第4話 道連れ

  次の日、華は新しい着物に着替え、父の遺骨を抱いて徳島へ帰ろうとしていた。

「華、密書は奪われていないんだろう?」

 突然、蓮之助が聞くと、華は顔を強張らせて彼を睨んだ。


 徳島藩では、江戸家老の斎藤典膳が数々の悪事を働き、私腹を肥やしていた。

 藩の前途を憂いた島崎親子は、典膳の悪行を記した密書を国元の藩主に届けるべく、隠密裏に江戸を発ったのだが、道中何度も、典膳の配下に命を狙われたのである。


「心配いらぬ。徳島迄、儂が付いて行こう」


「いえ、大丈夫です。貴方様にこれ以上ご迷惑をお掛けする訳にもいきませぬ」


「馬鹿を言うな。子供一人でこの先、どうやって密書を護ろうというのだ」


「子供ではありませぬ! 自分の身体は自分で護れます!」


 華は声を荒げ、はちきれんばかりに目を見開いて蓮之助を睨んだ。


「では、何故父は死んだ!」


「……」


「お前が子供だからだ。未熟だからだ。父の意志を継ぎたいなら大人の判断をしろ。儂も重荷を背負う身だが、島崎殿への供養の為にも、死んでもお前を護ってやる。儂はそう決めた。良いな!」


 蓮之助は、そう言いながらも、なぜ自分はこの娘の為に世話を焼こうとしているのか分からなかった。縁と言えば縁、父を亡くした若いい娘に同情しての事と言えばそうかも知れぬ。だが、徳川宗家に狙われる彼にとってはどうでもいい話のはずだった。

 華は納得しない表情を浮かべていたが、観念したように蓮之助と共に街道を歩き始めた。


 二人が沈黙したまま歩いていると、後ろを歩いていた華が小走りに蓮之助の前に出て、懇願するような眼を向けた。


「柳生様、私に剣を教えて下さいませぬか?」


「柳生様はよせ、今は勘当の身だからな。剣は一朝一夕ではいかんが、見るだけは見てやろう」


 二人は街道を少し外れて、手頃な広場を見つけると向き合った。


「好きに打って来るが良い」


 華は、蓮之助の言葉が終わらないうちに小太刀を抜いて斬りかかった。蓮之助は、刀は抜かず無刀取りの構えで、その剣を難なく躱した。華の剣は正確で速く、その身体の割には重かったが、蓮之助の手刀が彼女の手首に決まると、小太刀はあっけなく叩き落とされた。


「まだまだ!」


 華は何度倒されても、小太刀を拾うと果敢に挑んでいった。

 蓮之助が太刀を抜いて本気で打ち込むと、華の小太刀に凄まじい衝撃が走った。だが、恐怖で動きが鈍るかと思いきや、彼女はその動きを更に加速させていったのだ。


(この娘、剣が怖くないのか?)


 蓮之助は、華の気の強さに舌を巻いていた。

 二人は、半時も存分に打ち合って、互いに刀を引いた。


「女にしては、凄まじい剣だな。だがその小太刀では短すぎる。もう少し長めの剣で二刀流にしてはどうか?」


 彼女が使っている刀は、小太刀の中でも短めの刃渡り一尺五寸のものだった。


「二刀流ですか?」


「そうだ。お前の力なら充分使い熟せるだろう。手数、防御共に格段に上がるはずだ。これを使うと良い」


 蓮之助は、腰に差してあった刃渡り二尺の小刀を、無造作に華に差し出した。


「これを私に?」


「利き手に、この剣を持って練習すると良い」


 華は、その小刀を受け取ると、スラっと引き抜きブンブンと二度振った。


「持ちやすい!」


 華の顔が一瞬緩んだ。


 それからも旅の空の下で、場所を見つけては華の剣の修行は行われた。

 彼女にとって、懸命に蓮之助と刀を交えている時間だけが、不思議と生きている実感が湧いて、父の死を忘れさせてくれたのである。


 峠を越すと堺の街が広がっていて、その向こうに青い海が見えた。


「華、いよいよ堺だ。敵は必ずここで仕掛けて来るはず。船に乗るまでが勝負ぞ、心せよ!」


「はい!」


 華の緊張を解きほぐすかのように、峠の冷たい風が彼女の熱い頬を撫でた。



 峠を下り、蓮之助たちが小さな神社の脇を抜けようとしたその時だった。虚無僧の一団が何処からともなく現れて二人を取り囲んだ。


「何奴! 徳川の刺客か!?」


 蓮之助が声高に聞いたが返答は無い、刺客なら名乗るはずである。華は父の遺骨を置いて身構えた。相手は十数人、皆、深編笠をかぶっていた。


「華、こやつら出来るぞ!」


 刀を抜いて身構えた虚無僧たちの動きを見て、蓮之助が彼女を護るように前に立った。


「娘、密書を渡せ!」


 虚無僧の一人が華に斬りかかって来たのを、蓮之助の刀が弾き返し、その返す刀で相手の足を斬った。


「ウウッ」


 虚無僧が倒れるのと同時に、円陣を組んだ彼らが一斉に斬り込んで来た。

 蓮之助は華を小脇に抱え、ポーンと六尺【約百八十センチ】余りも飛び上がった。彼らの頭上で蓮之助の剣が煌めいて、円陣の外に着地した時には、三人の敵が倒れるところだった。


「華、背中を合わせよ!」


「はい!」


 二人は背中を合わせて、じりじりと回転しながら、打ち込んでくる敵を次々と倒していった。


 虚無僧たちは残り五人となると、被り物を捨てて必死の形相で挑んで来た。その中の身体の大きな男が、突然、刀を捨てて華に突進した。彼女は咄嗟に右手の刀でその大男の腹を貫いた。


「うぐっ!」


 大男は目を剥きながらも、がばっと華を抱きすくめた。


「何? 離せ!」


 華は身をよじって逃れようとしたが、大男は腹を刺されているにもかかわらず、彼女を骨も折れよと締め上げて来る。


「ううっ!」


 華の顔が苦悶に歪んだ。


「今じゃ! わし諸共貫け!!」


 大男が叫ぶと、後方の二人が一気に彼の背中に剣を突き立てんと突進して来た。


 蓮之助が、華の危機を察知して彼女の名を叫んだ刹那、

 彼女は持っていた両の刀を離して、強烈な膝蹴りを大男の股間に見舞った。大男の腕が一瞬緩んだところを、両手を天に突き上げ一気に座り込むと、その腕から華の身体はするりと抜けた。


 間一髪、大男の腹から突き出て来た二本の刀が、座り込んだ彼女の頭の髪をかすめた。華は、剣を拾って後方の二人を一瞬で斬り捨てた。


 華が振り返ると、残りの敵を倒した蓮之助が、心配顔で見ていた。


「華、怪我は無かったか?」


「……大丈夫です」


 彼女は激しい息遣いをしながら、必死の形相を緩めた。


「それにしても、あの絶体絶命の状況で、よく刀を捨てるという考えが浮かんだな」


「必死でしたもの。自分でも何故あの様にしたのか分かりません」


「うむ、天賦の才と言うやつかも知れんな……。さあ、先を急ごう」


 蓮之助と華は堺港へ着くと、徳島行きの商人の船に話をつけて、船上の人となった。

 右に淡路島を見ながら船が進むと、その先に四国の山々が微かに見えて来た。華は、はやる気持ちを抑えながら、隣にいる蓮之助の逞しく広い背中を見ていた。

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