第24話 祝言

駿府を発って数日後、蓮之助と華は徳島の島崎家に戻っていた。


「母上、只今帰りました。長らくご心配をおかけしましたが徳川家とも和解し、今後は柳生蓮之助として国の為に働く所存です。つきましては華を正式に娶り、この地に仮の家を構えたいと思っています」

「蓮之助様おめでとうございます。このような日が来ようとは夢にも思いませんでした。華、お前はこの国一番の幸せ者です。お父様も喜んでおられますよ……」


 千代は、そっと目頭を抑えた。


「蓮之助様、仮の家ならば、この家を使って下さい。私一人ではこの家は広すぎますゆえ」

「母上、そう言ってくれるのを待っておりました。実を言うと資金が無いのです。お世話になります」


 蓮之助が悪戯っぽく笑うと、千代は「まあ!」と言って嬉しそうに笑った。千代は、夫、右近が亡くなって以来、あまり笑う事が無かった。華は、そんな母の久しぶりの笑い声を聞いて胸が熱くなっていた。


「華、明日は父上の墓参りに行こう。明後日は祝言じゃ」

「蓮之助殿、少し気が早うございます。祝言の事は、この千代にお任せください。二人だけでと言う訳にはいきませんからね」


 千代が、急に采配を振るいだしたので、蓮之助と華は少し驚いた。だが、二人は、その生き生きとした母の姿が、嬉しくて仕方なかった。


次の日、蓮之助達は近くにある島崎右近の墓へと出掛けた。墓を洗い、樒を立て、香を焚き、蓮之助は法を唱えて深い祈りを捧げた。


「右近殿、この度徳川宗家より許され、新たな人生を生きる事になりました。つきましては、華さんを正式に妻として迎え、共々に世の為に戦ってゆく所存です。どうか、我らを見守ってくだされ」

「父上、蓮之助様に妻にしていただいて、華は今、こんなに幸せでございます。どうぞ、私達の行く末をお見守りください」

「旦那様、剣術しか興味が無かった、あの華が柳生様の妻になるなんて夢のようです。この子の花嫁姿を、そちらから見ていて下さいね」


 三人が語り掛けると、それぞれの心に、あの、人懐っこい笑顔の右近が現れて、彼らを優しく包み込んだ。


 蓮之助と華の祝言は、それから十日後に執り行われた。二月の半ばだというのにその日は小春日和のような穏やかな日となった。

 この祝言には、家康、秀忠、宗矩、蜂須賀家政などから祝いの品が届けられていた。


「……これでは、祝言する部屋が祝いの品で埋まってしまうではないか。かと言って上様や大御所様からの品を出さぬわけにもいくまいし……」


 蓮之助直属の家来になった大三郎と福丸が、式の準備に朝から大わらわになっていた。

 当日の参加の顔ぶれは、蜂須賀公の名代で、徳島藩国家老の池田長好、柳生家を代表して従姉の茜、海部郡の郡代等、多くの者が駆けつけていた。式は大広間で行われたが、入り切れず、周りの部屋の襖を取り払って対応した。

 

 蓮之助と華が上座に座ると、髪を結い、白無垢の花嫁衣装に身を包んだ華の美しさが、参加者の目を奪った。床の間には家康より賜った四振りの刀が飾られていた。

 三々九度の盃が交わされ、家老などの祝いの挨拶があって、最後に蓮之助が挨拶に立った。


「本日は、ご多用のところ、このように多くの方々が私共の祝言に駆けつけて下さり、有難き幸せにございます。ご存じのように私達夫婦はこの数年地獄道を歩んで参りました。全ては私の不徳の致すところでありますが、華は、死と隣り合わせの生活にも不満一つ言わずに健気について来てくれました。いつの日にか、この地獄の日々が終わったなら、この恩に報いたいと思っておりましたが、終にその日が来たのです。一人の男として、華を愛し、何があろうと幸せな人生を華に送る事を皆様の前でお誓い致します。

 今後は、夫婦で世の為にこの身命を捧げる所存でおります。末永く宜しくお願い申し上げます」


 蓮之助と華が深々と頭を下げると。大きな拍手が起こった。皆、目には涙が光っていた。

 引きつづいて、披露宴へと移り、酒とご馳走が運ばれて来た。入りきれなかった近隣の人にも庭に場所を設けて、酒や料理が振舞われた。宴は夜まで続き、大盛況のうちに二人の祝言は終わった。この時、蓮之助は二十八歳、華は十九歳となっていた。


「華、疲れたであろう。早くに休むがよい」

「蓮之助様こそ、お疲れさまでした」


 二人は、自分達の部屋に布団を敷いて、その上で話していた。


「祝言の時の、蓮之助様の話に涙が出ました。私のような者をあれほどまでに思って下さるとは……」

「あれは、儂の本心じゃ。お前には幸せになる権利がある。だが、我らの人生は、これからも普通の人の何倍も苦労が多いはずじゃ。剣にしても、挑んで来る者もあろうし、気功剣とて何時か破られる時が来よう。我らはまだまだ未熟、剣の修行も忘れるでないぞ。苦難の人生を楽しめる力をつけるのだ。お互いにな」

「分かっています。これからも苦労は厭いませぬ」


「うむ」彼はそう言って華を抱き寄せると、布団の上に優しく押し倒した。

「蓮之助様……」


 華が恥ずかしそうに目を伏せた。蓮之助は、構わず帯を解いて唇を合わせると、乳房を優しく揉みしだいた。

 華は、蓮之助の愛撫に身を任せ、喜びに身を震わせた。



 翌朝、蓮之助たちは、離れで泊まっていた柳生茜を見送った。


「姉上、遠いところまで来ていただき、あり難き幸せにございます。このご恩は忘れませぬ」

「貴方の今の姿を見て、石舟斎様も喜んでおられる事でしょう。それから、宗矩様から書状を預かって参りました、お役目の事だと思います。

 華さん、柳生へも遊びに来てくださいね」


 茜は、さわやかな笑顔を残して大和国へと帰っていった。


 次の朝、蓮之助は柳生宗矩からの依頼により、福丸一人を連れて大阪へと向かった。心機一転となった蓮之助の、初めてのお役目である。


「今度のお役目も危険なのでしょうか?」


 蓮之助を送り出した後、千代が心配そうに大三郎に尋ねた。


「蓮之助様でなくては解決できない難題が多いのです。残念ですが、蓮之助様には無難なお役目は来ないでしょう」

「……」

「母上、心配はいりません。蓮之助様は私達が思っている以上にお強い方です」


 華が、千代に優しく寄り添った。


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