修練
翌日から、妃としての修練が始まった。
修練で学ぶ礼儀作法や国の歴史は、妓楼にいた頃に教養として学んでいる。しかし、それらは全て客を楽しませるための道具であり、妃として学ぶこととは意味が違う。
王宮で学ぶのは、妃としての教養は勿論だが、内廷の主として円滑に職務を行えるように、さらに言えば他国から見て国の印象は、君主とその妻の人となりによって左右されるため、妃の印象が好印象になるようにという、外交的な意味も持ち合わせている。
礼儀作法も国の歴史も、妓楼で学んだことから、そう苦労はしないだろうと、梅花ははじめ自負していた。
しかし、実際は揖礼ひとつ取っても妓楼で習うものよりも、制約や細かな規則があり、また国の歴史や地理に至っては産まれてから今まで、都を出たことがない梅花にとって、どれもはじめて知る事柄ばかりである。
都を取り囲む四つの地域をなんとなく知っていても、その地域が国にとってどのような役割があるのか定かではない。ひとつ知識を得ることで、自分がどれだけ世間知らずなのか思い知らされる。
世間知らずな自分に嫌気が差し、悄然とする梅花に寄り添うのは側仕えとなった蕾柚である。
一日の修練を終え、寝台の上で膝を抱える梅花に、蕾柚はそっと暖かい茶と菓子を差し出す。茶が入った
蓋を外すと柔らかな湯気が立つ。梅花は、湯飲みを手に取り
その様子を眺めていた、蕾柚が口を開く。
「焦る必要などございません。
料理も修練と同じようなものでございます。料理も焦れば必ず、失敗したします。余裕が出てはじめて成功するのです。
まだ、春には時はございましょう」
蕾柚に諭され、梅花はこくりと頷く。
蕾柚の気遣いと優しさに、白桜の人選は正しかったと実感する。
梅花が修練で苦戦している旨は、同然ながら白桜の耳にも届いている。
「苦戦するのも当然であろう。
頼る者もおらず、右も左も分からぬまま、王宮で生活せねばならぬ。修練も妓楼から出たことのない梅花には、難しいことも多いであろう」
灯篭の淡い灯に照らされ白桜は険しい顔をし、そう口にする。
「お分かりなら一度、お会いになってはいかがですか。梅花様も、そうご所望かと存じます。白桜様にお会いになることで、梅花様の気も晴れましょう」
桃苑は苦言を呈す。
梅花が入内した時は満開だった桜樹が、現在は新緑に変化している。その間、白桜はほとんど梅花に会っていない。正確には、内廷で顔を合わせれば挨拶を交わし、立ち話をする。しかし、宮を訪ねたりといったことをしていない。
桃苑としては、苦労の末に梅花を入内させたにも関わらず、積極的に宮を訪ねない白桜に歯がゆい思いである。
決して梅花に会いたくない訳ではない。
ただ、来年の桜月の退位を控え、梅花の件にまで手が回らないのが実情である。桜月は己のやり方で、国を政経せよと言ったが、だとしても手本がいる。故に、桜月の政務のやり方を、民との向き合い方を、出来るだけ多くの時間を使って間近で見、吸収しておきたい。
恐らくそれが、最高の親孝行になるはずである。
白桜のこのような一面が、桃苑の瞳には薄情に映るのであろう。
苦言を呈しても、険しい表情をしたまま黙り込む白桜に、桃苑は再度口を開く。
「お忙しいのはお側でみているわたくしも存じております。
ですが、このまま修練に苦戦するようなことが続けば、梅花様はご覚悟を緩めてしまわれるやも知れません。
万が一のことが起き、後悔なさるのは白桜様ではございませんか。わたくしは、そのようなお姿を見たくはないのですよ」
縋るような視線と、諭す声音に白桜が微かに頷いた。
白桜の心情が動いたのは、翌日の深夜に蕾柚が宮に訪れたのも関係している。
主の梅花は、既に眠りに就いている。故に、蕾柚は梅花が寝入ったことを確認し、物音を立てずに宮を後にした。
宮に訪れた蕾柚に、白桜は椅子を勧める。蕾柚が椅子に腰を下ろすと、桃苑が「どうぞ」と声を掛け、二人の前に茶が入った湯飲みを置く。
桃苑に会釈をすると、蕾柚が口を開く。
「白桜様にお頼みしたき儀がございます」
そこで言葉を切ると、蕾柚は懐から一通の立て文を取り出し文机の上に置く。
「これは?」白桜が立て文に視線を向け問う。
「梅花様が妓楼でのご友人に宛てて、お書きになった文でございます。王宮へ入内なさる前に、ご友人に文を出すと約束したのだと仰せに」
「文の内容はご存じですか」桃苑が固い表情をし問う。
「わたくしが拝見いたしました所、王宮での生活やご自分のお気持ちを綴っていらっしゃるようでした」
本来ならば、女官が主の文を読むなど言語道断。しかし此度は、文の宛先が王宮の外である為、梅花の了解を得て目を通している。
蕾柚の返答に白桜が頷く。
「政や国の重要な事柄ではなければ構わない。
それに、文に己の気持ちを綴ることで、梅花の気が晴れるのならば尚良い」
白桜は梅花の文で、民に政について重要な事柄が外に漏れることを危惧していた。梅花のことを信頼していない訳ではない。だが、本人がそのつもりがなくとも、書き方によってはそう読めることもある。
万が一そのようなことになれば、梅花を気に入らない官吏らは、梅花を間諜と見なすだろう。
「必ず、文を出す前に内容を確認すること。そして毎回、どのような文であったか私に報告すること。これが約束できるのならば、文を出すことは構わない」
白桜の計らいに、蕾柚は「承知いたしました」と揖礼を捧げる。
礼を解くと蕾柚は再度口を開く。
「お頼みしたき儀は別にございます。
この文を、月花楼の“めいげつ”という名の妓女まで届けて頂くことは可能でしょうか。ご存じの通り、わたくしは王宮を出ることは許されておりません。それに、妓楼には妓女以外の女人は入れぬことになっております」
白桜はちらりと桃苑を見る。視線に気づいた桃苑は、微かに頷く。
「芽李月殿とは、以前から関りがございます。故に、わたくしがお届けいたしましょう」
桃苑の申し出に、蕾柚は「ありがとうございます」と答える。
「梅花の修練の進み具合はどうだ」
話が済むと、白桜が茶を啜り口を開く。
「一時よりは苦戦することも、多少は少なくなったかのようにお見受けいたします。まだまだ、覚えねばならぬことは山のようにありますが……。ひとまず、以前のように焦ることは少なくなったかとお見受けいたします」
蕾柚の言葉に、白桜はほっと表情を緩める。
「だからとは言え、一度お会いになったほうがよろしゅうございますよ。白桜様」
横から桃苑が釘を刺す。
「もう少し、ことが落ち着いたら一度ゆっくり会うつもりだ」
白桜の返答に蕾柚と桃苑はお互い微かに微笑み合う。
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