決意

 華葉宮を出た白桜は、大きな息を吐く。


 憑き物が落ちたかの如く、晴々とした表情で、大きく伸びをする。

「まさか誠に、縁談をお断りになるとは……。お嬢様がお労しい……。恐らく、白桜様は歴史に名を遺すお方になりましょう」

 背後に控えている桃苑が、呆れたかのように息を吐く。


 白桜が己の心変わりを口にしたことで、白蓮との縁談は白紙。

 つい先ほどまで、邸に帰宅してしまった白蓮に代わり、彼女の父親である柊明と共に今後について話し合う時間を設けていた。

 

「安堵している場合ではございません。これから、白桜様にとって棘の道になりましょう」

 ぴしゃりと言う。白桜は、表情を引き締める。

「王様は“己の好きに”と仰せになるでしょうが、王妃様はご納得しては頂けぬかと。

 王妃様が、一番此度の縁談をご所望でございました。何より、誰よりも王室の秩序と繁栄をご所望なのは王妃様でございます。白桜様の想い人が、卑しい身分だとお知りになれば、おふたりの仲を引き裂こうと、策略をご高察になるやもしれません。

 王様も、此度の件で“王子一人、満足に正室を迎えることが出来ぬ王だ”と、周りの官僚は軽蔑なさるでしょう。これをきっかけに、朝廷が傾かねば良いのですが……」

 桃苑の言い分は、どれも現実に起こりうるものである。

「責任を取って、父上が退位することも……」

「その可能性もございます」きっぱりとした物言いに、白桜は己がしたことの大きさを改めて実感し、身震いした。寒いわけでもないのに、虫が這うような悪寒がし肩を振るわせる。


 その悪寒が覚悟に変化する。

王宮という名の荒波から、梅花を何としてでも護らなければ―。

「護らなければならぬな。この手で……」

 誰にでもなく呟くと、後ろを振り返り暫し華葉宮を見つめると、すぐさま前を向き歩みを進める。


 白桜が今後について決意を固めた同時刻。

 桜月と春玲しかいない華葉宮には、重苦しい空気が漂っていた。

 春玲は、少しでも重苦しさを払拭しようと、大きく息を吐く。

 目の前に豪華な料理が、並んでいるがとても手を付ける気にはならない。


 白桜から、縁談を白紙にして欲しいと耳にしたときは、自分の聞き間違いだと自負していた。まさか、他に想い人がいるとは夢にも思わなかった。

「白桜が頻繁に都を探索していたのは、例の想い人に逢引きをするためでしょうか」

 根拠はないと頭の中ではわかっていても、白桜の“想い人の身分などの詳細は明かせない”という言葉が、気にかかりつい口を突く。


「そうだとしても、もう縁談は白紙だ。いまさら、とやかく言ってもどうにもならぬ。

 それに、都にお忍びで出掛けるのは、逢引きのためではなく、民の生活を自分の目で見るためであろう」

 自分の息子だというのに、どこか他人事のような桜月の口振りに、怒りの炎が灯る。

「王様はこのまま白桜が、どこの娘か分からぬ女人を娶っても良いとお思いですか!?

 王子の正妻ななる女人は、いずれこの国の母となりましょう。正妻が、どこの娘が分からぬようでは、王室の秩序と繁栄は失ったも同然にございます」

 身を乗り出し、甲高い声で一気に捲し立てると口を紡ぐ。その迫力に、桜月は思わずのけ反った。

 頭では桜月に責があるわけではないと、分かってはいるが、つい糾弾するような口調になる。


「このようなことになるなら、都へのお忍びに厳しく制限を掛けるべきでした」

 その言葉には、言いようのない後悔が滲んでいた。


 白桜の母として、息子の意思を尊重するべきか、国母こくぼとして王室の秩序と繁栄を求めるべきか、己の立場が揺れ動く。


「どこの娘でも、世継ぎの男児に恵まれれば、とやかく言う必要はあるまい。

 確かに、貴族の御息女なら王室も安泰であろう。しかし……。子は、親の思い通りにはならぬ」

 桜月は遠い目をして微かに笑う。この場に、不釣り合いな表情に春玲は眉を寄せる。桜月は、春玲を見据え口を開く。

「王妃。白桜が選んだ女人だ。

 どのような娘であれ、白桜の好きにさせてやったほうが良い。誠に恋焦がれているのなら、親の言いつけなど聞かぬものだ」

その娘は、この国を変えてくれるやもしれぬ―。

 柊明は、白桜の想い人に微かな期待をしていた。


 華葉宮の階を降りると、春玲は振り返り宮を睨みつける。背後で控えていた十数人の女官と、宮の前で警備を行っている衛尉の武官は、鋭い目線に思わず目を逸らす。

白桜の好きに―。

 先程聞いた、桜月の台詞を思い出し奥歯を噛み締める。


 白桜の思い通りにはさせまい。好きなようになど、させるものか。

 裏切られたも同然。

 王宮の繁栄よりも、恋心を優先させた白桜に対して胸に怒りが渦を巻く。

 怒りの矛先は、白桜のみではない。息子が秩序を乱したというのに、他人事の桜月にも腹が立つ。

 王ならば、息子に厳しくしても良いのではないか。


 桜月の信条である、“王とは中立的な立場である”という言葉とは裏腹に、白桜に肩入れし甘い蜜を吸わせる姿は、春玲を余計に苛立たせる。

 

 前を見据えると口を開く。

「宮に戻ったら、文を書く用意をして頂戴。反古紙ではなく水蓮が描かれた、上等な紙が良いでしょう。

 お嬢様に、此度の件のお詫びと慰めの文を認めねば。幾ら、縁談が白紙になったとはいえ、王宮との縁が切れた訳ではないのだから」

 怒りを露わにせぬように、鷹揚に述べる。

「承知いたしました」女官らが声を揃える。


 先程まで揺らいでいた、己の立場がこの瞬間定まった。

 自分は母親としてではなく、国母として動く。そのためになら、誰かを傷つけ王妃の座を、廃位されることも厭わない。

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