第2話 運命の十字架

  半月後、江戸城では、酒井忠次、本多忠勝、榊原康政、井伊直政、柳生石舟斎、そして家康の六人が顔を合わせていた。

 蓮之助は、障子を隔てた庭の土間に縄をかけられ控えていた。


「今回の件は、合議する必要も無かろうと存ずる。即刻切腹が妥当で御座ろう」


 酒井忠次が口火を切ると、本多忠勝、榊原康政、の二人が頷いた。 

 

「問題は、柳生家としても、何らかの処置が取られるべきだと思うが如何であろう」


 本多忠勝が追い打ちをかけるように言った。

 彼ら徳川の重鎮も、幕府大目付として恐れられつつある柳生家を、快く思っていなかったのである。


「しかし、柳生宗矩は秀忠様の剣術指南。処分するとなるとその影響は計り知れぬ。ここは蓮之助のみに留めるべきではなかろうか」


 榊原康政が思慮深そうな顔を本田忠勝に向けた。


「恐れながら、今回の事は松平清道の方にも非はあります。後ろから斬りつけるとは武士の風上にも置けませぬ。また、斬られたのが上様のお身内だからと言って、切腹はいかがなものでありましょう」


 井伊直政が家康の顔色を伺いながらも、よく通る声で異を唱えた。

徳川の重鎮四人は、その後も火花を散らして意見を戦わせたが、結論は出なかった。


「蓮之助の不祥事は、この石舟斎が皺腹掻き切って上様にお詫び申し上げる所存にござります。

 彼の蓮之助は、私が手塩にかけて鍛えた逸材でござる。身内だから申すのではありませぬ。徳川家の、万代の礎を築く為に必要な男にござる。上様! 何卒、命ばかりはお助け頂きとうございます!」


 石舟斎が、家康に向かって畳に額を擦り付けて懇願した。

 その時、脇息に寄りかかって目を閉じていた家康が、身体を起こした。


「老師。蓮之助は、それほどの男と申すか?」


「気の短いところはありますが、類まれな資質を持っております」


「障子を開けよ!」


 家康の命で障子が明けられると、庭に蓮之助が頭を下げていた。


「苦しゅうない、面を上げい!」


 死を覚悟してか、蓮之助の表情には何の憂いも見えなかった。


〈ほう、なるほど良い面構えをしておるわ。老師の言うように、この男が徳川の為に働いてくれる逸材なら……、試してみるか〉


 家康は、自分の亡き後の徳川の世を盛り立てる人材を探していたのだ。家康は、蓮之助の顔を穴の開くほど見つめてから、口を開いた。


「では、沙汰を申し渡す。蓮之助にはお構いなし! 当然、柳生家の責任も問わぬ事とする。但しじゃ、此処からが肝心なところなんじゃが、儂の孫でもある松平忠明もこのままでは腹の虫が治まるまい。清道は確かに問題児ではあったが、忠明にとってみれば可愛い息子に違いない。彼は、秀忠に泣きついてでも、蓮之助、そちに刺客を放つじゃろう。お前はこの先、一人で徳川宗家を相手に戦わねばならんという事になるのじゃ。

 だが、三年間生き延びることが出来たら、この家康の責任において刺客を送ることは止めさせよう。

 蓮之助! そちの本領、とくと見せてもらおう。見事生き延びて見せい!」


「……」


 家康が立って、評議は終わった。

 命を助けられたとはいえ、家康の沙汰は、蓮之助にとって絶望でしかなかった。

 途轍もない運命を背負わされた蓮之助は、即刻赦免されて石舟斎と共に大和の国へと帰っていった。



 大和の国に帰った蓮之助は、座る間もなく再び旅支度を済ますと、石舟斎の部屋に別れの挨拶に行った。


「おじじ様。蓮之助、只今より死出の旅に出ます。おじじ様もどうかご壮健で……」


 蓮之助は、石舟斎との厳しくも暖かかった剣の修行を思い出して、その恩に報いる事が出来なかった自分の不甲斐なさに、はらりと涙を流した。


「うむ、蓮之助よ、生き延びるのじゃ。敵が徳川宗家であろうとも、柳生の剣は折れはせぬ。お前には、それだけの力がある事を忘れるな。相手の力量にもよろうが、できるだけ殺さぬがよい、徳川宗家は、主君でこそあれ敵ではないからの。恐らく、これが今生の別れとなろう。師弟は死しても一緒じゃ。柳生の剣を極めよ。それを民の為に生かすのじゃ、良いな」


 石舟斎の言葉は、死ぬ事しか考えていなかった蓮之助の心に深く染み入り、希望の光を灯した。

 彼は、石舟斎の弟子として、自身の剣を極める為に生きてみようと、面を上げた。

 その石舟斎が、それから二年後に帰らぬ人となることを、蓮之助は知る由も無かった。


 蓮之助は館を出ると、敵の本陣ともいえる郡山藩は避けて、山城藩を抜けて摂津へと向かう道を選んだ。

 如何に柳生の剣が最強でも、一人で戦うことには限界がある。彼は、避けられる戦いは避けなければ身が持たないと考えたのである。

 

 蓮之助が柳生から山城藩に入ろうとした時、遥か後方から馬の蹄の音が聞こえて来た。それも一頭ではない。暫くすると、山肌を真っ赤に照らす松明が幾筋も見えて来た。その数、十三騎。松明の炎は風になびいて連なり、赤い蛇のように蠢きながら近付いて来る。


(来たか!)


 蓮之助は自らに気合を入れると、笠を取り、羽織を脱いで襷を掛け、鉢巻を締めて道脇の草むらに身を潜めた。彼の息は荒くなり、胸の鼓動は緊張で高鳴った。蓮之助は、柳生流の達人ではあったが、人を斬ったのは清道が初めてだったのだ。


 今度は手練れ十三名が相手である。万が一勝ったとしても、殺した人の数だけ恨みが増えると思うと、彼の心は萎えた。だが、犬死は断じて出来ぬ。彼は、石舟斎が言った“殺さずに勝つ戦い”をするしかないと思った。


(よし! 徹底して足を攻めよう)


 蓮之助は、胸の内で呟いて、勢いよく街道の真ん中に躍り出た。


「何奴!」


 嘶きと共に先頭の騎馬武者が止まって、蓮之助を睨みつけた。後方の騎馬が次々と到着して、街道を塞ぐ。彼らは、鎧兜を身に着け、それぞれ長い槍を持って戦支度をしていた。


「柳生蓮之助、推参! 郡山藩の方々とお見受けする。鎧甲冑の騎馬姿とは、何処かで戦でもござるのか!?」


 蓮之助が、皮肉って言うと、


「問答無用! 郡山藩、槍の十三神。清道様の仇を打つ。覚悟!」


 騎馬隊は、持っている松明を道脇に等間隔に立てて、蓮之助を浮かび上がらせた。


 彼らは、大将が最後尾で睨みを利かせる形で指揮をして、あとの十二人が二列縦隊に隊列を組むと、槍を翳し、砂塵を舞い上げて蓮之助目掛けて突進して来た。

 蓮之助は刀を抜き放ち、敢えて、その正面へと進んだ。


 先頭の二人の騎馬武者が槍を繰り出した刹那、蓮之助は二本の槍先を一瞬で切り落とし、ポーンと左側の馬に飛び乗っていた。懐に入られた騎士が刀に手をかけた時には、足に痛みが走っていて、蓮之助の姿は既に隣の馬上にあった。


 騎馬隊が駆け抜ける中、蓮之助は、次々と馬から馬へ飛び移って斬り付け、最後の十二人目の騎士から槍を奪うと、疾走して来る大将目掛けてブンと投げつけた。

 左腕を槍で貫かれた大将は、馬からドッと崩れ落ちた。


 蓮之助が振り向くと、松明の炎に照らされた十二人の騎士は、悉く足を斬られて、落馬していた。


 彼らが立ち上がれぬのを見届けた蓮之助は、馬に飛び乗り、闇の中へと消えていった。 

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