思案

 男性と別れ、帰路に着いた梅花は、月花楼の門の前で警備をしている、男性に都に出入りするときに必要な手形を見せる。

 辺りは黄昏時に染まり、人の顔を判別することが難しい。

 妓楼は営業をしていないというのに、煌々こうこうと建物の灯が灯っている。

 門の直ぐ側には、大きな桜の木が植えられており、門から建物の入り口までは石畳が真っ直ぐ敷かれ、石畳の両側を挟むように、牡丹が植えられた垣根と等間隔に灯された灯篭が、帰路に着いた妓女らを迎える。

 

 梅花をはじめ、妓女は十日に一度の休み以外に、自由に外出を禁止されている。


 手形を受け取った男性は、裏返し凝視する。

 手形は、木製で表に妓楼の名、裏に梅花の名が記されている。

 梅花の顔を一瞥し、手形を返し門を潜るように促す。

 梅花は門を潜り、石畳を踏みしめる。


 妓楼は木造三階建てで、一階は男性を酒や料理などでもてなす妓楼、二階と三階は妓女らが寝起きする場となっている。

 妓女らは一部を除いて、数人一部屋で共同生活を営む。


 梅花は靴を脱ぎ、廊下を真っ直ぐ進む。歩く度に、廊下の冷たさに思わず身震いし速足になる。

 きざはしを上がり、長い廊下を進み自室の前で立ち止まる。部屋の中から、楽しげな声が聞こえてくる。

梅花は襖に手をかけ、ゆっくり引く。

「おかえりなさい」

 部屋の中には、二人の妓女がおり襖が開くと同時に声を掛ける。


 一人は華琳かりんという名の、小柄な数え十三か十四の少女である。一重梅色の衣と、勿忘草色の裙を合わせ、梅花と同じ雀茶色の髪を二輪に結っている。

 もう一人は芽李花めいかという名の、数え十八程の少女である。若緑色の衣と、藤色の裙を合わせ、艶やかな漆黒の長い髪を束ねず流している。


「簪は? 買えなかったの?」梅花が手ぶらで帰って来たことに、気づいた芽李花が問う。

 梅花は、畳の床に座り込むと、露店商に絡まれていたところを、名も知らぬ男性に助けて貰った、と話す。

「怪我は? 大丈夫だった?」芽李花が、梅花の身を案じ問う。梅花は、笑みを見せ大きく頷く。

「ならいいけど……」梅花の反応に、ひとまず胸を撫で下ろす。

「#艶話__つやばなし__#みたい!」と、芽李花とは違い夢見がちな華琳は、几の上に置いてある長方形の琥珀糖を手に取り声を弾ませる。

 

 琥珀糖は薄桜色で、霞がかったかのように、表面は砂糖を纏い、一口齧るとしゃりっという音と砂糖の膜を砕くような、ぱりぱりとした歯ごたえが心地いい。

 表面のぱりぱりとした歯ごたえと、中のぷるぷるした食感が相まって、絶妙な味わいである。


 砂糖が高価な代物である天香国では、砂糖のみを使用した落雁らくがんは、庶民が気軽に手を出せる額ではなく、砂糖と寒天を使用した琥珀糖の方が安価で甘すぎず、庶民に好まれる。


 梅花も琥珀糖を手に取り一口齧る。

 しゃりっという音と共に、寒天のぷるぷるとした食感と、さっぱりとした甘味に思わず目を細める。

 華琳によれば、甘味や軽食は、妓女でも安易に手に入るという。

 その話を聞きながら梅花は、昼間助けてくれたあの男性のことを思い出していた。


名前ぐらい尋ねておくべきだったー。

 あの時、男性に名を尋ねずに別れたことを、今更ながら悔やむ。

また会えるだろうかー。

 別れ際、妓楼と自分の名を尋ねられたことから、客として妓楼に来てくれることを、期待せずにはいられなかった。


 白桜が梅花を助けてから数日後。

 都に桃苑の姿はあった。白桜の命を受け、梅花に渡す簪を探しに来ていた。

 雲が広がってはいるが、雲の切れ間から日差しが差し込む。

 左丞の娘との縁談もまとまりかけた、一国の王子が別の女人にものを渡すなど、褒められたことではないが、白桜の「簪を買う機会を、台無しにしてしまった詫びをしたい」という言葉で、桃苑は渋々といったていで都を探索していた。


 幾つも飾り物を取り扱う店を覗いたが、気に入るものと巡り合わずふと、道端で露店商が広げている品物に目が止まった。

 露店商に近づき、品物を手を取る。

 

 簪は、平簪と呼ばれる、平らな簪である。色は漆黒で所々に金箔が施されている。先に梅の花の螺鈿らでんが施され、日に当たると七色に色を変える。

 送る相手の名が、梅花なことから、梅の花が施されているものをと、白桜から命じられていた。

 これなら、白桜から文句も言われないだろうと、桃苑は露店商に代金を支払うと、簪が入った木箱を受け取り、足早に王宮へ向かった。


 王宮は、警備の為に周りを高い城壁に囲まれ、厳重な警備が引かれている。門の前では、兵部の官吏が二十四時間体制で警備に当たっている。

 桃苑は、警備を行っている官吏に、王宮に入るための手形を見せる。

 手形は木製で、表に玉璽ぎょくじが押され、裏には国璽こくじと桃苑の名、更には身分が記されている。

 官吏は、差し出された手形と桃苑の顔を見、微かに頷き門の中に促す。


 桃苑は手形を、深衣の懐に仕舞い込むと、門を潜り王宮の中に足を踏み入れる。

 王宮は、石畳が敷かれ、様々な色の襦裙や深衣を来た、女官や官吏、内官が忙しなく往来している。

 女官や官吏、内官が身に纏っている、襦裙や深衣が色鮮やかで、目を細め外廷を抜け白桜が待つ宮に足早に向かう。


 白桜は、宮にて書に目を通しながら、桃苑の帰りを首を長くして待っていた。


 深い紺色の深衣の袖に、桜色で刺繍されている桜が映える。胸と背に、金色の糸で大きな牡丹が刺繍されている。


「白桜様。ただいま戻りました」障子が開き、桃苑が姿を現す。

「ご苦労。面倒なことを頼んで悪かった。買えたか」

「如何でございましょう」

 桃苑は、几の上に簪が入った木箱を置く。白桜は、木箱を開け中から、簪を取り出し眺める。

「良かろう」満足そうに頷くと、笑みを浮かべた。

 この簪を身につけた、梅花の姿を思い浮かべると、何故か愉快な気持ちになり口元が綻ぶ。


 白桜の穏やかな笑みとは逆に、桃苑は怪訝そうな顔をしている。

「白桜様」桃苑は、硬い声で主の名を呼ぶ。

 簪を仕舞わずに、笑みを浮かべていた白桜は、桃苑の怪訝そうな顔を見て小首を傾げる。


「まさかとは思いますが、あの梅花という妓女に何か特別な感情をお持ちで……?」

「どうだろうな……」

 桃苑の心配を、白桜は曖昧に言葉を濁す。

「気にならないと言えば嘘になる。しかし、色恋かと聞かれればいなと答えるだろう」

 世の男らは、気に入った妓女相手に、色事を楽しむのだろうが、生憎白桜にはそのような趣味はない。

「ならば良いですが……」

 桃苑の口振りと表情から、そのような面倒ごとは御免だ、という気色が滲み出ていた。


 白桜は、木箱に簪を仕舞うと口を開いた。

「月花楼にはそなたが行き、梅花にこれを渡して来てくれ」

「わたくしがですか!?」

 甲高い素っ頓狂な声を上げる。

「ですが、わたくしは官奴かんぬの立場でございます。

 男でも女でもない宦官が、妓楼の妓女に会うなど……」

 桃苑は苦い顔をする。


 天香国では、宦官が妓楼に足を運ぶことは咎められてはいない。

 だが、宦官のなかには桃苑のように、官奴の立場で色事の場に足を運ぶことに、嫌悪感を持つものも少なくない。

 男性の象徴を持たず、色事とは無縁な宦官らにとって、夜な夜な夜伽よとぎで男を楽しませる妓楼に関わるのは酷なのだろう。


 かと言って、白桜自身が妓楼に出入りすれば、政の重鎮に露見され、桜月と春玲の耳届く可能性は十分にある。

 縁談が纏まりかけたこの時期に、王宮の期待を裏切るような真似は避けたかった。


 首を縦に振らない桃苑に、白桜は渡したら直ぐ王宮に戻ってこれば良いと、説得し桃苑も渋々頷いた。

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