対峙

 「わたくしの後をつけたのですか」

 桃苑は声を落とし桜薫を睨み付ける。桜薫は然りとも否とも言わず、ただ嗤っている。

 桜薫の思惑がどうであれ兎に角、白桜と梅花に会わせる訳にはいかない。

「こちらは現在、人払いをしております。いくら、桜薫様とはいえお入りになることは出来ません。どうか、お引き取りを」

 静かに、要件を伝える。

「それでは、白桜と想い人が逢引きをしていると、周知しているのと同じではないか……。

 案ずるな。白桜には手を出さん」

 桜薫は一歩、桃苑に詰め寄る。桃苑は通すまいと両腕を広げる。

「なりません。

 白桜様の想い人は、いずれ国の母になるお方です。そのような方に、指一本触れさせる訳にいきません。お二人を目の敵にされている、桜薫様ならば尚更」

 主と梅花を危険な目に合わせてはならない、という義務感でつい語気が強くなる。


 襖の外から、漏れ聞こえた桃苑の声に、白桜は表情を強張らせる。

「白桜様?」隣に腰を下ろしていた梅花が、不安そうに顔を覗き込む。

何故、兄上が―?

 三階では人払いをしてあり、来客があっても桃苑がその旨を伝えることになっており、楼主も受付でそう言付けをしてくれているはずである。


 いや、恐らくはじめからこうするつもりだったのだろう。

 桜薫に白桜らの動きを見張れ、と命を下したからこそ、春玲は避暑に出かけたのだ。桜薫を信頼して。


 白桜は立ち上がり、「外の様子を見てくる」と言い振り向き笑う。先程の白桜の強張った表情から、ただならぬ気配を察し、梅花は白桜の袖を掴む。

 白桜をこのまま行かせてはいけない。根拠はないが、嫌な予感がする。

 こういう、女の勘は当たるものなのだ。


 梅花の胸中を知らぬまま、白桜は「すぐ戻る」と言い残し、部屋を後にした。


 桃苑の背後から襖を引く音がする。音に釣られ、振り返る。

「白桜様」背後には、険しい顔をした白桜が立っていた。

 白桜の姿を捉えると、桃苑は表情を強張らせる。

「兄上……」桃苑の脇を通り、桜薫と対峙をする。


白桜の顔に驚きの色はない。最初から、こうなることを予想していたかのように静観している。


「ここならば、私の足が付かぬとでも?

 生憎、そうはいかん。私が、叔母上の命に従っているうちは。梅花は? 中にいるのであろう」

 嘲笑いつつ、顎をしゃくる。相変わらず、神経を逆なでするような口振り。

 

 つい最近、白桜に激昂された件について、反省の色を一切見せずに。まるで、最初から何もなかったかのような言動である。


 白桜は憤りを覚えながら、沈黙を貫く。

「楼主を呼びましょうか」背後から、桃苑が囁く。白桜は無言で頭を振る。

 確かに、楼主を呼べば穏便にことを治めることが出来る。だが、逆に他の妓女や客らに混乱を与えることになる。不要な混乱だけは避けたかった。


「なにか言ったらどうだ?」沈黙を貫く白桜に、桜薫が苛立ちを露わにする。

「兄上に私と梅花の仲を、引き裂く権限など無いはずだ。例え、母上の命だとしても。

 母上が兄上が王位を継ぐことを拘っているらしいが、兄上に王位など渡さぬ。母上の傀儡かいらいのような兄上に、国の君主など務まるとは思えない」

 白桜の目には、桜薫が自分で何も考えずただ春玲の命に従っているのみに映っている。


 白桜に春玲の操り人形と揶揄され、桜薫は憤りを覚え鋭い視線を向ける。

「故に、君主にはなるべきは自分だと?

 案ずるな。私は王位など欲してはおらぬ。国政に関わりたいのは、私ではなく叔母上の方だ。王宮と父上を憎んでいることは事実だが」

「だとしても、善と悪の分別は付くであろう。

 兄上が今しようとしていることは、王室を混乱に陥れるだけではなく、謀反と思われても仕方がない」

 白桜の説得も虚しく、空虚に笑う。

「謀反だろうとなんだろうと構わない。

 ただ私は、願いを叶えてやりたいだけだ」

 

 桜薫が発した言葉の意味を図りかね、若干首を傾げる。

 この場合、願いを叶えてやりたいのは、春玲の国政に関わりたいというものだろうと推測する。


 実際、桜薫は春玲に借りがある。

 幼い頃に、王宮の外で生活することを余儀なくされた桜薫にとって、春玲は心の拠り所であった。

 それは今でも変わらない。

 父である桜月は桜薫に関心を向けていないが、春玲だけは気にかけている。


 桜薫としては、春玲にこれまでの恩を返すつもりなのだろう。故に、対して関心のない、国政に関わり王位を継ぎ、春玲に国政に関わる機会をつくらせる。

 身に危険があると、分かっているとしても。

 春玲としては、桜薫の恩を利用するつもりかもしれない。彼女の性格ならば、あり得ないことではない。


「兄上。母上は……」白桜が口を噤む。自分の声に混じって、背後から襖を引く音がした。今、襖の奥にいるのはひとりだけ―。

 桃苑と白桜が恐る恐る同時に、背後を振り返る。

「来てはなりません」桃苑がそう諭す。

「申し訳ござません。立ち聞きをするつもりはなかったのですが……」

 きまり悪そうな口振り。

「いや」白桜は力なく首を振る。


「白桜の想い人である、梅花というのはお前のことか?」

 桜薫が梅花に視線を向ける。頭の先から足の先から、舐めるような目つき。

 熱帯夜だというのに、黒い深衣を身に纏い、嘲笑うかのような笑みを浮かべ、梅花を射抜く視線と冷淡な雰囲気。それだけで、梅花を畏怖させるには充分である。


 梅花はこの場で、どう答えるのが正解か見当が付かないまま、視線を彷徨わせる。

 ここで、然りと応えようが否と応えようが、どちらにせよ白桜にとっても桜薫にとっても、都合が良くなることではない。


 白桜は梅花が、桜薫の視界に入らぬように、そっと背に隠す。白桜のその行動に、問いの応えを察したのか、桜薫が鼻で嗤う。

「なにがおかしい!?」白桜が噛みつく。桜薫の態度は、白桜と梅花の気持ちが否定されるようで、苛立ちを向ける。

「いや。あまりに、軽率な行動だと思ってな。

 それでは、ふたりの関係を見せびらかしているのと同じではないか」

 桜薫は獲物を狙う猛獣のように、睨みつけ舌なめずりをする。光沢のある桃色の舌がなまめかしい。


「桜薫様。それは言い過ぎではございませんか」

 今まで、会話を聞くことに徹していた桃苑が、静かに口を開く。

「おふたりの関係が、桜薫様の目にどう映ったのか、わたくしには分かりかねます。

 ですが、どう映ろうと桜薫様がとやかく仰せになるのは、とんだお門違いかと存じます」

「では王室がどうなっても良いと?」

 桜薫の問いに、静かに首を振る。

「わたくしは王室の行く末のために、話しております。

 もし、あのままお嬢様との縁談がまとまっていたら、白桜様は好いてもいない女人を妻に娶ることになっていたでしょう。それでは、あまりにも哀れです。白桜様もお嬢様も。

 顔合わせの席で、想い人を側室にという話も、王妃様の口から出ておりました。その場合、白桜様のご寵愛はお嬢様ではなく、想い人に向くでしょう。側室が正妻より先に懐妊かいにん、しかも男児がお生まれになれば、お嬢様のお立場をひっくり返すことになります。

 そのようなこと、王室の行く末を揺るがす大事になっていたでしょう」

「故に、ふたりの関係が正しいものだと? 相手が卑しい身分だとしても?」


 怒気を含む桜薫の声を聞きながら、梅花は白桜の先の縁談に、そんな裏話があったのかと驚愕する。

 心優しい白桜のことだ。恐らく、梅花が傷つくことを案じ、話さなかったのだろう。


 桜薫の問いに、誰も応えないまま時が過ぎる。下から微かに、殷賑いんしんが聞こえて来る。


 殷賑に混じって、階の軋む音が耳に届く。いや、単に階が軋む音だけではない。歩揺と佩玉が揺れ、しゃらしゃらという涼しげな音も耳に届く。

 皆が固唾を呑んで音の主が、姿を現すのを待っている。


 その人物は、階を上がり切ると口を開いた。

「桜薫様。そこまでにした方がよろしいかと。

 本来ならば、人払いをという白桜様の命により、桜薫様でもこの場にいることは不可能なのですから」

 階を上がり、姿を見せたのは芽李月である。桜薫は反論しょうと口を開くが、その隙を与えまいと芽李月が言う。

「わたくしも迂闊でした。もう少し、早く気づいていれば、白桜様のお手を煩わせることもなかったでしょうから」

 芽李月は陳謝の意を込め、揖礼する。

「現在ここは、人払いをしております。お引きとりを。今ならば、規則に反したことにはなりません。ですが妓女を傷つけたら、貴方様は妓楼に出入りすることは、不可能になるやも知れません。

 これが、どのような意味かお分かりになりますね?」

 口調は柔らかだが、有無を言わせぬ迫力である。


 妓楼に出入りを禁じるということは、いわば手つきの妓女である芽李月にも会うことができなくなるということだ。

 妓楼通いを一番の娯楽としている桜薫にとって、それが出来なくなるということはなによりも耐え難いことではないのか。


 観念したのか桜薫は険しい表情のまま、身を翻し階を大きな音を立てて降りていく。

 途端に、緊張の糸が緩む。


「梅花。桜薫様になにもされていませんか」

 芽李月は白桜の背後に隠れている、梅花に声を掛ける。

 梅花は背後から姿を見せ頷く。梅花が頷いたことで、白桜らは表情をほぐす。


「芽李月殿。先程はありがとうございました。

 お陰で、白桜様も梅花殿も、勿論わたくしも桜薫様に危害を加えられることなく、穏便にことを治めることができました。

 ご尽力、感謝いたします」

 桃苑の謝意の言葉に、芽李月は頭を振る。

「大したことをした訳ではありません。

 ただ、少し脅しただけです」

 芽李月は肩を竦め、悪戯っぽく笑った。


 空が白みかけるの刻(午前五時頃)。

 梅花は白桜と桃苑を見送るために、妓楼の門に立っている。

「昨晩は悪かった。怖い思いをさせた。

 それに側室のことも。梅花にとって聞きたくない話だっただろう。

 私が思うに、母上の梅花を側室にという言葉は、本心ではなく戯言だと思っている」

 憂いを帯びた声で、陳謝を述べる。

 白桜の隣にいる桃苑も、自分が口を滑らしたことが原因だと、理解しているのか、ばつが悪そうな表情である。

 恐ろしかったことも、側室云々の話には驚愕したことも事実である。しかし、新たな思いが芽生えたのも確か。


 梅花が口を開くより先に、白桜の腕が梅花の背に回される。二人の抱擁を目にした桃苑は、気を使っているのか背を向ける。

 体温や息遣い、心臓の鼓動が、陳謝と名残惜しさが伝わってくる。

「白桜様」他の妓女や、通行人に見られることを危惧し、声を上げる。

「見られても構わぬ。妓女も通行人も、私の顔は知らぬのだから」

 白桜が耳元で囁く。白桜の言葉に、梅花は笑みを見せる。

「昨晩のことなら、気にしてはおりません」

「中々、会いに来ることが難しいが、また会いに来る。必ず」

 梅花は頷くと、背に回している腕に力を込める。白桜もそれに応える。


「強くならなければなりません。わたくしも」

 お互いの想いを確かめ合い、身体を離すと梅花がそう呟いた。

「なにか言ったか?」不思議そうに問う白桜に、梅花は「いいえ」と首を振り満面の笑みを向ける。


 強くならなければならない。王妃という地位に立つには。

 白桜に守られているだけではなく。

 

 去りゆく二人の背を見送りながら、そう思案する。梅花の新たな決意に、応えるように陽が昇る。

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