悪手
その文が春玲の元に届いたのは、桜の花が散り始めた頃である。
『お久しゅうございます叔母上』
という文面から始まる文の差出人は、白桜の異母兄弟である
桜薫は、桜月と彼の側室であった
母である雪華は元々、身体が弱く桜薫を産むのと引き換えに命を落としている。
雪華亡きあと暫くは、王宮にて世継ぎとして生活をしていた桜薫だが、正室の世継ぎである白桜の誕生で生活は一変する。
“正しい王位継承のため”という、桜薫にとって理不尽な理由で、王宮の外での生活を余儀なくされた。
父であるはずの桜月も、正式な世継ぎである白桜が誕生したことで側室の子である桜薫には関心を失ったのだろう。たまに、王宮に顔を出しても再会を喜ぶような素振りさえ見せない。
そんな桜月の機嫌を取ることに、嫌気がさしたのか王宮には寄り付かず、現在は王族の地位を持て余し国中を旅する生活を続けている。
王宮に寄り付かない桜薫を唯一、気に掛けているのは王妃である春玲である。
彼女だけは、文のやり取りをし王宮を訪ねていても、温かくもてなしている。
桜薫の文には、久し振りに都に戻って来たので、近いうちに王宮に
春玲は、文を読み終わると嗤う。
この好機を利用しない手はない―。
このとき既に、春玲の頭の中にはある計画が密かに動き出していた。
白桜との縁談が白紙になってからというもの。柊明の邸では、明るさが消えたかのように、陰鬱な空気が満ちていた。
幸い柊明は左丞の地位を保ったままだが、本人である白蓮は見るからに暗然たる様子である。
春玲から、白蓮に慰めの文が届いたのは、そんな折であった。
文には、息子が白蓮を傷つけてしまい申し訳なく思っている旨、お詫びをしたいので一度王宮に参内して欲しい旨が、簡潔に認められていた。
文に目を通した当初は、今更慰めだのお詫びだの認められている事柄に、軽蔑するかのような感情が湧き、参内する気は起きなかった。
しかし、文を寄越したのが国の王妃ということもあり、もしかしたら白桜のもとに嫁ぐために尽力をしてくれるかもしれないという、期待が覗かせ参内することを決定した。
桜が葉桜になる頃。
巳の刻。桜薫の姿は、王宮の城壁の前にあった。
背の高い城壁と厳重な警備。王宮の厳かな雰囲気は、以前参内したときとなにも変わっていない。
温和で優しげな瞳と雰囲気の白桜とは違い、鋭い目つきと冷淡な雰囲気。桜薫が身に纏うのは、人柄を表すような漆黒の深衣である。
袖に刺繍された桜の花と、胸元に刺繍されている牡丹の花が漆黒の布に良く映える。
以前、王宮に参内したのはいつだろうか―。
頭の隅でぼんやりと思い返しながら足を進める。
城門の前で足を止めると、警備に当たっている官吏が膝を付き敬意を表する。
そのままなにも言わず、城門を潜り春玲が待つ、宮に向かう。
突如現れた桜薫に、官吏らは驚きを見せるが、桜薫自身はその反応を無視して、歩みを進める。
春玲が待つ宮の前で足を止め、階を上がる。宮の前で、控えている女官に春玲に取り次ぎを頼む。
「中へ」女官の声と共に、二重に閉じられている扉が開き、桜薫を誘う。
桜薫は二重に閉じられた扉を潜り、春玲と対峙する。
春玲は、色鮮やかな襦裙を身に纏い温和に笑う。
桜薫は恭しく揖礼する。
「お久しゅうございます。伯母上。
ご機嫌麗しゅうお過ごしですか」
顔を上げると開口一番、春玲の体調を尋ねる。
「桜薫はお変わりありませんか」
桜薫の問いには答えず問い返し、椅子に腰を下ろすように促す。
「失礼いたします」断りを入れ、春玲と几を挟み向かい合わせになる。
二人の様子を見計らったかのように、女官が暖かい茶と銀の器に入った甘味を運んでくる。
桜薫は、口元を深衣の袖で隠し茶を啜ると口を開く。
「わたくしは相変わらず、国中を旅しております。
王族とはいえ側室の子。王様や伯母上のように、政に関わることもできず……。こうするしかありません」
憂いを帯びた物言いである。
「側室の子とはいえ、王宮を離れず生活をしていれば、貴方も政に関わる機会があったのでしょうけど……。
王様も惜しいことをしました」
春玲も同情を示す。
「そういえば、都でなにやら不可解な噂を耳にいたしました。白桜様が、縁談を白紙にされたとか」
桜薫の口から出た、事柄に春玲は目を見開く。そして、深いため息。
「生憎、わたしの機嫌は麗しくないのですよ。桜薫。
都で流れている噂は誠です。白桜は、左丞のお嬢様との縁談を白紙にしたばかりで……。お嬢様の他に、想いを寄せている女人がいると……」
春玲の言葉に、桜薫の頭の中に色町ですれ違った白桜の姿が過る。
「叔母上。
白桜様の縁談の件と、関係があるか存じませんが……。色町で、白桜様らしき男性とすれ違いました」
春玲は口を開け、呆けた表情を見せる。
桜薫ならまだしもあの白桜が妓楼にー?
そんなこと、あるものかー。
春玲は微笑みつつ、首を横にゆるゆると振る。
桜薫は、以前から色事に激しく今でも、都へ戻る度に馴染みの妓楼に寄り、お気に入りの妓女に入れ込んでいる。
「白桜の想い人が妓楼の妓女だと?」
知らず知らず声が低くなる。桜薫はすぐさま、頭を振る。
「わたくしがすれ違ったのが、誠に白桜様か証拠はございません。見間違いということもございます。ただ……」
桜熏はここで言い淀む。
「万が一、誠に想い人が妓女なら、わたくしは恋敵になるやも知れません」
「どういうことです?」春玲は訝しげに問う。
桜薫も白桜と同じ女人を、好いているということか。
「男性とすれ違った場が、わたくしの馴染みである月花楼の前でして……。
わたくしが入れ込んでいる妓女は、その妓楼一番の妓女でございます故。もしや…と」
飄々とした口振りとは裏腹に、不気味な笑みを浮かべる。
「桜薫。私に協力していただけませんか?
この謀が成功すれば、貴方はこの国の王となりましょう。私が、貴方を世継ぎに押せば、官僚らは、首を縦に振るはずです」
闇に誘うかのような声。
「わたくしは、王座など欲してはおりません。第一、今まで王宮を離れていたので、政のことは全くと言っていいほど、わかりません」
桜薫は冷たく返し、立ち上がり踵を返そうとする。
桜薫の背に声を掛ける。
「政のことは、私が摂政となりお支えいたします。
それに王様と王宮を、憎んでいるのではございませんか?」
悪魔の如き物言いに、桜薫は軽く笑い声をあげる。
「ええ。憎うございます。
わたくしを王宮から追い出した、父である王様も。正室の子というだけで、王様に気に掛けられる白桜様のことも、王宮そのものも。心底、憎うございます」
冷え冷えとした声である。
「ならばその憎しみを、お預けください。必ずや、憎しみを晴らして差し上げましょう」
桜薫が振り替えると、春玲は不気味な笑みを浮かべていた。
桜薫は座り直すと、口を開く。
「して、わたくしはなにをすれば?」
春玲は銀の器に入った、落雁を指で摘まみ口の中に放り込む。
ごりごりと奥歯で噛み砕く音がする。飲み込むと、口を開く。
「探ってきて欲しいのです。
誠に、白桜が月花楼に出入りしているのか、そして想い人が妓女なのか。誠に想い人妓女ならば、どのような名の妓女なのか。
馴染みの妓女がいるのならば、容易でございましょう」
鳥肌がたつような、春玲の笑み。
「叔母上のお心のままに」
桜薫は不気味な笑みを浮かべた。
春玲の宮を後にした桜薫は、外廷を歩いていた。
城門に向かって足を進めていると、背後の金烏殿の扉が開く音がする。
反射的に振り替えると、そこには唐紅の深衣を身に纏った桜月の姿があった。
内官は、官僚や官吏から届いた上訴が書かれた巻物が乗った、膳を手にしている。
桜月は、大勢の内官と女官、更には護衛の武官を連れ、真っ直ぐ桜薫の元に歩いてくる。
桜月が目の前で足を止めると、桜薫が揖礼をする。
「お久しゅうございます。王様」
努めて明るく言う。
「なにをしにきた」相変わらず、桜月の物言いは冷ややかで素っ気ない。
「叔母上のご機嫌伺いに、参内した次第でございます。
事が済みましたので、もう暇を告げようかと」
そのまま何も言わず、桜月は通り過ぎようとする。
去り際、桜薫が声を掛ける。
「父上。
叔母上もいずれ真実をご存じになりましょう。白桜様が、お痛わしいのは承知しております。ですが、甘やかし過ぎるのもいかがなものかと」
そう言うと、無遠慮に桜月を睨み付ける。桜月は、強張った表情のまま、大股で通り過ぎていく。
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