第36話 徳川宗家の危機①
ある日の夜の事、蓮之助は、藩主頼宣からの緊急な呼び出しがあって、登城した。
(こんな夜中に、何事だ)
彼は、胸騒ぎを覚えながら、拝謁の間へと急いだ。
蓮之助が部屋に入り着座すると、時をおかずして襖が開き、頼宣が大股で入って来た。彼は、蓮之助の前までやって来て腰を下ろすと、声を押さえて話しだした。
「蓮之助、遅くにすまぬな。早速だが、先ほど上様より密書が届いたのだ。その内容なんだが、三代将軍をめぐって、お家騒動が起こりつつあるというのじゃ」
頼宣の顔は、少し青ざめて見えた。
「しかし、将軍家の跡継ぎは、神君家康公より家光様と決められているでは御座いませんか? それを覆す事など出来ないのでは?」
「それがじゃ、先日、家光の夕餉に毒が盛られていたというのだ。お毒見役の機転で、事なきを得たようなのじゃが」
「家光様暗殺!? ……して、下手人は捕まったのですか?」
目を見開いた蓮之助が、ズズッと頼宣との間を詰めた。
「それが、分かってはおらんのだ。下手に幕府が動くと、大名たちも動揺して大騒ぎになりかねん。そこで、秀忠様より、そちに、この件を探ってほしいと密命が下ったのじゃ」
「承知しました。この件は徳川の存続を脅かしかねませぬ。我が手の者を総動員して当たります。暫く紀州を留守にしますがよろしくお願い致します」
降って湧いた徳川の一大事に、城から帰路を急ぐ蓮之助の気持ちは高ぶっていた。
彼は城から戻るなり、家臣の中でも信頼のできる二十名を選抜し、屋敷に呼んだ。
「今回は密命じゃ。他言する事は相ならぬ故、そう心得よ」
蓮之助は、そう前置きして話を続けた。
「実は、次期将軍である家光様に、毒を盛った奴がおる。我らは、江戸へ出向いて、その下手人を探索するのじゃが、今回の事は三代将軍をめぐっての跡目争いの可能性が高い。その裏で、暗躍している黒幕が必ず居るはずじゃ。そやつを探し出して禍根を絶つのが我らが使命ぞ。各々一世一代の役目と思うて精進してもらいたい。良いな!」
「ははっ!」
何時にない、緊迫感のこもった蓮之助の話を、家臣たちは、身を固くして聞いていた。
続いて、大三郎から各隊の組み分けが発表された。
「大奥には、静に潜入してもらう。春日局様に、話は通してあるのでよろしく頼む。
次に江戸城には蓮之助様が入られ、宗矩様と力を合わせて指揮を取られる。
福丸の部隊は、以前に家光様と次期将軍を争った、弟君の忠長様に付いた大名や家老達を徹底して調べてもらいたい。
江戸には一軒家を借りて、そこを拠点にして動こうと思っておる。そこには、華様に詰めて頂く。
それから、家光様警護の為、家法様が小姓として就く事になった。以上だ。皆、心して掛かってくれ」
彼らは、次の日から、隊毎に江戸へと出発していった。華が旅支度をしていると、妙が自分も行きたいと言い出した。
「私だけ、おばば様と留守番は嫌です。母上、私も、何かのお役に立ちたいのです。何故連れて行ってくださらないのですか?」
「今回のお役目は、とても危険なのです。あなたが行けば、足手まといになるのが分からないのですか!」
華が、厳しい口調で突っぱねたが、妙も負けずに母を睨んだ。その時、奥の部屋で話を聞いていた蓮之助が、顔を見せた。
「儂達が下手人探索に動き出す事は、敵も先刻承知だ。剣で敵わぬ彼らは、儂の命よりも大事な、家族を狙って来るに違いない。
華は論外として、母上には大三郎が着いているから心配はない。そうなると妙が心配じゃ。華も少し動きにくいだろうが、妙を傍に置く方が、護りやすいのではないか?」
「……分かりました。妙、準備をなさい、すぐに出発しますよ」
「はい、母上!」
妙の顔がほころび、一目散に自分の部屋に駆け込んでいった。
二日後、蓮之助達は、堺からの大型船に丸一日ゆられて、江戸に着いていた。
蓮之助と静は、そのまま江戸城へ向かい、華と妙は、隠れ家である江戸城近くの一軒家に向かった。
蓮之助は登城すると、叔父の柳生宗矩と打ち合わせをした後、大奥の春日局に静を合わせた。静は、春日局の側近として大奥に入り、側室たちの中に、不審な者がいないかを探る事になっていた。
「惜しいのー。もう少し若ければ、そなたの美形なら上様の側室にも成れたものを……」
春日局は、静の顔から身体へと視線を巡らしながら唸った。
「滅相もございません。私はただの忍びに御座います」
静が、恥じらいを見せて俯いた。
「そうじゃったの。お主には、大奥の何処でも出入り自由と致す故、くれぐれも用心して探索いたせ。
ともあれ、家光様を亡き者にしようとした者どもを一網打尽にせねば、この春日の気が収まらぬ。頼んだぞ!」
家光を、我が子のように溺愛している春日局は、憤怒の顔を静に見せた。
続いて蓮之助は、将軍秀忠に拝謁した。
「蓮之助、待っておったぞ。今回の事は、家光を廃して幕府を自分のものにしようとする者の仕業であろう。家光を失ってしまっては、今までやって来た事が全て無駄になってしまう。
儂の代での最大の試練かも知れんが、其方が来てくれれば安心じゃ。
家光が居る、二の丸御殿の警備は厳重にしておるが、其方に、警護と黒幕の探索に当たってもらいたいのじゃ、万事宜しく頼む」
秀忠は、蓮之助と同い年の四十三歳だが、家康亡き後、孤軍奮闘してきた為か、年の割には老けて見えた。
「畏まりました。必ずや家光様をお護りし、黒幕を探し出して成敗して見せまする」
蓮之助は、秀忠と暫し話した後、その足で二の丸御殿に入り、家光に拝謁した。
「家光様、柳生蓮之助に御座います。本日より警護の任に就かせて頂きます」
「蓮之助、そちの噂は父上からも聞いておるぞ。大儀じゃ。それにしても外へ出してもらえず閉口しておる。早う事件を解決してくれ、頼むぞ」
家光は、今年十八になったばかり、多感な年頃故、室内に閉じ込められてばかりの生活に、嫌気がさしているのが蓮之助にも見て取れた。
「家光様。それでは、今日は天気もよろしいので城内を散歩いたしましょう」
「おお、それは良い。ついでに、お前の剣術指南も受けてみたい」
「承知しました」
家光と蓮之助は、周りの者が止めるのも聞かず、外へ出て庭園を散歩したあと、剣術の稽古に汗を流した。
久しぶりに、存分に体を動かした家光は、生き返ったように元気になった。
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