第6話 新たな住処
「知っての通り儂は追われる身、儂と居ては島崎家に災いが降りかかるかも知れぬ。ここで別れよう」
蓮之助は固辞したが、華があまりに懇願するので断り切れなくなり、結局、海部郡の島崎家に行く事になってしまった。
そこには、小さな街があり、その街外れに島崎家は山を背に建っていた。右近は、ここの郡代を務めていたのである。
背にそびえる山々はどこか柳生の里の山に似ているように蓮之助には感じられた。
華の母、千代は変わり果てた我が夫を抱きながらも、泣き崩れたい気持ちを懸命に堪えて気丈に振舞っていた。
「柳生様、この度は我が藩をお救い下さり、お礼の申しようもございません」
まだ四十前の若い母親は、両手をついて頭を深々と下げた。
「いつ死ぬか分からぬ者の気まぐれです。頭を上げられよ」
「恐れ入ります。お城から連絡がありまして、右近の禄高八十石をそのまま頂ける事になりました。また、華に婿を取って家督を継ぐことも許すとのお言葉を頂きました。全て、蓮之助様のお陰でございます」
「それはよかった。右近殿と華殿の今回の働きが認められたのであろう。華、早う良い婿を迎えて母上を安心させねばの」
「私は、嫁になど行きませぬ! もっと剣の道を究めたいのです」
華は、突っぱねるように言って横を向いてしまった。
「まあ、この娘ったら……」
千代が、おやっ、という顔で華を見た。
「何処かの姫様の我儘ならいざ知らず、女の身でいくら剣を極めても世は男社会だ。用いられる事は無いと思うが……」
「蓮之助様のおっしゃる通りですよ。誰も嫌いな人と一緒になれと言ってないのよ。貴女がこれだと思う人が出来たらお嫁に行けばいいんです」
「……そうする」
不機嫌だった華に笑顔が戻った。蓮之助はそんな華を見て、やはり子供だと苦笑いした。
蓮之助はその夜、風呂に入り御馳走をたらふく食べて、久しぶりに人並みの生活を堪能した。華も嬉しそうに、世話を焼いてくれた。
蓮之助は、暖かい布団の中で、明日からの事を考えていた。
(旅をしながら、何時来るか分からぬ敵を待つのは不利ではないか、……それなら、どこか山中に籠り、修行をしながら敵を迎え撃つ方が価値的ではないのか……)
そんなことを考えている内、蓮之助は深い眠りについていた。
朝餉を頂いて、旅支度をしながら蓮之助は千代に尋ねた。
「千代殿、この裏の山中に使われていない山小屋のようなものはござらぬか?」
「一時ほど登った所に炭焼き小屋がありますが、どうされるのですか?」
「進んでも、止まっても、刺客はやって来ます。どうせなら、山に籠って腕を磨きながら敵を待った方が価値的だと思うのです」
「分かりました、手配いたしましょう。精一杯お世話させて頂きます」
千代が勢い込んで言った。
「いや、これ以上世話になるのは私の本意ではない。放っておいていただきたいのだ」
「そう申されましても、山小屋も朽ちておりましょうし、食事はどうなされるのですか?」
「少しばかり、手持ちもありますので、小屋の修繕と、米代くらいにはなりましょう」
「それなら、私がお手伝いします!」
蓮之助が旅立つとあって朝から塞いでいた華が、彼がこの地に残ると聞いて俄然元気になっていた。
「いや、それには及ばぬ。放っておいてくれ」
蓮之助が手を振って固辞すると、突然、千代が居住いを正して彼に向き直った。
「蓮之助様、あなた様がいなかったら、華と二人、今頃は自害して果てていたでしょう。私共にも意地がございます。亡き夫に叱られとうございませぬ故、ここは、何としてもお世話させて頂きます! いえ、そう決めました!」
身体を震わせて訴える母親の炎の如き眼差しが、蓮之助を捉えて離さなかった。
彼は、圧倒されながら、華の激しさはこの母親譲りなのだと感じていた。
「お母さま……」
歓喜した華の眼に涙が浮かんだ。蓮之助は、母親の覚悟を聞いて何も言えなくなっていた。
千代は、早速、下働きの者に頼んで、大工や人夫を集めると、生活に必要なものを取り揃えて、昼前に総勢十名ほどで山へ登った。
炭焼き小屋に到着した彼らは、千代と華の指示のもと、小屋の修繕、周りの草刈り、小屋の掃除、薪集め等をテキパキと熟して、日の傾いた頃には全ての作業が終わった。
「お侍様、これで、当分雨風は防げるでしょう。又、何かあったら言って下さいまし」
人の良さそうな大工が、小屋を見上げながら蓮之助に言った。
「世話を掛け申した」
蓮之助は一人一人に労いの言葉をかけ、皆が引き揚げていくと、後には華が残った。
「何をしておる。早く帰らぬと日が落ちてしまうぞ。食事の世話なら必要ない」
「でも……」
「よいか、修行の場に女はいらぬ。邪魔をしないでくれ!」
蓮之助が強い口調で言うと、笑顔だった華が泣きそうな顔になった。蓮之助は、ここで泣かれては敵わんと思い、優しく言い直した。
「二度と来るなとは言っておらぬ。七日に一度だけ剣の修行をしよう。せめてもの恩返しだ」
その途端、華の眼から大粒の涙がこぼれ落ちた。
「千代殿がお待ちだ。早う行くがよい」
「はい」
華の涙にぬれた顔は笑顔になっていた。彼女は、蓮之助に手を振りながら母の元へと駆けて行った。
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