!!」


「蓮之助様!?」


 華は、顔面蒼白になりながらも、苦痛に顔を歪める蓮之助を引きずってクマから遠ざけると、瞬時に刀を拾って突進し、クマの胸に突き立てた。

 だが、クマは倒れるどころか更に狂暴になって、華に襲い掛かって来たのだ。


「ガオーッ!!」


 負けん気の強い華がクマを睨み返した刹那、狂暴だったクマの動きが、ピタリと止まった。


 見ると、蓮之助の投げた刀が、クマの眉間に突き刺さり、頭を貫いていたのだ。


 クマの巨体が、ズズーンと崩れ落ちた。



 我に返った華は、蓮之助に走り寄った。


「蓮之助様!」


 蓮之助は、背中の傷の激しい痛みに襲われて立つことができなかった。


「ウウッ、大丈夫だ。華、これはヒグマぞ。蝦夷地【北海道】にしか住まんはず。敵が来ておるぞ。気をつけろ! 儂の刀を……」


 敵と聞いて華の顔色がサッと変わった。彼女はクマの頭を踏んずけ、刀を引き抜いて蓮之助に渡すと、自分も二刀を持って彼の傍にいった。


「ひどい傷です。血を止めないと……」


 蓮之助の傷は思ったより深く、血が滴り落ちていた。華は、長持ちから自分の着物を取り出して引き破り、蓮之助の身体にぐるぐると巻いて止血を施した。


 そうしている内、パチパチと何かが燃えるような音と、焦げ臭い匂いがして、煙が入って来た。


「蓮之助様! 小屋に火をかけられたようです!」


 華が叫んで、蓮之助にしがみついた。



 小屋の外では、黒装束の大勢の忍者達が手に松明を持って、燃え上がる小屋を取り巻いていた。やがて、小屋は炎の中に消えて、崩れ去った。


「どうやら、焼け死んだようですな。さすがの柳生蓮之助も、蝦夷から連れて来たヒグマと炎には敵いませぬか」


「死骸を見つけるまでは油断すな! 死骸を探すのじゃ!」


 頭目らしい男が命令して、忍者達が焼け跡を捜索していると、不意に地面から白刃が突き出て、一人の忍者の胸を貫いた。


 悲鳴の方に忍者達が目をやると、地中から、華に支えられた蓮之助が姿を現した。彼らは食料を保存する穴倉に身を潜ませて、身を護っていたのだ。


「出会え! 蓮之助は生きておるぞ!」


 忍者軍団が、さっと、二人を取り囲んだ。


「華、背中を合わせろ! 来る者だけ打て!」 


「はい!」


 蓮之助と華は座ったまま背中を合わせて、次々と斬りかかる忍者軍団を迎え撃った。

 彼らは、蓮之助達の頭上をムササビのように飛んで手裏剣や刀で攻撃してきたが、悉く二人の剣の餌食となって、見る間に、辺りは傷を負った忍者たちで埋まっていった。


 蓮之助と華は、敵であっても可能な限り殺さぬようにとの石舟斎の言葉を守り、致命傷は与えなかった。


「ええーい! 一度に斬り込め!!」


 忍び軍団は円陣を組んでそれを回転させながら、じりじりと輪を狭めて来た。


 蓮之助と華は背中を合わせたまま立ち上がり、相手の回転に合わすように回って、その動きを見極めようとした。


 次の瞬間、軍団が一斉に斬りかかって来たのを、蓮之助と華は瞬時に体勢を低くして、独楽のように回りながら彼らの足を斬り払った。


 軍団は、バタバタと倒れ込み、頭目の一人を残して全滅していた。



「名乗りもせず闇討ちするとは何事か! 名乗れ!」


 蓮之助が大声で呼びかけると、頭目の男が応えた。


「我らは、伊賀の者。柳生蓮之助! 秀忠様の命によりお命頂戴つかまつる。それ!」


 頭目が合図した途端、そこかしこの地面や、池、林の中から、新たな忍者軍団が湧き出て来たのだ。その数、約六十人。 

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