第32話 紀州徳川剣術指南②

 静は、事のいきさつを仁助に話した。


「大阪夏の陣で敗れた折り、幸村様の後を追うつもりでいた私に、柳生蓮之助様ご夫妻は、生きよと仰ってくれました。柳生家で世話になる中、人の心というものを取り戻すことが出来たのもお二人のお陰です。今は静と名乗って此の人と暮らし、柳生様の配下となって働いています」

「そうであったか。夜叉と恐れられたお前が、人の妻になるとはの……。我らが夢は、幸村様の死と共に潰えた。生きる為には、徳川の為に働くも仕方あるまいて」


 仁助は、責めることもなく、懐かしさや驚きの入り混じった顔を、静に向けていた。


「配下の忍び達はどうされたのですか? 私は、紀州の忍びを束ねる福丸と申す者。蓮之助様の命で、藩内の調査をしているところです。決して残党狩りなどではございませんので、ご安心くだされ」


 穏やかな表情の仁助が、一瞬、用心深い顔になった。


「皆、夏の陣で死んでしもうたでな。今は数人が木こりなどをして細々と暮らして居る」

「紀州藩の為に働く気持ちがあるなら、蓮之助様に口添えしますが、どうでしょう?」

「それは……。ありがたい話じゃが、一応、皆の意見も聞いてみんとな」

 

 老いて、当時の気概が失せた仁助に、一抹の寂しさを覚える、静だった。


「お師匠も、共に働く気はありませんか?」

「わしはもう歳じゃ、余生をのんびり暮らしたいと思うておる。ところで、お前を倒したのは柳生蓮之助殿か?」

「いえ、奥方の華様です。ご夫婦で気功剣を使います」

「何、女子に負けたのか? まあ、お前も女子じゃがな。奥方がお前を倒すほどの相手となると、柳生殿は相当な使い手と見ねばなるまい。

 近々、柳生殿と対戦する御前試合がある事は知っておろう。冥途の土産に、同じ気功剣を使う者として、是非とも柳生殿と戦ってみたいと思うておるのじゃ」 

「仇を打ちたいのですか!?」


 静の表情が曇った。


「いや、気功剣は、儂が明で気功術を習い、苦心して編み出したもの。剣士として純粋に戦いたいのよ」

「分かりました。では、城に来る時には配下の方もお連れ下さい。お待ちしております」

「お師匠、また会えるのを楽しみにしています」


 名残惜しそうな仁助に送られて、二人は帰途についた。



 一月後、和歌山城内では、柳生流と藩の強者の御前試合が行われた。

 対戦相手は、気功剣の猿飛仁助、藩内随一の剣の使い手山口勝重、忍びの根来伝助、弓の和佐大五郎の四人である。

 城の一角の広場には、大勢の武士たちが詰めかけていた。


 最初の試合は、華が二本の木刀を持って中央に進み出た。相手は猿飛仁助である。

 仁助は、ひょこひょこと進み出て、藩主頼宣に一礼した後、華と向き合った。その瞬間、穏やかだった仁助の顔が変貌して、その身体に闘気が漲った。


(お師匠に、まだあんな力があったとは……)


 静が、目を見張った。


「奥方、年寄と思って油断召さるな。参る!」


 仁助は、すすっと前に出ると、木剣で、上段から連続して打ち込んで来た。その速さ、威力、身の熟しは、六十を越えた老人のものでは無かった。華は二本の木剣で彼の攻撃を受け流しながら、後方に押されていったが、そこから一気に反撃に出た。二本の木剣が、生き物のように高速で変化したかと思うと、仁助の木剣はあっけなく弾き飛ばされて、勝負はついたかに見えた。


「気功弾で参る! 受けてみよ!」


 両者が目を閉じて再び対峙すると、仁助は気功を無数の弾丸に変化させて、散弾銃のように華に向かって放った。華は瞬時に飛び退いて躱したが、仁助は二弾三弾と気功弾を打ち続ける。

 すると、華は左手の木剣を捨てて、気功の盾を作り出し、それで気功弾を防ぎながら、右手の木剣を、地面を掠めるように下から上へと斬り上げた。それは、土煙を巻上げながら真っ直ぐ仁助に向かうと、パシッと音を立てて彼の躰を弾き飛ばした。


「参った! 気功の神髄を見せて頂いた。恐れ入りました」


 立ち上がった仁助はそう言うと、再び倒れ込んだ。華は、気功剣を衝撃波のように変化させていたので、仁助は気を失っただけであった。


(気功を盾に使うとは……)


 何時の間にか新たな技を生み出した彼女に、蓮之助は舌を巻いていた。


 観客には気功剣は見えなかったが、土煙などで闘いの予想はついた。


「華、見事じゃ。当に神業じゃ、天晴!」


 頼宣が思わず声を上げた。



 続いての華の相手は、根来忍者の伝助である。彼は変わり身、火遁の術、分身の術を駆使して華を攻め立てたが、彼女の気功剣の一撃で打ち据えられてしまった。

 目に見えぬ気功剣という不思議な技に、観衆は驚くばかりであった。



 次は、蓮之助の番である。彼は素手のまま、剣の達人である山口勝重と対峙した。


「おのれ、愚弄するか!」


 勝重は激怒して蓮之助に打ちかかる。彼の木剣が蓮之助を捉えたと思った次の瞬間、勝重の身体は数間も投げ飛ばされ、木剣は蓮之助の手に握られていた。


「おお! あれが柳生の無刀取りか? 見事じゃ!」


 藩主頼宣が、身を乗り出して叫んだ。



 最後は弓の和佐大五郎である。蓮之助は相変わらず素手で立ち、大五郎はその剛腕でギリギリと弓の弦を引いた。 


「あれでは、真剣と素手の闘いのようなものでは無いか。いかな蓮之助とて戦いにはなるまい?」


 藩主頼宣が側近の者に小声で話していた。その時、和佐大五郎が放った矢が、蓮之助目掛けて飛んだ。

 しかし次の瞬間、蓮之助に放ったはずの矢がピュンと返って来て、和佐大五郎の弓の弦をぷっつりと切ったのである。蓮之助が気功で矢を跳ね返し、弓の弦を狙ったのだ。


「参りました!」


 和佐大五郎は膝を折って頭を下げた。


「天晴! 柳生蓮之助と華の剣は、天下無双の剣と証明された。各々蓮之助を剣の師として励むが良い。皆、大儀であった!」


 御前試合の結果は瞬く間に紀州一円に広まり、蓮之助の名は、いやが上にも知られる事となった。


 猿飛仁助と四人の忍び達は、その場で蓮之助の配下となり、紀州藩の為に働くことを誓った。


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