真相

 宴の翌日。

 梅花は朝餉を摂ってから、妓楼に帰るために王宮の城門に足を進めていた。梅花には桃苑と蕾柚が付いてきてくれている。


 白桜は桜月が目を覚ましたと連絡を受け、桜月に付いている。


「桃苑様。ここまでで構いません。

 ご心配なさいませんよう」

 城門の前で足を止め、梅花はそう口にする。しかし、桃苑は頭を振った。

「なりません。白桜様から、梅花殿を妓楼まで送り届けるように、と命じられております」

 梅花は渋々頷く。

「蕾柚さんもありがとうございました」

 梅花の礼に蕾柚は、「いいえ」と笑みを浮かべ桃苑と同じく、頭を振った。

「お気になさらず。それに……」不意に、言葉を切る。

「貴女とは、これから長い付き合いになるでしょうから」

 蕾柚は気づかれぬように呟く。

「え?」梅花は聞き返すが、蕾柚は「いえ。独り言です」と答える。


 梅花と桃苑は揃って、城門を潜り王宮の外へと踏み出す。


 梅花が帰路に着いたのと同時刻。

 華葉宮では白桜と主治医をはじめ、数人の官吏らか集まっていた。その中には、左丞・柊明の姿もある。

「父上」白桜は目を覚ました桜月に、声を掛ける。

「あの娘は無事か」白桜に視線を合わせ、桜月が掠れた声で問う。

「はい。現在、桃苑が付き妓楼までお送りしております」

「そうか……」安堵の息を吐く。


「王様。お身体に異常はございませんか。

 手足の指を動かすことは、可能でしょうか」

 主治医が縋るように言う。

 

 主治医としては、桜月の状況から盃に混入していた、異物の正体を突き止めるつもりなのだろう。


 桜月は褥から手を出し、手を閉じたり開いたりしてみせる。

「では、足の指を動かすことは可能でしょうか」

 主治医が頬を緩ませ、言葉を紡ぐ。

 桜月は足の指を動かそうと力を入れる。だが―。

 頭を振った。


 とたんに、主治医と白桜の顔が青ざめる。

 白桜は「失礼いたします」と断り、そっと足に触れる。

「父上。今わたくしが触れていることは、お分かりになりますか」

 祈るような思いである。

「いや。腰から下が痺れて良くわからぬ」

 桜月は苦笑いを浮かべ、そう口にする。


 桜月の発言に、集まっていた官吏らがざわつき始める。

「眠り薬のみで、このようなことが起こるとは思えません。何故このようなことが?」

「白桜様。何か隠し立てをしていらっしゃるのでは?」

 白桜と主治医に厳しい声が飛ぶ。


 二人が弁解の言葉を探っていると、障子が開く。

 皆一斉に、障子の方向に視線を向ける。

「白桜様は何も、ご存じではありません。

 わたくしも、予想だにしていないことでございます」

 宮の出入り口で、蕾柚が刑部の官吏を伴って口を開く。

 蕾柚と官吏はそのまま、桜月の寝台に足を進めると座り込む。

 

 蕾柚が口を開き口上を述べる。

「お初にお目にかかります。わたくし、尚食の女官を務めております蕾柚と申します。どうかお見知りおきを」

「王様のお耳に入れたい儀がございます」

 蕾柚の隣で座り込んでいる官吏が、口を開く。

 

 蕾柚は懐から、一つの乳白色の陶器と紫檀色の巾着袋を取り出し、桜月に見せる。

 起き上がろうとする桜月を、白桜が支える。

「これは?」桜月の問いに、蕾柚は陶器の蓋を開け匂いを嗅がせる。

 刹那、桜月の瞳が見開かれる。

「鴆毒か」桜月の固い声に、蕾柚が「左様でございます」と答える。

 蕾柚の返しに、官吏らと主治医がざわつく。


「その巾着は?」桜月の問いに答えるように、蕾柚の隣で座り込んでいる刑部の官吏が口を開く。

「この件に関してわたくしから、ご報告がございます。

 桜薫様が年明け早々に、異国の品を商う店で麝香豌豆をお求めになったと。

 店主に尋ねたところ、女人を連れ立っていたそうですが、見たことのない女人だった…と」

 麝香豌豆の名を出した途端、主治医の顔つきが変わる。

「麝香豌豆は大量に摂取すると、下半身に麻痺や痺れが現れるものでございます。王様の料理には、盃だけではなく他のものにもこの粉末が混入されていたのでしょう」

 桜月の表情が強張る。


「いつの間に……」強張った表情のまま、桜月が刑部の官吏と蕾柚に視線を向け呟く。

 口を開いたのは刑部の官吏である。

「わたくしが水面下で、調べを進めておりました。

 白桜様の命で」

「白桜が?」白桜に視線を移す。

「左様でございます。昨日の騒ぎの後、密かに」

 白桜の発言に、桜月は微かに頷く。


 そして視線を刑部の官吏に戻すと、再度問う。

「ということは、麝香豌豆を仕込んだのは桜薫か」

 問いに蕾柚は、頭を振る。

「確かに、桜薫様も此度の件に一つ噛んでいらっしゃるでしょう。ですが、わたくしは王妃様こそ黒幕なのではないかと思っております」

 蕾柚の発言に、桜月が驚くことはない。はじめから、そうだろうとは思っていた。

 蕾柚は、宴直前の春玲の行動を桜月に話す。

「ではその時に?」主治医が問う。蕾柚は「恐らく」と答える。


「蕾柚と言ったか」桜月が問う。蕾柚が「左様にございます」と答えると、再び言葉を紡ぐ。

「その鴆毒と巾着はどこから?」

「白桜様の命により、宴の合間を見て王妃様の宮に忍び込み、これらを回収いたしました。

 王様に証拠を見て頂きたかったのと同時に、王妃様にとって最も露見されてはならない証拠が消えたのです。恐らく、白桜様をお疑いになり、白桜様の元に乗り込んででも、証拠隠滅を図るでしょう」

 そう口にし、宴当日の記憶を手繰り寄せる。


 宴当日。

 梅花に料理を配膳し終えた蕾柚は、喧騒を背に隙を見て春玲の宮に忍び込む。


 白桜が蕾柚に命じたのは二つ。一つは宴の前夜に鴆毒が入った盃と眠り薬が入った盃を入れ替えること、もう一つは宴の隙を見て春玲の宮を探れというものであった。


 宮に足を踏み入れると、部屋の中をぐるりと見回す。宮は帳で王妃の職務を行う部屋と、寝台や衣桁がある私的な部屋に分けられている。

 どちらの部屋にも漆塗りされた鏡台があるのが、普段から煌びやかな襦裙に身を包み、歩揺や佩玉で着飾っている春玲らしい。


 蕾柚は几の引き出しを開け、寝台の下を覗き込む。しかし、それらしきものは見当たらない。

 寝台の前で立ち尽くす。


 なるべく早く証拠を見つけ、この場から出なければならない。女官が、王妃の宮を無断で探っていたと、露見されれば恐らく命はない。

 手掛かりを手繰るように前夜、尚食で見た女官の行動を思い返す。


 側仕えの女官が、毒を仕込んでいたことから、女官も春玲の計画に賛同していることになる。ならば、女官と春玲のみが触れることが出来る場所。そこに、証拠はあるのではないか……。

 

 蕾柚は寝台のある部屋の鏡台に近づき、引き出しを開ける。引き出しの奥に手を伸ばしても、簪や歩揺、佩玉など着飾るためのものしか見当たらない。

 引き出しを閉め、部屋を後にする。

 職務に使う部屋の鏡台に近づき、引き出しを開ける。そこには、乳白色の陶器と紫檀色の巾着が保管されていた。

 目当てのものを見た瞬間、蕾柚の鼓動が大きく跳ねる。

 蕾柚は一呼吸し、陶器に手を伸ばす。手に取ると、蓋を開け匂いを嗅ぐ。鴆毒独特の甘い香り―。

 蓋を閉め鏡台に置くと、次は巾着を手に取り開ける。中には、何か植物の種子のようなものがぎっしり詰まっていた。


これは―?

 そう考えるよりも先に、外から喧騒が聞こえて来る。

 考えている暇はない。蕾柚は陶器と巾着を、懐に仕舞込み宮を後にした。


 蕾柚は宴当日の自身の行動を話す。

 白桜と蕾柚の隙のない計画に、周りの者は舌を巻く。

 主治医が頷き口を開く。

「その入れ替えた盃はどこにあるのです?」

「わたくしが宮にてお預かりしております。証拠として」

 白桜が答える。

「時が来たら、証拠を使って揺さぶりをかけるつもりでおります。例え母上でも、言い逃れなど容赦はいたしません」

 白桜の口調から、春玲への憎悪が見え隠れする。


「ひとつ頼んでも良いか」桜月が刑部の官吏に視線を移し、口を開く。

「何なりとお申し付けください」官吏の言葉に頷く。

「刑部尚書に伝えよ。桜薫と共に、麝香豌豆を買い求めていた女人は誰か探れと」

 官吏はごくりと唾を呑む。これは単なる頼みではない。

 国王の口から出た言葉は全て王命である。

「承知いたしました」言うが早いか、官吏は宮を後にする。


 話が済み官吏らは、宮を後にしそれぞれ仕事に戻る。宮には、内官と主治医のみが残っている。

 主治医によれば、桜月が訓練さえすれば再び歩けるようになるという。

 その見立てに、白桜は少し気を取り直す。


 外の喧騒を聴きながら、春玲は険しい表情をして報告を待っていた。傍には、桜薫が付いている。

 昨日感じた嫌な予感はまだ、続いている。

 突如、宮の扉が開き側仕えの女官が姿を見せる。

「王妃様。王様がお目覚めになったと」

 女官が静かに言う。

 春玲は裙を握り締める。

「どうして……!」呻くような声。

 計画に隙はないはずだった。なのに何故―。

 桜月が生きているのか。

「何者かが、計画を妨害したのでしょう」

 桜薫が冷ややかに言う。女官と桜薫の口振りが、余計に春玲を苛立たせ二人を睨み付ける。


妨害できるのは一人しかいない―。

「白桜が……」春玲の呟きに、桜薫が「恐らく」と答える。

 春玲は立ち上がる。

「叔母上。直ぐに動かぬ方が良いかと思います。

 時を見てせめてあと数日は、静観をしていた方が良いかと」

 今すぐにでも、白桜の宮に乗り込みかねない春玲を、桜薫は静かに制す。

 春玲は渋々頷く。


 春玲が白桜と対峙したのは、桜月が目覚めてから五日程経過した頃である。


 その日の朝。桃苑が“今晩、桜薫と共に華葉宮に来るように”という、白桜からの伝言を伝えに来た。

 桃苑の口調は朗らかで、一度桜月を見舞って欲しいと口にしていたが、恐らく真の目的はそれではないと、春玲は見抜いていた。

 糾弾するつもりなのだろう。


 夜。華葉宮に春玲と桜薫が足を踏み入れると、白桜だけではなく内官の桃苑までも、ふたりの到着を待ち構えていたかのように、仁王立ちしている。

「どうぞこちらへ」白桜が固い声。

 春玲の背後に控えていた側仕えの女官が、そっと宮を出ようとする。

「貴女もどうぞ」女官の動きを察した桃苑が、声を掛ける。女官は一瞬、ぴくりと肩を震わせ振り返る。その眼には、隠しようのない動揺が映っていた。


 宮の奥に足を進めると、主治医をはじめ数人の官吏と一人の女官が桜月が身体を起こしている寝台を取り囲んでいる。

 春玲は皆を鋭い視線で睨みつける。

「計画通りにいかず不満か。王妃よ。

 余が生きていて」

 挑発するような桜月の声。

「お陰で命拾いした。足はまだ思うように動かせぬが……」

 桜月の発言に、わななく春玲である。


 春玲の様子を無視し、一人の女官が立ち上がると三人の前に立つ。女官は手に、乳白色の陶器と紫檀色の巾着を持っている。

 女官が手にしてるものを目にした瞬間、側仕えの女官が一歩後ずさる。

「ご自分がどのような悪事に関わったか、やっとお分かりになりましたか。

 改めまして、わたくし尚食の女官をしております。蕾柚と申します」

 蕾柚は毅然とした口振りで口上を述べる。


「尚食の女官が何故ここに」桜薫が眉を顰める。

「白桜様のご下命で、此度のことを追っておりました」

 悪びれるふうでもなく、平然と口にする蕾柚の態度に、春玲の目尻が吊り上がる。

「だとしても何故、それらを手にしているのです?」

 春玲の発言に、蕾柚は嗤う。

「陶器と巾着がご自分のものだと、お認めになるのですね」

 春玲は奥歯を噛み締める。


「母上。兄上。わたくしも父上も、此度の騒ぎはお二人が起こしたのだと存じております。故に、隠し立てなど無用でございます」

「王妃様。不思議ではありませんか?

 何故、殺めようと企てていた王様と梅花殿が生きているのか」

 白桜と蕾柚が、揺さぶりを掛けていく。

「それは……」春玲が口ごもる。

 蕾柚と白桜、更には桃苑が頷き合う。

「理由は単純明白。

 最初から、盃には鴆毒は入っておりませんでした」

 蕾柚の告白に、春玲と桜薫が目を瞠る。

「何故、そのようなことが言い切れる?

 そもそも、私たちが鴆毒を混入させたという証拠は?」

 桜薫が三人に詰め寄る。

「わたくしは見ておりました。

 宴の前夜、側仕えの女官が王様と梅花殿の盃に、鴆毒を混入させていた瞬間を。桃苑様も、尚食の建物に出入りする貴女を見ているはずです」

 蕾柚の発言に、桃苑が「左様でございます」と答える。


 二人の会話に側仕えの女官が、畏怖からかその場に座り込む。

「わたくしは、王妃様の命に従ったのみでございます」

 女官が震える声で懺悔する。

「それではおかしいではないか。

 女官とそなたが言っていることは正反対だ。混入したが入っていないとは」

 桜薫が異議を唱える。


 桜薫の異議を待っていたかのように、桃苑が二つの盃を蕾柚に手渡す。蕾柚は、盃を春玲と桜熏に見せる。

 蕾柚は鼻で嗤うと口を開く。

「わたしくしが、ただ鴆毒の混入を黙って見ているとお思いですか。

 入れ換えたのです。鴆毒が混入された盃と、白桜様の眠り薬を入れた盃を。最も、その後の王妃様と桜薫様の行動で、全く害はないとは言い切れなくなりましたが。

 今、お二人がご覧になっている盃には、鴆毒が入っております」

「何を根拠に!」桜薫が声を荒げるが、蕾柚は物怖じじせず静観している。

「お疑いなら、お試しになりますか?」

 挑発するような口調。

 桜薫が下を向き、奥歯を噛み締める。


「一介の女官が、身分を弁えずよくも……!」

 春玲が蕾柚に手を伸ばす。春玲の細い手首を掴む手。

「王妃様。申し訳ございません。

 ですがわたくしは、白桜様と梅花殿をお守りする義務がございます」

 春玲の手首を掴んだのは桃苑である。

 普段なら、膝を付き頭を垂れ、春玲と目を合わせない桃苑だが、この時ばかりは鋭い視線で春玲を見つめている。

「官奴が国母に向かってなんと無礼な……!」

 春玲は反論するが、他の者は静観している。


「お言葉ですが、もうじき貴女は国母でも王妃でもなくなるのではございませんか」

 桃苑の発言に、寝台の上から桜月の「左様」と言う声が飛ぶ。

「王様」春玲のか細い声。

「そなたがしたことは、謀反以外の何者でもない。そなただけではない、女官と桜薫も同罪であろう。

 想い人だけではなく、あろうことか王である余まで、亡き者にしようとした罪。そして、王室の秩序を乱し、混乱に陥れた罪は重い」

 桜月がそう言い終わるや否や、宮の扉が開き中に六名の刑部の官吏が流れ込み、女官と春玲、桜薫の周りを取り囲む。

「いつの間に……!」春玲の悲痛な声。

「余の命だ。そなたらが宮に姿を見せたら、宮の前で待機せよと」

 桜月は静かに言う。

「罪人を捕えよ」白桜の冷ややかな声を合図に、官吏らは春玲と桜薫を力ずくで座らせ、両腕を後ろに回し上半身と手首を紐で縛り上げる。

 強い力で縛られているからか、三人とも苦悶の表情を浮かべる。

「立て!」強い口調で命じると、衣を掴み無理やり立たせる。

 春玲と桜薫は、最後の抵抗と言わんばかりに、周りの者を睨みつける。

「白桜。実の母を罪人に仕立て上げ、満足ですか」

 春玲はそういうが、白桜は静観しているのみである。


 官吏らは三人の顔を布で覆うと、それぞれ二人掛かりで肩を掴み、引き摺るように歩かせる。

 三人の声にならないうめき声が、闇夜に響いている。

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