第7話 二の刺客、武蔵
江戸城の天守閣では、秀忠、松平忠明、そして家康が顔を揃えていた。
忠明は亀姫【家康の長女】の子であるが、今は、家康の養子となって松平姓を名乗っている。
「忠明、蓮之助を打ち取る首尾はどうじゃ?」
家康が、息子の清道を殺された忠明に問うた。
「はっ、我が郡山藩の手練れ、槍の十三神なる騎馬隊を向かわせましたが、……打ち損じまして御座います」
「なんと、騎馬十三騎を一人で蹴散らしたと申すか!」
「面目次第もございませぬ……」
忠明は、家康の鋭い目から逃げるように頭を下げた。
「蓮之助め、なかなかやりおるな。秀忠、次は誰じゃ!?」
「はい、宮本武蔵を向かわせました」
「なに、武蔵とな。今を時めく剣豪ではないか。さぞかし凄まじい戦いとなろう。見てみたいのう……」
家康は残念そうな顔になって、天守から西の空を見つめた。
その蓮之助は、徳島の山中に籠って日夜修行に明け暮れていた。そして、華は七日ごとに山に登って来て、蓮之助の教えを受けていた。
修行の日が来ると、華は早朝から押しかけ、朝餉の準備をするのが常だった。そんな時の彼女は、如何にも嬉しそうで生き生きとしていた。
蓮之助が山に籠って一月が経ったある日、華の修行の日にも拘らず彼女は姿を見せなかった。
心配している蓮之助の前に二番目の刺客が現れた。その侍は浪人風で、六尺はあろうかと言う大男だった。
その侍の袖口に、血がべっとりと着いているのを蓮之助は見逃さなかった。
「お主、タヌキでも斬ったのか?」
「いや、山の登り口で若い娘に出会ったのだが、貴公と戦う為に来たと言ったら急に顔色を変えて斬りかかって来たのだ。斬らねばこちらがやられていた」
「何! 殺したのか?」
蓮之助の目が異様に光った。
「急所は外したつもりだ。たまたま通りかかった者に、薬師に見せるよう頼んで登って来たのだ」
「あれは、儂の弟子だ。少し様子を見てくる故、暫し待たれよ」
蓮之助は、侍を残して一目散に山を駆け下りていった。
(万一、華が死ぬようなことがあったら……、右近殿に申し訳が立たぬ)
彼は息せき切って島崎家に駆けこんだ。
「千代殿! 華は、華の傷は大丈夫ですか!?」
蓮之助の必死の形相に、千代は目を丸くして対応した。
「蓮之助様、お上がり下さい。薬師の話では『深手ではあるが、命に別状はない』との事でした」
蓮之助は、安心した途端に力が抜けて、玄関の石畳に膝をついた。
彼が家に上がり、客間の前を通り過ぎようとすると、二人の侍が座っているのが見えた。
「華を連れて来て下さった方々です」
千代が、二人の武士を紹介した。
「伊賀の衆とお見受けする。華が世話になり申した。かたじけのうござる」
蓮之助は、深々と頭を下げた。
「お見通しでござるか。拙者は、伊賀の大三郎、これは、福丸にござる」
蓮之助は、彼らと少し話してから、華の部屋へと入っていった。
華は、痛みを堪えるように顔をしかめていたが、蓮之助の顔を見ると涙が溢れだした。彼女が蓮之助に笑顔を向けようとした、その刹那、彼の叱責が部屋に轟いた。
「馬鹿な事をしてくれたな。命を落としていたら何とする!」
華は、失望の色を浮かべて顔をそむけた。
「儂の命を護ろうとしての事だろうが余計な事だ。お前に勝てる連中ではない。二度とせぬ事だ。もしも今度こんな事があったら儂は此処を去る。今後は山へ登ることを禁ずる。良いな!」
言う事を言って、さっさと帰ろうとする蓮之助を、千代が悲壮な顔で止めた。
「今度のお相手はそんなに強いのですか? 戦いを止めるわけにはいかないのでしょうか?」
「これは、我が運命。武士なれば前へ進まねばなりません。もしもの時は、経の一つも唱えて下され。御免!」
華の嗚咽を背中に聞きながら、蓮之助は、千代の脇をすり抜けて部屋を出ていった。
(優しい言葉の一つもかけてやればよかったか……)
彼は、そんな思いを振り切るように、廊下を大股で歩いていった。
「伊賀の衆、これから立ち合いに参る。同道されよ!」
蓮之助は、伊賀の二人と共に、武士の待つ山へと戻っていった。
「お待たせした。我は柳生蓮之助。名乗られよ!」
「宮本武蔵、推参!」
二人が小屋の横の広場で対峙し刀を抜くと、小鳥のさえずりが止み、冬の冷たい風が、ピューと吹き抜けた。
最初、武蔵は二刀は抜かなかったが、武蔵の身体から発する闘気には、負けを知らぬ王者の風格が滲み出ていた。
暫く二人は睨み合っていたが、先に仕掛けたのは武蔵の方だった。刀と刀がぶつかって火花が散った。
刀を合わせながら鍔迫り合いをしている内、蓮之助の足が武蔵の足を掬った。武蔵がバランスを崩したところを、蓮之助が上段から打ち込んだ。武蔵は、バランスを崩しながらも後方にくるりと一回転して、下から上へ斬り上げる。
「ガッ!」
刀と刀が激しくぶつかり合った瞬間、蓮之助の刀は撥ね返されてしまった。
(何という威力だ!)
蓮之助が体勢を立て直す。
数歩下がった武蔵は、腰の小刀を抜き、二刀流となって蓮之助を責め立てた。
二つの刀が時間差で襲ってきて、それが、上下、左右と変則的に出てくるのだ。変幻自在の武蔵の剣は、蓮之助の無刀取りの隙を与えなかった。
「ガッ、ガッ」
武蔵の剛腕から振り下ろされる刀に力が籠り、受ける蓮之助に衝撃がビンビンと伝わって来る。それは、戦うほど強まるように蓮之助には感じられた。
(流石だ。日の本一と言われるだけの事はある)
蓮之助は、武蔵の二刀流の太刀筋を読みながら、負けじと応戦していったが、二人の戦いは、一時【二時間】が経っても勝負はつかなかった。
その凄まじい戦いを、伊賀の衆が息を呑んで見ていた。
土煙を上げて打ち合っていた二人の動きがピタリと止まった。その時、強い風がゴーッと吹いて枯れ葉が舞った刹那、武蔵の豪剣が唸りを上げて振り下ろされると、受けた蓮之助の刀は鈍い音と共にポキリと折れた。
後方に下がる蓮之助に、容赦なく武蔵の二刀が襲う。蓮之助は後方に下がりながら、折れた刀で必死に防御していたが、埒が明かぬと、その刀を武蔵目掛けて投げつけた。
それを武蔵が刀で叩き落した瞬間、蓮之助が彼に組み付いた。二人がゴロンと一回転して左右に飛びのくと、武蔵の長刀は蓮之助の手に握られていた。
蓮之助と武蔵は、荒くなった互いの息遣いを聞きながら暫し睨み合っていたが、どちらからともなく刀を引いた。
「蓮之助殿。この勝負、引き分けといたそう。このまま続ければ、お互い命はあるまい。儂も、まだやりたい事がある。勝負は、次の機会にしようぞ。
実を言うと石舟斎殿に立ち合いを断られての。お主の柳生の剣と戦う為には刺客を引き受けるしかなかったのだ」
武蔵は小刀を納めながら、蓮之助に笑いかけた。
「さすが、天下に名を轟かすだけの事はある。武蔵殿の二刀流、とくと見せて頂いた。また、あの娘の命を助けて頂いた事、お礼の言葉も御座いませぬ」
「なんの。子供相手に、本気になるわけにもいくまい。だが、あの二刀流もなかなかのものだった。お主の仕込みか?」
「いや、まだまだ未熟。恐れ入る」
「すぐにも次の刺客が来るやも知れぬ。その太刀を進ぜよう」
武蔵は、自分の太刀を蓮之助に譲って、山を下りて行った。
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