妓楼
王都
都一の妓楼・
百を越える妓女が属し、都を訪れる世の男性らを相手に夜な夜な楽しませている。
寒梅が咲く頃であり吐く息は白い。
十日に一度の休日。
月花楼の妓女である、
数え十六ほどのうら若き少女である。
都は沢山の見物客で溢れ、喧騒に包まれている。しかし、一歩路地に入れば、妓楼が立ち並び甘く妖艶な香りがする、色街としての顔も持ち合わせている。
梅花は、空色の衣に
衣には白い糸で、梅の花が刺繍してある。
梅花は露店で、簪や歩揺、櫛を物色していた。布の上にずらりと並んだ、品物を手に取り熱心に見入っている。
こういった、髪飾りは妓女らにとってれっきとした商売道具であり、身請けの意思表示としても用いられる。
露店商は、熱心に品物を物色している梅花を見上げ、鼻をすんすんと動かす。
「香がきつい。あんた妓楼の妓女か」怪訝そうに、野太い声でそう問う。
妓楼では、たしなみのために香木を焚き染める。故に、どうしても襦裙に移り香が移る。
妓楼で使用する香木は、独特な甘い香りがするため、露店商は残り香で梅花が、妓女だと見抜いたのだろう。
梅花は、顔を上げ息を呑む。梅花の反応を見るや否や、風呂敷を広げ品物を片付けようとする。
「お待ちください」声が掠れる。
「疚しい者ではございません。
身分も所在もしっかりしております。当然、代金もお支払いたします。ですから……」
梅花は懇願するが、露店商の態度はつれないものである。
「その身分っていうのが、妓女なんだろう? そんなこと話にならない。
妓女に商品を売るなど、金を払う云々以前の問題だ」
露店商の辛辣な物言いには理由がある。
天香国では、先代の王が妓女や色街に嫌悪感を持っていたことから、現王が即位した今でも妓女というものは、卑しい存在という風潮が残っている。
梅花は、今の王しか知らないが、先代の王の時代は妓楼という妓楼が全て閉鎖され、妓女だというだけで酷い拷問を受け、処刑された女人も少なくなかったと聞く。
例え都でも、卑しい存在にものを売れば評判が落ちると考える、年配の商人は少なくない。
と同時に、妓楼や妓女が上流階級しか縁がないことも関係している。妓楼で一晩、遊ぶためには最低でも一両(十三万円程)掛かり、商人が一生働いても、妓楼で遊ぶことは叶わない。
「そう仰せにならずどうか……」梅花は再度、説得を試みる。
「帰れといっているんだ! 何編言えば分かる!?
妓女と関りがあると知られれば、商品の価値が下がり店の評判も下がる。商売あがったりなんだよ!
どうしても簪が欲しいのなら他をあたれ!」
露店商の怒声に、周りの見物客の視線が集中する。梅花はその場に立ち尽くす。
助けを求め辺りを見回すが、見物客は面倒なことに関わるのはごめんだと言わんばかりに、視線を逸らし、速足で歩きはじめる。
身じろぎせず立ち尽くす、梅花の態度が
その刹那―。
「女人に向かって、手を上げるとは感心せぬが?!」
背後から男性の声がしたかと思うと、手が伸び露店商の腕を掴み、腕を捻る。露店商は痛みに顔を歪ませる。
梅花が振り返るとそこには、
男性が身に纏っている深衣は、無地だが
歳は梅花より二・三上だろうか。
「だがこの女は妓女で……」
露店商の弁解虚しく、男性は声を若干荒げた。
「それがどうした!? 妓女だろうと奴婢だろうと、この国の民は皆平等なはずだ。それをおぬしは、妓女だからいとう理由のみで、爪弾きにするつもりか」
低く冷えた声。その
男性は露店商の腕を離す。その隙を狙って、荷物を抱え足早に人ごみに紛れていった。
露店商が去って行った方角を見ながら、男性は苦い顔をした。
梅花は突然のことで、思考が付いていがずその場に座り込んだ。
「大事ないか。怪我は」身を屈め、先ほどとは打って変わって、優しく問う。
「ございません」梅花の答えを聞くと、手を取りゆっくり立たせる。
「悪い。話を聞いていてつい……。
そなたの買い物の機会を、台無しにしてしまった。商人に思いとどまって貰おうと思ったのだが……」
「いいえ。助けて頂き感謝しております」
そう口にすると、感謝の意を込め揖礼する。
「よせ。敬意を示されるような者ではない。
それよりも、突然言いがかりを付けられ怖かったであろうに……」
梅花は微かに頷く。
男性は柔らかく微笑み、幼子をあやすかの如く頭を撫でる。
その笑みと行為に梅花は目を剃らし、下を向きはにかむ。
「若様!」遠くで声がする。
「同伴の者を待たせている故。戻らねば」
男性は身を翻しかけ、ふと思いとどまる。
「そなた妓女だと言っていたな。
どの妓楼にいる?」
梅花は目を丸くする。
「月花楼におります。梅花と申します。
梅の花と書いて梅花」
名を聞くと、満面の笑みを浮かべ「月花楼の梅花か……。覚えておこう」と言い残し、颯爽と喧騒の中に消えて行った。
男性が喧騒の中に姿を消しても、梅花はその方角から眼を離せずにいた。
「待たせて悪い」
梅花と別れた男性もといい、天香国王子・
桃苑は白桜の姿を認めると、安堵の息を吐く。
「若様。
お忍びでの外出ですので、目立つような行動はいかがなものかと」
桃苑はやんわりと苦言を口にする。
桃苑が身に纏うのは、
「少し気になってな。つい、声を掛けてしまった」
白桜は微笑む。
「若様のお優しさと正義感は心得ております。
しかし、もしあの女人が若様を一国の王子だと知れば、大事になりましょう」
「承知している」白桜は桃苑を置いて歩き出す。
桃苑は速足で主を追った。
「若様!
そろそろ王宮にお戻りになりませんと。王様と王妃様が宮殿でお待ちです」
白桜の背に声を掛ける。白桜は足を止め、苦い顔をする。
そもそも、お忍びで都を探索しているのは、父と母との話し合いを避けるためである。
「話し合いは私がいなくてもできよう。
そもそも話し合うまでもない」
白桜の物言いは素っ気ない。
「そのようなこと仰せにらなず。ご自分の縁談ではありませんか。
それに、お忍びでの外出が知るところとなれば、お叱りを受けるのは若様ではなく……」
そこまで口にしたところで観念したのか、くるりと向き直り桃苑の隣に並ぶ。腕に軽く触れると、来た道を引き返す。
王宮までの道すがら、白桜は先程の妓女と露店商とのやり取りを思いだし、ふと口を開く。
「やはり妓女にとって、この国は生きにくい世なのだろうか……」
白桜の言葉に桃苑は答えず、背後に控えている。
いくら今の王が、妓楼や妓女に寛容だとしても、妓女は卑しい存在であるという風潮が完全に消えることはない。
その風潮により、あの少女が肩身が狭い思いをし、簪一本買うのも
「若様が王に即位された折には、妓女であろうと奴碑だろうと、民が皆が平等で
「そうだな。桃苑」
そう口にすると、少しばかり気が楽になったかのように思えた。
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