第40話 後継①

 大老、大久保忠光の謀反から一年が経った頃、徳川家光は二十歳で三代将軍に就いた。秀忠は大御所となって彼を補佐し、家光体制の強化に力を注いだ。


 ある日、蓮之助が館に帰ると懐かしい人物が待っていた。それは、二十年ぶりの再会となる、恩師日光であった。

 蓮之助が客間に入ると、日光の懐かしい笑顔が目に飛び込んで来た。彼は、七十歳を越えているはずだが、その姿は矍鑠として老いを感じさせなかった。


「日光様、お久しゅう御座います。お元気そうで何よりで御座います」


 蓮之助と華は、日光の前に並んで座ると深々と頭を下げた。


「あなた方の活躍は、各地で聞いておりました。よくぞ、ここまで頑張られましたな。私も嬉しい限りです」

「日光様に教えて頂いた気功剣と法のお陰で、私達は、二人の子の親となり、世の為にと精進しゆく中、一万石を頂く身にもなれました。

 あの地獄の日々の中で、日光様に励まして頂いた通りの、最高の人生を開くことが出来たのです。本当にありがとうございました」


 華が、感謝の思いを身を震わすように言うと、その美しい瞳から涙が溢れた。


「本当に、我ら夫婦の今があるのは日光様のお陰です。感謝の言葉もございません。そこで、華とも常々話していたのですが、お寺を寄進したいと思っております。

 如何でしょう、この紀州の地に住んでいただく訳にはいかないでしょうか?」

「有難い事じゃ。拙僧も七十一歳になり、旅をする体力にも限界を感じるようになり申した。ここらあたりで、一所に落ち着こうと思っておったところです。お世話になりたいと思います」

「おお、そうして下され。今は、紀州柳生の多くの者も仏法に帰依しております。是非、その者たちにも法を聞かせてやって頂ければと存じます」


 蓮之助が喜びに声を弾ませると、日光はにこやかに頷いた。


 数日すると、多くの大工たちが集められて、柳生の屋敷に隣接した土地に、寺を建てる槌音が響くようになった。

 そして、三か月後には、小さいが立派な寺が完成した。日光は数人の弟子と共に寺に入り、そこを拠点として紀州藩内で法を説き、晩年を過ごす事になった。



 それから、五年の歳月が流れて、蓮之助は五十歳になっていた。

 彼の弟子に、山本一之進という若者がいた。一之進は家法と同じ二十歳で、剣の腕前も家法と互角に戦えるまでになっていた。


 強いと聞けば挑まねば気が済まない妙は、一之進との練習試合で負けたのを機に、毎日、彼の胸を借りて剣の腕を磨いた。そんな日々が続く内、二人に恋慕の情が芽生えて来たのである。

 そして、山本一之進と妙は夫婦の約束をして、蓮之助と華の前で胸の内を明かした。


「そうか、お前達が決めた事なら、儂らに異存はない。実はな、家法も好きな女子が出来た様なのじゃ。もしかしたら、春には、二人揃って祝言を上げれるかも知れんな」

「まあ、お兄さまも! そうなったら嬉しいわ。父上、母上有難うございます」


 両親に祝福されて、妙は頬を赤く染めていた。 



 一方、家法も、紀州藩家老の安藤直次の末娘、雪との婚姻が整い、家法と妙の祝言は、相次いで行われた。


「華、妙が居ないと、なんだか寂しくなりましたね」

「母上、その変わり、雪さんが家族になったではありませんか。それに、山本殿の居宅はすぐ近くですからいつでも会いに行けますよ」


 六十前になって、白髪が目立って来た千代は、話し相手の妙が家を出た事もあってか、元気がなかった。

 

 千代と華が噂をしていると、その妙がやって来た。


「おばあ様、お母さま、祝言の時はお世話になりました」

「それで、あちらのお母様とはうまくやっているの?」


 千代が聞くと、妙の顔から笑顔が消えた。


「あちらのお母様は厳しくって、毎日小言ばかりを聞かされているのですよ。逃げ出したくもなりますわ」

「お前、逃げ出して来たのかい?」


 千代は目を丸くして、妙の顔を見た。


「いえ、お買い物に行くと言って出てきました」

「妙には剣の事しか教えていないから、何かと苦労も多いだろうけれど、山本の母上を私だと思って精一杯頑張るんですよ。剣の修行の事を思えば何でもないでしょう」


 華が諭すと、妙はコックリと頷いた。

 妙は、暫く二人と喋って元気が出たのか、笑顔で帰って行った。



 それから、二年の月日が経つと、妙には男の子、嫁の雪には女の子が生まれて、ひ孫の世話に千代は嬉しい悲鳴を上げていた。

 蓮之助と華にとっても、初めての孫が二人も出来たのである。その可愛がりようは大変なもので、雪や妙から、小言を言われるほどだった。


 そんな折、大御所として、若い家光を支えて来た秀忠が、この世を去った。五十三歳だった。

 葬儀には蓮之助、華、家法が参加して、秀忠の激動の人生を偲んで送った。


 葬儀が終わって、蓮之助達は家光に拝謁した。


「蓮之助、よう来てくれた。父上も喜んでおられよう」

「家光様には益々お元気の様子で、何よりでございます」

「うむ、父上も亡くなって、これからが儂の真価を見せる時と思うておる」

「ご活躍を紀州の地より見守っております。……それで、秀忠様が亡くなられたのを機に、同い年の私目も引退し、この家法に、紀州家剣術指南役を継がせたいと思っております。何卒お許し頂きとう存じます」

「そちも、父上と同年だったか。よかろう頼宣叔父にも伝えておこう。家法、父に負けぬ指南役に成れ! 蓮之助、華、大儀であった」


 家光は、蓮之助と華に頭を下げて、今までの忠義を労って部屋を出て行った。


 家光は秀忠の死後、幕閣の再編や重要な拠点への譜代の大名の配置、更に、参勤交代などを次々と実施していった。

 彼は、徳川の礎を更に強固なものとし、世に名君と謳われる将軍となっていくのである。

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