行宮
白桜は離宮にいる桜月に、春玲が桜薫に自分を行動を見張れ、と指示を出していること、妓楼での出来事を文に認めた。
認められた文は、王宮の馬を管理する
日中の炎暑は相変わらずだが、朝晩は涼しい風が吹き虫の音が混じる。
都から白桜の文を携えて、太僕寺の官吏が馬を走らせ蓮華まで遠来している。
行宮にて文を受け取った桜月は、紙縒りと礼紙を外し文を開く。
文にざっと目を滑らせると、難しい表情をする。そして、再拝稽首している官吏に向け言葉を発する。
「この避暑が終わり都に戻った暁には、左丞に吏部尚書と共に華葉宮まで顔を出せと伝えよ」
時は満ちた―。
一度、王妃と話さねば―。
桜月の胸中には、梅花が白桜の正妻になるための、計画が動き出した。
都とは違い、風に潮の匂いが混じる。
行宮のある蓮華は、海が近い故である。
桜月は白桜が認めた文を手に、離宮の
亭は長春色で一歩中に入ると、壁一面に牡丹や桜が描かれている。中には、几と椅子が備え付けられている。
亭の側には、小さな池があり水鳥が、餌を求め集っている。
潮の匂いを嗅ぎながら、避暑に来てから海を見ていないことに気づく。輿に乗っている間、潮の匂いがしたため密かに、輿の小窓を透かせようとしたのだが、側にいた内官に牽制されてしまった。
君主たるもの、気安く民に顔を見せるものではない。例えそれが、海が見たいなどという、些細な理由であったとしても。
内官はそれを良くわかっている。
思い出し笑いをしていると、側仕えの女官一人を連れて、春玲が姿を現す。
「一度、そなたと腰を据えて話さねば…と、思っていた。国の行く末や、桜薫、白桜のことも含めて」
春玲が椅子に腰を下ろし、桜月と向き合うと静かに口を開いた。内官が茶菓子を几の上に置く。
桜月は茶を湯飲みに注ぐ。
「白桜のことなど、話すことはございません」
春玲はそういうと、立ち上がりその場を後にしようとする。桜月はこの機会を逃すまいと、春玲の裙を掴む。
「余がこの文に目を通していたとしてもか?」
桜月は春玲の目の前に、開いた文を押し付ける。春玲の瞳が、文の文字を追う。文字を追えば追う程、瞳が大きく見開かれていく。
「誰がこのような文を……!」静穏な離宮に、春玲の金切り声が響く。その声は、内官と女官が肩をびくつかせる程である。
声に驚いたのか、餌を求め集っていた水鳥が、飛沫を上げ一斉に飛び立つ。
「我が息子、白桜からだ。文にも、そう認められている」
桜月の静かな声。
桜月から無造作に文を奪い取ると、指に力を込める。
どうして―。
あれほど、目立つ行動はするなと命じたはずなのに―。
桜薫は何も分かっていない―。
王室に妓女を入れることが、どのようなことか―。
私に協力することが、どれ程危険か―。
桜薫の行動の甘さに、腸が煮えくり返るような思いである。
春玲は怒りに震え、目が吊り上がる。
春玲の様子を静観し、桜月は静かに口を開く。
「王妃。そなたはなにを考えている?,
そなたは、この国の王妃であり白桜の母親であろう。ならば何故、このようなことを?
そこまでして、白桜と想い人を仲違いさせたいか。無月派の官吏まで使って、王宮を混乱に陥れたいか。そなたの行動は、王宮だけではなく国全体を混乱に陥れるであろう。それだけではない、王宮の信用も失うやも知れぬ」
桜月はここで息を付く。
「余には、そなたの考えが読めぬ」
視線を落としぽつりと呟く。
いつから考えが、すれ違うようになってしまったのだろう。
白桜と白蓮との縁談を打診した頃か、もしかしたら白桜が生まれ桜薫を、王宮の外で生活させた頃からだろうか。
「では王様は白桜の言動が、許されるとお思いですか。
この国の君主として、妓女を娶り王室の秩序と繁栄を揺るがす君主を、ご支持なさいますか」
今まで立ったまま、桜月の話を聞いていた春玲は、椅子に腰を下ろすと視線を真っ直ぐ向け問う。
「許す許さぬ、支持不支持。余が言いたいのはそこではない。
余はただ、白桜の幸せを願っている。君主ではなく、父親として。
確かに王妃からみれば、白桜の言動は支持を得られるものではない。官吏も国の民も。
だが、これはいい機会なのではないか?」
「なにを仰せに?」春玲は柳眉を顰める。
「前にも話したが物事はいずれ、変わらねばならぬ。風向きが変わるようにいつかは。
ならば変えて行けば良い。王族が妓女を娶っても良い国に」
「風潮を払拭することは簡単ではございません」
「故に、白桜と想い人の一件が、風潮を払拭する足掛かりになれば良いと思っている」
桜月は言葉を切り、桃苑から聞いた梅花との出会いに思いを馳せる。
「妓女というだけで、この国では自由に生きることも難しい。
白桜は都で、妓女だからという理由のみで、露店商に言いがかりをつけられていた、想い人を助けたそうだ。白桜は優しい性格ゆえ、居ても立ってもいられなかったのだろう。
想い人は商売道具である、簪を買い求めていたらしい。
この国では、妓女が簪一本買うのにも苦戦する。故にこれからは、例え妓女だろうと良民だろうと、全ての民が生きやすい国にせねばならぬ。
身分や生まれで、爪弾きにされるなど許してはならぬ。白桜と想い人との婚姻は、それを国の民に示すことになる」
桜月の説得虚しく、春玲はため息を吐くと椅子に凭れる。
「お話になりません。二人の関係を容認するようなこと。
それにそれでは、想い人を政に利用するのと同じではございませんか。
何度仰せになっても、わたくしの考えは変わりません。わたくしは白桜と想い人との関係など、絶対に許しません」
そう言い切ると、春玲は立ち上がり素早く踵を返し、亭を後にする。側仕えの女官が、桜月に揖礼を捧げ春玲の後を追う。
「白桜様が無断で妓楼に行かれたこと、黙認なさるおつもりですか」
春玲が去った後、内官が声を掛ける。
「ある程度は予想していた。
普段は王妃の目もある故、おいそれと出かけることは難しい。王妃の目がない今、会いに行くなというのは酷であろう。想いあっているのなら尚更」
生ぬるい茶を啜り応える。
「王妃には余が、白桜と想い人との婚姻を政に利用しているように映るのであろう。
そなたもそう思うか?」
どう言えば良いのか。突然の問いに、内官は視線を下に落とし、もごもごと口を動かす。
「確かにそう見えても仕方があるまい」
桜月は乾いた笑い声をあげる。
内官は、どう言葉を掛ければ良いのか分かりかね口をつぐんだままである。
春玲の言い分も一理ある。桜月は長きに渡って続いている、国の悪しき風潮を払拭し、国を良くしようともがいている。
それを悪手だとは言い切れない。
「王妃が白桜と想い人との関係を許せぬように、余も王妃のことは許しかねる。
可能ならば、白桜と想い人を婚姻に繋げたい。
国王としても父親としても、甘いやも知れぬが、白桜の望みを叶えてやりたい」
「わたくしも同じ思いでございます。
白桜様のご所望が、国を良くするものならば尚更」
打てば響くように、内官の声がする。
先日までの炎暑が幾らか落ち着き、風に涼しさが混じる。
桜月と春玲は日輪を背にそれぞれ、輿に乗りこむ。
亭で話をしてから、二人ともまともに口を利いていない。後ろめたさや意地を張っているわけではない。お互いがすれ違ってきた結果だろうと桜月は思案する。
輿が人の手によってゆっくり動く。
顔は見えずとも、国の君主と王妃が乗った輿の列を一目見ようと、通りには大勢の民が集い歓声が届く。
梅花を王妃として入内させるためには、この計画は成功させねば―。
柊明の娘がこの条件を呑むかどうかに掛かっている―。
輿に揺られながら、桜月は決意新たに真直ぐ前を見据えていた。
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