推測

 梅花が目を覚ましたのは、陽が傾きかけた頃であった。橙色の西日が障子を染める。

 梅花は寝台に寝かされている。

 目を覚まして最初に、桃苑の顔が飛び込んでくる。


「お目覚めですか」桃苑はほっと息を吐き、とう問う。

 梅花は掠れた声で「はい」と答える。まだ、頭がぼんやりとしその上、軽い頭痛がする。

「ここはどこでしょう。白桜様と他の妓女らは……?」

 この場に白桜の姿が無いことを不審に思い、桃苑に問うてみる。

「ここは翠雨宮といい、内廷でも現在は誰も使用していない宮です。

 月花楼の妓女らは、騒ぎのあと妓楼にお帰りになりました。念のため、数人の内官が付き添っております。

 白桜様は、王様のご様子を見に行かれています」

「王様の?」話が見えず問いを重ねる。

 自分が倒れてから、一体何があったのか―。


 桃苑が一呼吸置いて口を開く。

「実は……。貴女が倒れ込んだ後、直ぐに王様もお倒れに……。

 故に、白桜様は王様に付いていらっしゃいます」

 梅花は目を瞠る。

 そんな大事になっているとは、思わなかった。

 梅花はゆっくり、身体を起こす。

「わたくしは倒れる直前、異様な眠気を覚えたのです。恐らく王様も。

 桃苑様。わたくしと王様の料理になにが……?」

 梅花は桃苑をじっと見つめる。


 桃苑は大きく息を吐くと、意を決してというように口を開く。

「実は梅花殿と王様のお料理には、眠り薬が混ぜてありました。ですが、これはお二人を危険に晒すのではなく、寧ろ王妃様からお守りするためです」

「どういうことでしょう」梅花は怪訝そうな表情をする。


 桃苑が話を続けようとした直後、障子が開く音がする。

「わたくしが白桜様の命を受け、お二人の料理に眠り薬を仕込んだのです」

 桃苑の背後から、生成きなき色の衣に不言いわぬ色の裙を合わせた少女が、声を掛ける。

 少女の姿を認めた梅花は、「あっ」と声を上げる。彼女は先程、梅花に料理を配膳した女官であった。

「蕾柚殿」桃苑が振り返り、女官に声を掛ける。

「無事、命を遂行いたしました。やはり予想通り……」

 蕾柚と呼ばれた女官が、神妙な顔をし言う。桃苑は「分かりました」と答える。


「何故、白桜様がそのようなご下命を?」

 梅花は二人に問いを投げかける。

「まず、謝らねばなりません。梅花殿の了承を取らず、動いたことはこちらの責がございます」

 口を開いたのは、桃苑である。

「改めて、尚食の女官をしております。蕾柚と申します。以後、お見知りおきを。

 此度のことは、王妃様からの目くらましです。

 何も異変がなければ、王妃様は更に危害を加えるのでは…という、白桜様のお考えから、眠り薬を仕込むようにとご下命を」

 蕾柚が淡々と言う。


 蕾柚が言い終わると同時に、再び障子が開く音がする。

「白桜様」蕾柚が後ろを振り返り、白桜に声を掛ける。

 白桜は険しい表情のまま立っている。

「王様のご容態は?」

 桃苑の問いに、話は後だと言わんばかりに、梅花の元に歩みを進める。


 梅花が身体を起こし、普段と変わらぬ様子だと知ると、寝台の前で膝を折り優しく抱擁する。

「無事で良かった」優しい声音で、そう囁く。

 囁いた声が若干震えている。

 白桜とて不安だったはずである。


 二人の抱擁を、桃苑と蕾柚はただ見つめていた。

「どこか怪我をしたりは?」

 抱擁を終えた白桜が、梅花の手を握り言う。

「ございません」梅花が明瞭に答える。

 梅花の返答に、白桜は安堵から険しい表情を解く。


「白桜様。王様のご容態は?」

 桃苑が背後から問う。

「まだ分からぬ。

 主治医によれば、命の危険はないということだが……」

 再び、険しい表情をして言う。

「分からぬというのは……?」

 煮え切らない返答に、桃苑が訝しげに問う。

 白桜は三人に、華葉宮での出来事を話し始めた。


 宴の席で倒れ込んだ桜月は、内官らに運ばれ華葉宮の寝台に寝かされている。

 桜月の周りを内官と官吏らが取り囲む。

 桜月の主治医が、脈診をし倒れた時の状況を白桜に問うていく。

「食事には眠り薬が?」

 主治医の問いに、白桜は気ごちなく頷く。

「王様のご了承は?」主治医の鋭い口調に、表情を強張らせる。

「得ておりました」声が固い。

 白桜の返答に、主治医は盛大にため息を吐く。

「眠り薬ならば、命の危険はございませんでしょう」

 官吏と内官らが、なにやら小声で囁く。


「宴の膳をお持ちいたしました」

 宮内に重苦しい空気が漂う中、一人の女官が桜月が宴の膳を手に、姿を現す。

「こちらへ」白桜が声を掛ける。

 女官が膳を手に、白桜と主治医の元に向かうと膳を主治医の前に置く。そのまま、揖礼をすると身を翻す。

「して、眠り薬を仕込まれたのは?」

「盃に」白桜が短く答えると、主治医は盃を手にし傾ける。

 仄かな甘い香りがする。主治医は、盃の底に粉末が沈殿していることに気づき、怪訝そうな表情をする。

「白桜様。もう一度、お尋ねいたします。

 王様の料理に仕込んだのは誠に、眠り薬のみですか」

 主治医の声が鋭くなる。問いに「はい」と答える。

「盃に眠り薬以外のものが、紛れ込んでおります」

 思ってもいない、真実に白桜は目を瞠る。


「では、主治医は白桜様をお疑いで!?」

 白桜の話を聞いた桃苑は、声を大にする。

「恐らく」白桜は固い声で返す。

「白桜様がそのようなこと、なさるとは思えません」

 梅花が褥を握り締め、声を上げる。

「わたくしも同意いたします。

 責を受けるのは、白桜様ではなく尚食の女官でございましょう。

 それに、この一件に関してわたくしから一つ、お話したき儀がございます」

 蕾柚は宴の前に見た、春玲の不自然な行動を三人に話す。


「王妃様は内廷の主…此度の行動も、一応説明は付きましょう。ですが、王様と梅花殿の膳を注視していたのならば、あまりに不自然かと」

 桃苑は冷静に言う。

「母上のことなら、私も一つ気になることがある。

 梅花と父上が倒れた後、辺りは騒然となった。母上と兄上を除いて。

 二人はあの騒ぎの中でも、驚いた素振り一つしなかった。まるで、最初からこうなることを分かっていたかのように」

 次第に白桜の口調に熱がこもる。

「王妃様と桜薫様は、私と王様がお倒れになることを、最初からご存じだった……」

 梅花の指摘に三人が頷く。

「ですが、問い詰めようにも証拠がありません。それに、相手は他でもないこの国の王妃様です」

 梅花の視線が下に落ちる。

「ご心配なく。既に手は打ってあります」

「それに、梅花にとって王妃でも私にとっては母親だ。なんとかなる。

 そうであろう。蕾柚」

 桃苑と白桜はそれぞれ言い、蕾柚に視線を移す。

「左様でございます。

 白桜様のご下命のお陰で」

 蕾柚は策略的な笑みを浮かべる。


 気づけば宵闇が迫り、宮の中は黄昏色に染まる。

 桃苑が行灯に火を灯し、寝台の傍に置く。

「夜も更けております。故に今宵はこのまま、こちらで過ごされた方が良いかと。

 明日、月花楼までお送りいたします」

 桃苑の心遣いに、梅花は揖礼を捧げる。


 桃苑と蕾柚は宮を後にする。白桜は暫しの間、宮に残ることにしている。

 去り際に蕾柚が梅花に声を掛ける。

「落雁お気に召しましたか」

 梅花は笑顔で頷く。

「やはり貴女が、妓楼に届ける落雁を?」

 梅花の問いに蕾柚は笑みを浮かべる。

「左様でございます」

 そう口にすると、蕾柚は宮を後にした。

 宮には梅花と白桜のみが残る。


 月旭宮にて春玲と桜薫は、ことの次第を静観していた。

 計画に抜かりはない。後は、結果が出る時を待つのみ。

 既に、ことの次第は白蓮にも文を出してある。

 

 桜薫は微かに違和感を感じていた。

「伯母上。あまりに静かすぎやしませんか?」

 国王と招待した妓女が、毒酒を口にし倒れたのだ。本来なら、王宮は阿鼻叫喚に包まれるはずである。なのに―。

口にしたのが毒酒ではなかったのなら―?

 嫌な予感がする。


 春玲も先程から、あまりの静かさに気味の悪さを感じていた。

 春玲はふと思い立ち、鏡台の引き出しを開ける。引き出しの中には、鴆毒が入った陶器と、麝香豌豆が入った巾着が入っているはずである。

 が、しかし―。

 引き出しを開けると、それらが見当たらなくなっていた。

 春玲の血の気が引く。

「伯母上?」春玲の様子を不審に思った桜薫が、背後から声を掛ける。

「いえ。なんでもありません」

 無理に明るい声を作って言う。

鴆毒と麝香豌豆を盗んだのは、白桜に違いない―。

 勿論証拠はなく、目的が妓女を護る為か母を罪人にしない為か、どちらかわからない。だが、白桜だという確信はあった。

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