決別

 春玲らが囚われた時は、満開だった桜がすっかり新緑に姿を変えている。

 春玲らは今頃、刑部にて厳しい拷問を受けていることだろう。


 王妃と王族が謀反で囚われているというのに、王宮内は恐ろしい程静かで変化がない。

 ただ、王妃が内廷から消えた。それだけである。


 その日の昼間。白桜は桜月に呼び出されていた。

 幸い桜月は、訓練が上手く進み、まだ足元がおぼつかず杖は要るが、歩けるまでに回復し、政務に復帰している。


 桜月は華葉宮にて、白桜の到着を待っていた。

「父上」姿を現した白桜は声を掛ける。

 桜月は椅子に腰を下ろしており、白桜に机を挟んで座るように諭す。白桜は腰を下ろし、桜月と向かい合わせになる。

「話さねばならぬことが、二つ…いや三つある」

 内官が茶を入れた湯飲みを、机の上に置く。その様子を見ながら、桜月が静かに切り出す。

「まず一つ目。

 刑部尚書に頼んでいた、桜薫と共に麝香豌豆を買い求めていた女人が判明した。都で、何度も桜薫といる所を、目撃されていたらしい。更には、月旭宮の文筥から、その女人からの文が見つかった。恐らく、以前から文を交わしていたのだろう」

 その女人とは誰なのか……。

「その女人というのは一体……」

 白桜の問いに、桜月は一拍置き口を開く。

「余も最初、耳にしたときは聞き間違いだと自負していた。

 まさか…と。

 女人の正体は、左丞の娘だ」

左丞の娘……?

白蓮が……?

 

「どうして……。白蓮が……」

 息を呑み呟く。

「余も、同じ思いだ。何故、国の重鎮の娘が謀反に加担したのか……」

 桜月の視線が、湯飲みに落ちる。

「白蓮は今どちらに?」白桜が身を乗り出す。

「邸だ。娘が起こしたこと故、柊明も連座で罪に問わねばならぬ……。

 刑部の官吏を、邸に向かわせている」

 白桜にとっては、春玲が何も罪のない少女を、己の趣味私欲のために、悪事に加担させたことは、腸が煮えくりかる思いである。


「二つ目は、此度の件で柊明は左丞の座を失うことになる。

 余としても、あの者がいなくなることが一番痛い」

 柊明は桜月が、最も信用してきた重鎮である。その者が抜けることは、朝廷としてもまた海紅派としても大きい。

「早急に、次の左丞を決めねばならぬ……」

 桜月はぽつりと呟く。

 改めて、王室と朝廷を混乱に陥れた春玲と桜薫に、憎悪の感情が沸き上がる。


「三つ目。

 ことが落ち着いたら、余は退位を考えている」

 思いもしなかった言葉に、白桜は呆けた表情をする。

「何故です。父上。

 まだ、退位さなる時期ではないでしょうに。

 第一、退位なされた場合、次の君主は誰になるのですか」

 白桜は詰め寄るが、桜月は頷いた後、息を吐き口を開く。

「宴で盛られた毒のお陰で、今でも歩くときには杖が欠かせぬ。

 時には、内官の手も借りねばならぬ。

 このような君主を、誰が君主と認めるであろう。

 また、王妃が罪を犯したことで、余は王妃一人管理できぬのだと、朝廷は…特に王妃側に付いていた無月派は、そう考えている」


「此度の責を、お取りになるのですか」

 白桜は静かに問う。

「そうとも、言えるやもしれん」

 桜月が静かに呟き、遠くを見る。


 事実、官吏の中には宴での出来事は、春玲を止められなかった桜月の責を問う者もいる。更には、幾ら最悪の事態を防ぐためとはいえ、桜月と梅花の料理に眠り薬を混入させた、白桜にも責は向いている。


 だが、此度のことは桜月の責ではない。

「父上は被害者ではありませんか。

 寧ろ責なら、わたくしにございます。

 わたくしが麝香豌豆の存在を存じていれば……!」

 白桜は身を乗り出し訴える。

 息子の訴えに、桜月は頭を振る。

「そなたは何も悪くはなかろう。

 それに、今すぐ退位するのではない」

 白桜は掛ける言葉を探す。


 桜月は息子を真っ直ぐ見据え口を開く。

「白桜。次の君主はそなただ。

 故に、余が退位をするまでの間、そなたには余を手助けしてもらいたい」

 白桜の顔に、杞憂の色が浮かぶ。

 王位継承者として、次期君主に即位するのは、当然のこと。しかし、また即位をするのは先だと思っていた。

「わたくしに父上の摂政をせよと仰せですか」

 白桜の言葉に、桜月は「いいや」と頭を振る。

「幾ら余でも、息子に摂政をされるほど漸弱ではない。

 そこまでは、望んでおらぬ」

 二人の間に沈黙が満ちる。


 暫し間を開け、桜月が口を開く。

「即位をするなら、妻がいてもおかしくなかろう。

 幸い今なら、苦言を呈す者もおらぬ」

 思ってもいない慶事に、白桜はすぐさま反応出来ないでいた。

「梅花を王妃として迎えよと仰せですか」

 白桜の言葉に、桜月は「左様」と答える。

「そなたもあの娘が、王妃として迎えることを、所望していたではないか。

 まさか、その気はなくなったか」

 白桜はすぐさま「いいえ」と頭を振る。

「分からないのです。以前、父上が仰っていた“正しい方法”が」

 静かに吐露する。


 確かに、梅花を娶るのにこれ以上の好機はない。しかし、妓女の梅花をどのように王宮に入内させれば良いのか、未だに答えは見つかっていない。

 まさか、駆け落ちのような真似をする訳にはいかまい。


「その件だが……」桜月が、深衣の袂を探り、木製の板を取り出し、机の上に置く。

「これを、その娘に」白桜が板に手を伸ばす。

 板の表には、国璽と玉璽が押され、裏には梅花の名と桜月の名が認められている。

「王宮の出入りに用いる手形だ。

 これがあれば、娘はいつでも王宮に出入りすることが出来る。

 妓楼の楼主は、そなたと娘の関係を知っているのであろう?」

「恐らく……」白桜は躊躇しつつ答える。

「ならば話が早い。国璽と国王の玉璽が押された、手形を持っている妓女を、楼主が蔑ろにするとは考えにくい。

 少しずつ少しずつ、こちらに引き込めば良い」

 桜月の物言いに、白桜は感謝の意を込め。再拝稽首を捧げる。


 柊明は邸の自室に白蓮を呼び出していた。

 桜月から、白蓮が宴の騒ぎに関わっていたと聞かされたのは、ほんの数時間前。まさに青天の霹靂である。


 最初は、娘が謀反に関わっているなど、何かの間違いだと自負していた。しかし、邸に帰り白蓮に問い質すと悪びれる風もなく、あっさりと罪を認めた。


 日差しは暖かく、時折風が微かに新緑の葉を揺らす。


「お前は……自分が何に加担したのか分かっているのか!?」

 几を挟んで向かい合い、白蓮に低い声で言葉を浴びせる。

 怒りで震えている柊明とは裏腹に、白蓮は平然と柊明を見据えている。

「謀反に加担し、白桜様の想い人だけではなく、あろうことか王様まで手に掛けようとするとは……! お前は、良心が痛まなかったのか!?」

 拳を几に叩き付ける。重い音にも関わらず、白蓮は身じろぎひとつしない。

「だって、仕方がないではありませんか。白桜様が、縁談を破談になさったんですもの」

 平然と薄っすら笑みを浮かべ、そう口にする娘を柊明は慄然とした眼差しで見つめている。


 そこには、柊明が知っている無邪気で愛らしい白蓮の姿はない。今は己の趣味私欲を満たすために、平然と悪事に手を染める白蓮の姿があった。

 まるで、白蓮という入れ物に別人の人格が入っているように、柊明は思えた。


「では、吏部尚書の御子息との縁談は……!?」

 上ずった声で問えば、白蓮は笑みを浮かべて頭を振る。

「始めから、縁談を受けるつもりなど毛頭ございません。

 全ては、此度の計画を成功させるための目くらましです」

 白蓮はきっぱりと言い切る。

「目くらまし……」柊明は呆然と呟く。

 自分は今まで、白蓮に騙され彼女の手の上で、転がされていたのだと思い知る。

 脱力と微かな目眩を覚え、乾いた笑い声が漏れる。


「お父様もご存じのはすです。わたくしが、どれだけ白桜様をお慕いしているか。なのに! 卑しい身分で白桜様に近づき、あろうことか正妻の座を狙うなど、許されるはずございません」

 白蓮は感情に身を任せ吐き捨てる。

「たった……。たった、それだけの理由で謀反に加担したのか!?」

 弁解をする白蓮に、柊明は身を乗り出す。

「お父様にとっては、たったそれだけのことでしょう。ですが、わたくしにとっては、白桜様への想いが全てだったのです」

 柊明を見つめる真っ直ぐな瞳。

「故に、王妃と共に謀反を企てたのか」

 柊明の悲痛な声。

「後悔などしておりません。

 こうするしかなかったのです。白桜様の正妻になるには、こうするしか。それに、わたくしはただ王妃様らの計画を耳にしただけ。実際に、行動を起こしたのは王妃様と桜薫様です。これが、何の罪に問われましょうか」

 一向に反省の色を見せない白蓮に、どうするのが正解か、柊明は自問自答を繰り返していた。

 

 柊明が返す言葉を探していると、部屋の障子が開き、青い顔をした梅月が姿を表す。

「今、邸に刑部の官吏が……」

 上ずった声で告げる。

 柊明はごくりと唾を呑む。

 遠くから、官吏と使用人との押し問答が聞こえて来る。


 二人の様子を見、梅月が躊躇しつつ口を開く。

「旦那様。お嬢様の件は、わたくしにも責がございます。

 わたくしはお嬢様が、王妃様と通じていたことを、存じておりました。王妃様や桜薫様と、文のやり取りをしていたことも含めて。

 本来ならば、一刻も早く旦那様にお知らせするのが筋でございましょう。ですが、お嬢様は他言無用だと仰せでした」

 白蓮は視線を下に落とす。

「梅月。貴女には、何も責はない。

 貴女は何も知らなかった」

 白蓮は低い声で告げる。

「そのような訳には……!」梅月の声が裏返る。


 白蓮は頭を振る。

「これで良いの。

 梅月。邸の裏から逃げなさい」

 白蓮の言葉に、梅月の喉から息を呑む音がする。

「お嬢様を置いて、どこへ逃げろと仰せですか!」

 悲痛な声が響く。

「このまま、貴女が捕まれば恐らく、生きては戻れない。

 自白の為の拷問に、貴女は自分が耐えられると思う?」

 白蓮の指摘に、梅月は「それは……」と言葉を詰まらせる。

 

 白蓮は立ち上がり、梅月に歩み寄る。

「だから逃げなさい。逃げて、今回の件は全て忘れて頂戴」

 白蓮は衣の袂から、鮮やかな薄荷色の巾着袋を取り出し、梅月に手渡す。巾着袋から、ずっしりとした重さが伝わる。

「これだけあれば、しばらくの間都の外れで生活するのに困らないでしょう」

 白蓮はこの場に不釣り合いな、優し気な笑みを浮かべる。


 言葉の意味を理解した梅月は、瞳を潤ませ衣の袂に巾着袋を忍ばせる。白蓮は梅月が受け取ったことを確認し、身を翻し再び柊明と向かい合わせになる。

 梅月は、背を向けている白蓮と向かい合っている柊明に、揖礼を捧げその場を後にする。


 速足で通り過ぎていく足音を聞きながら、白蓮は衣の懐をそっと撫でる。そこには、春玲からの“お守り”が入っている。

 邸の中が騒がしく、刑部の官吏の声が近づいている。


 華葉宮を後にした白桜は、その足で春玲が投獄されている監獄に足を向ける。

 建物の前で、脱走を見張っている官吏が、白桜の姿を認め揖礼を捧げる。監獄は、外廷の外れにひっそりと建っている。

「母上は?」静かだが怒気を含んだ声音に、官吏は現在刑部による尋問が行われていると話す。礼を言うと、刑部に足を進める。


 刑部の入り口で春玲の所在を尋ねると、官吏は白桜のおとないに驚きながらも、中を案内してくれた。

 建物の中は、手前に官吏らが事務作業をする部屋、奥が大理寺の官吏と共に審議をする為に、几が円状に並べられている部屋がある。


 春玲が尋問を受けているのは、建物の一番奥。

 尋問をしている官吏と、向かい合う春玲の背が目に入る。

 春玲は手首を椅子に縛られている。

「母上」白桜が、春玲の横に立ち声を掛ける。

 白桜のおとないに、尋問をしていた官吏が気を遣い、責を外す。官吏が腰を下ろしていた椅子に、白桜は腰掛け春玲と向かい合わせになる。

 

少し痩せただろうか―。

 それが、久しぶりに母の姿を見た感想である。

 春玲は白い襦裙を身に纏い、化粧を落としているからか、随分やつれたように見える。

 元々白い肌が一段と白く、所々青紫色に変色している。恐らく、自白の為に厳しい拷問を受けているのだろう。化粧っけのない顔と、白い襦裙。今の春玲に、以前の華やかで気品のあった、王妃としての面影はない。


 周りに人気がないことを確認すると、白桜は口を開く。

「白蓮が此度の件に、関わっていたと父上から聞いております」

 白桜の言葉に、春玲は大して驚く素振りをせず、ただ「そうですか」と呟いだだけである。その他人事のような態度に、白桜は春玲を睨み付ける。

「無関係な白蓮を何故、巻き込んだのです。あろうことか、父上が最も信頼を置いている左丞の娘を」

 白桜の怒気を含んだ声音に、怯むことはない。

「私は此度の計画について、お嬢様に意思を確認をいたしました。誠に加担して良いのか、と。乗り気ではないなら、逃げることもできたはず。ですが、お嬢様は後悔はしないと仰せでした」

 春玲は淡々と述べる。

「故に、謀反に加担させたのですか。何も知らぬ娘に」

 春玲は白桜を静観している。

「加担すると決めたのはお嬢様です。私を責めるのは、お門違いではありませんか。

 お嬢様は貴方の正妻になるために、此度の計画に加担したのです」

 つまり春玲は、白蓮が梅花に向ける嫉妬心を利用したことになる。


「わたくしは、母上を軽蔑いたします。

 何の罪もない無関係な娘の嫉妬心を利用し、国の謀反に関わらせるなど王妃である貴女が手を染めて良い事ではございません」

 白桜の言葉に、春玲は鼻で嗤う。

「王妃である私を、一体誰が裁くことができましょう」

 この期に及んで、自分は何も罪に問われないと思っているらしい。

「わたくしは以前から、この国の民は平等だと考えております。これは、ただ貧富の格差を、失くせば良いというものではありません。

 身分の差に関係なく、悪事に手を染めれば容赦なく、裁きを行い罪に見合った裁きを受けること。勿論、王族も関係なく。

 わたくしは、そのような世にしていきたいと考えております」

 春玲の反応を待たず、白桜は立ち上がる。


 そして、その場を離れる直前。思い出したかのように口を開く。

「父上がことが落ち着いたら、退位をなさるそうです。

 口では、お身体の件に触れておりましたが、実質此度の件について責をお取りになるおつもりでしょう。

 時期君主はわたくしです。更には、梅花を王妃として迎えるつもりです」

 春玲は白桜を睨みつける。

「最後に、これが母上との今生の別れとなりましょう。

 わたくしは金輪際、貴女を母とは思わぬことにいたします。優しかった頃の母は、もうおりません」

 白桜は言い切ると身を翻る。

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