贈呈

 酉の刻(午後六時頃)。

 都に、店仕舞いを知らせる鐘が鳴ると同時に、月花楼の門が開き客を招き入れる。


 月花楼では、格子戸の奥にいる妓女を客が選ぶいわゆる見立ては行っておらず、妓女と遊ぶためには、入り口に備え付けられている小窓にいる楼主に、馴染みの妓女の名を伝えることが求められる。


何故私が、このような場にー。

 桃苑は納得が行かないと言わんばかりの、怪訝な表情のまま、梅花に渡す簪が入った木箱を手に妓楼の門を潜る。

 妓楼では、妓女との一夜の夢を見ようと思いをはせる男が何人も、ひっきりなしに門を潜る。

 門から建物までの道には、灯篭が灯り淡い光が妖艶な雰囲気を醸し出している。建物にも煌々と灯が灯り、男らの期待を表しているようである。


 建物の入り口の小窓の前には、男らが列を成している。

 自分の番が来た桃苑は、数回咳ばらいをし宦官だと気づかれぬように、声を低くし梅花の名を告げる。


 梅花は自室で身支度を整えながら、指名されるのを待ち望んでいた。

 同室の華琳と芽李花は既に、一階にて客の相手をしている。


 甘く妖艶な香を、襦裙に焚き染め髪を結い歩揺を指す。薄く化粧をし紅を手に取る。

 鉛白えんぱく色の衣に、桔梗色の裙を合わせる。

 衣の袖と裙の至る所に一重梅色の糸で、繍された梅の花が可愛らしく華やかに映える。


「ご指名でございます」襖の外から、奉公人の可愛らしい声がする。

 どれだけ場数を踏んでも、指名されたと声が掛かるこの瞬間は慣れず、毎回背筋が伸びる思いである。

 部屋を出る直前。梅花は今一度、襦裙や化粧や乱れがないか鏡で確かめ、深呼吸をし襖を開ける。

 襖の外には、まだ十にもなっていない、髪を肩より少し上で切りそろえ、白藍しらあい色の衣に卯の花色の裙を合わせた少女が、梅花を見上げていた。

 少女は物言わず、身を翻し長い廊下を歩いていく。梅花も少女の後を付ける。


 妓女は自分を指名した客が誰なのか、事前に知ることは不可能である。

 

 階を降りると、大勢の妓女と客そして奉公人が往来し、喧騒に包まれている。客の相手をする部屋には、梅や杏、菖蒲などの植物の名がつけられている。

 部屋の前を通ると時折、妓女の嬌声きょうせいが聞こえて来るが、妓楼ならば当然のことなので、大して気になることではない。

せ返るような香の匂いに、胸が詰まり梅花は息を吐く。

 ふいに、少女がある襖の前で足を止め、「お連れいたしました」と声を掛ける。

 少女は襖をすかせ、そのまま廊下を真っ直ぐ進んでいく。


 一人きりになった梅花は、襖に手をかけ慎重に開く。

 部屋に足を踏み入れると、客である男性の顔を見るより先に揖礼を捧げる。

「梅花というのはそなたか」

 男性の一言に、梅花は大きく頷く。男性にしては若干高い声。

 部屋の隅に置いてある、火鉢が軽い破裂音を立て、室内を温めている。

 男性の前には、嗜好を凝らした色鮮やかな料理と、かんに付けた紹興酒が置いてあるが、どちらも手を付けた痕跡は見当たらない。

 

 不自然に思いながら、男性の隣に座り紹興酒が入った徳利を手に、酒を注ごうとする。

「悪いがそなたを指名したのは、酒を呑み楽しむためではない。勿論、夜伽をしてもらおうなどなどとも、思ってはいない。

 私の主から、これをそなたにと仰せ付かってきた」

 男性は、几の下から、長方形の木箱を取り出し几の上に置く。

 突然のことに、梅花は目を丸くし男性の顔をじっと見つめる。

「中身を見れば、なんのことかわかるはずだ」

 男性に促されるまま、徳利を几の上に置き木箱を手に取りそっと開ける。


 中には、漆塗りの平簪が一本入っている。

 所々に施された金箔と、梅の花を象った螺鈿から相当上等なものだと見受けられ、梅花は恐る恐る手に取り繁々と眺める。

「気に入ったか。商人によれば、都の東南に位置する蓮華れんかのものらしい」

 素っ気ない物言いの割には、口元に微笑を浮かべている。

 

 天香国は、都である桜華を取り囲むように東南に蓮華、西南に菖華しょうか、西北に菫華きんか、東北に藤華とうかの五つの地域が位置し、それぞれ特色を生かした産業を生業としている。


 国の都であり、文化や政の中心地である桜華。

 第二の都と呼ばれ、海が近く漁業と貿易の中心地である蓮華。

 養蚕業や綿花の栽培が盛んで、絹や木綿の産地である藤華。

 砂漠に囲まれ、駱駝らくだや山羊を飼育し、乳を加工して生活する菫華。

 森に囲まれ、林業で生活をする未開の地である菖華。


 蓮華では、海が近いため自然と貝殻が流れ着き、それを使い簪や櫛にする職人も多い。


 どこで作られたものであっても、螺鈿が施された簪など庶民が容易に購入できるものではない。故に、梅花には簪を贈った男性の主が、何を考えているか分からなかった。

「こんな上等なもの頂けません!

 そもそも何故、わたくしに簪など? 理由をご説明して頂けませんか」

 梅花は、引きつった表情で男性に簪を押し付け返そうとする。

 梅花の言動に男性は、呆れたように盛大にため息を吐く。

「心当たりが全くないと?

 数日前、都で露店商に絡まれていた所を、若様に助けて頂いただろう」

 男性の糾弾するかのような、物言いに梅花は一瞬息を呑み口をぽっかり開ける。

 と同時に、あの時助けてくれた“若様”の端正な顔が頭に浮かぶ。

 露店商に向かって、臆することなくこの国の民は皆平等だと、啖呵を切ってくれた頼もしい声と共に。

「私はその若様に仕えている者だ。

 若様は、自分がそなたを助けたことで、買い物の機会を台無しにしてしまったことを、気に病んでおられる。それ故、お詫びに簪を届けるようにと」

 梅花は、簪を大事そうに両手で包む。


だからあの時、妓楼と私の名をお尋ねに―。

 あの時の、光景と交わした会話が点と点で繋がる。と同時に若様の優しさと、あの時頭に触れた手の大きさと暖かさを思い出し、思わず顔が綻ぶ。

「気に入ったのなら良かった。

 若様にもそうお伝えしておく。要件は済んだ。私はこれで」

 梅花の表情が、簪を気に入ったことばかりだと思い、そそくさと退室しようとする。


「お待ちください!」

 梅花は男性に声を掛ける。思ったより大きな声が出て、慌てて口を両手で覆う。

「まだ何か?」男性が、不愉快極まりないとでも言いたげに、眉を顰め振り返る。

「若様に文をお渡しして頂けますか。

 せめて簪のお礼を認めるだけでも」

 男性は、暫し沈黙の後に口を開く。

「まぁ……。文を届けるだけなら良いだろう。

 ただ、返信は保証できぬが」

 梅花は満面の笑みを浮かべ、深く頭を下げる。そのまま部屋を出、二階の寝室に向かった。


“若様”がどのような方かも知らないで……。

だいだい妓女が客を置いて、部屋を出るなど許されることなのか―?

 桃苑は怪訝そうな顔をして、梅花が出て行った襖を眺める。

 白桜から、梅花に白桜の名と身分を明かさず、渡してくるようにと命じられていた。

 梅花が戻るまでの間、燗に付けてある紹興酒を御猪口に注ぎ、口に含む。

 燗に付けたことで増した、紹興酒独特の甘みが口を満たす。


 料理と酒を口にしていると、梅花が戻ってきた。

 大事そうに、立て文を手にしている。

「お待たせして申し訳ございません。

 こちらを若様に」

 両手で手渡す。

「承知した」素っ気なく答え、文を受け取ると席を立ち部屋を後にする。

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