第13話 刺客万来①

 夏が過ぎて秋となり、山の紅葉の赤がくすんで、冬の気配が感じられるようになった頃、一人の女武芸者が蓮之助の小屋の前に立った。


「蓮之助は居ますか?」


 戸口に出た華が、蓮之助の名を親し気に呼ぶ美しい女剣士を、訝しそうに見つめた。


「貴方様は?」


「柳生茜と申します」


 柳生と聞いて、華は一礼して彼女を招き入れた。


「蓮之助様、柳生茜様がおいでになりました」


 呼ばれて、奥の部屋から蓮之助が顔を出した。


「おお、姉上! 久しぶりでござるな。こんな所まで何事です?」


 蓮之助は、思いもよらぬ客に目を丸くして迎えた。


 茜は、三十路前の蓮之助の従姉で、共に石舟斎から剣を学んだ一人だった。彼女は、今も嫁には行かず剣一筋に生きていて、柳生一門の中でも一目置かれた存在だった。


「おじじ様はご壮健ですか?」


「おじじ様は、先月お亡くなりになりました」


「亡くなった!? 石舟斎様が?」


 蓮之助の顔に、絶望の色が浮かんだ。


「二月ほど前から臥せっておいででしたが、先月、宗矩様に後事を託され、眠るように逝かれました。最後まで、あなたの事を気にかけておられましたよ」


「一年前に柳生の里で別れた時に、今生の別れになろうと仰っていたが、まさか、このように早く来ようとは……。徳川の刺客を蹴散らして、元気な姿を見せようと思っていたのに無念です。ううっ……」


 蓮之助は、親代わりであり、剣の師でもあった石舟斎の慈顔が目に浮かぶと、男泣きに泣きだした。


「……貴方に、おじじ様からの遺言を言付かって参りました」


 茜は、懐より一通の書状を取り出して、蓮之助に手渡した。蓮之助が、涙をぬぐいながらその書状を開いてみると、墨痕鮮やかな懐かしい石舟斎の文字が躍っていた。


「こ、これは!」


 蓮之助が書状を見て驚き、再び滂沱の涙が溢れだすのを見て、茜と華が彼の顔を見つめた。


「柳生新陰流の免許と、破門の赦免状です。私に生きよと仰ってくれているのです。ううっ!」


「これで、天下に堂々と、柳生蓮之助と名乗れるのですね。よかった……」


 華が、袂で顔を覆うと、蓮之助が彼女の肩に優しく手を置いた。


 石舟斎は、誰もが認める当代随一の剣豪だった。彼は、家康の剣の師となり、将軍家兵法指南役にと請われたが辞退し、息子の宗矩を推挙して柳生家の繁栄の礎を築いたのである。享年八十才であった。


 暫く石舟斎を偲んで、沈黙が流れた。


「貴女も、剣が出来るようですね。蓮之助の弟子なのですか?」


 茜が華に語り掛けた。


「はい……」


 華はそう言って、何か言おうとしたがそのまま口をつぐんだ。


「姉上。華は弟子で、我妻です!」


 蓮之助から妻と言われた華は、嬉しくて泣きだしそうな顔になっていた。

 伊賀忍軍との闘いの折、妻だと口づけされてからは、蓮之助が彼女の体に触れることはなく、夫婦の話を口にすることも無かったからだ。


「えっ、御免なさい、お若いから奥方とは思えなくて。でも、こんな状況で何故なのです?」 


「話せば長いのですが、彼女は戦友です。剣を取れば、天才的な資質を持っていますし、苦難の道を共に歩む覚悟を決めてくれた、運命の伴侶だと思っています」


「そうなんですか。会った時から私と同じ匂いがしていると思っていました」


 茜は、自分より一回りも若い華の顔を、じっと見つめた。


「茜様は、嫁がないのですか?」


 突然の華の言葉に、蓮之助が、あわてて彼女の袖を引いた。


「いいのよ。おじじ様にもよく言われましたが、剣に生きて来たから嫁ごうとは思いませんでした。それに、好きでしてる事ですから後悔などありません。華殿、剣士として貴女とお手合わせしたくなりました。是非、お相手を」


「分かりました。拙い剣ですが」


 二人は、外に出ると剣を抜いて向き合った。蓮之助が心配そうに見つめる中、茜が正眼の構えに入ると、華は両の刀を交差させて、相手に向かって突き出す構えになった。


 二人はそのままの状態で、互いの太刀筋を予想し、いかに打ち返すかを頭の中でイメージしていた。


 その時、茜の刀が華の喉元を襲った。華は身体を開くと同時に、交差した左右の剣で挟むように受けようとしたが、その茜の刀が一瞬視界から消えたかと思うと、次の瞬間には、彼女の顔面の左横に現れていた。


「ガッ!」


 辛うじて、華が、その刃を左の剣で防いで、右の剣で胴を斬り払おうとした刹那、茜の手にその刀の柄を押さえられ、右手を封じられてしまった。


 二人は、力で押し合っていたが、パッと分かれると、激しい打ち合いが始まった。

 剣の速さは、やや華が勝っていたが、鍛え抜かれた身体から打ち下ろされる茜の剣は重く、自在に変化して彼女を追い詰めていく。


「本気を出しなさい!」


 茜が一喝すると、華の眼が光って本気モードとなった。

 すると、華の刀は命が宿ったように動きが加速され、的確な剣先がググっと茜を圧倒した瞬間、彼女の剣は弾かれ、大地に刺さっていた。


「参りました! 何という凄まじい剣なんでしょう。でも安心しました。貴方達なら徳川宗家の刺客を斬り抜ける事が出来るような気がします。蓮之助、華さんを大事になさい。また会いましょう」


 柳生茜は、吹っ切れたような爽やかな表情で、二人に別れを告げた。



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