希求

 「ご期待に沿えず申し訳ございません。白桜様だと、お思いになったのでしょう」

 梅花の落胆ぶりを、察した桃苑が言う。


 随分と丁寧な口調である。

 初めて会ったときは、もっとぞんざいな口調であったはずだが、どういった風の吹き回しだろうか。


「流石に、昼間から妓楼にお連れすることは難しく……。故にわたくしが」

 桃苑の弁解を聴きながら、それならば仕方がないと納得する。春玲や官僚らに、想い人の正体が知られてしまった以上、おいそれと連れ出すことが困難なことぐらい想像が付く。


「昼見店をされていないと小耳に挟んだのですが、白桜様から梅花殿にこれを渡すようにと、仰せつかって参りました」

 桃苑はそう口にすると、深衣の袂を探り几の上に小さな桜色の和紙で出来た包みと一通の立て文を置いた。

 梅花は桃苑の側に腰を下ろし、立て文に手を伸ばす。


 礼紙には白桜の名はおろか、国璽すら捺印されていない。ただ、梅花の名が認められているのみである。

 

 梅花は紙縒を手解き、礼紙を外すと文を開く。

 文には、王宮での騒ぎを聞いているだろうが、案じずとも良い旨、何があろうと己が梅花を想う気持ちは変わらない旨が、暖かく決意の感じられる文字で認められている。


 梅花は文に目を通すと、文を胸に当て瞳を閉じる。

わたくしも同じ想いでございますー。

 梅花は王宮にいるであろう白桜に、声なく呟く。


 再び開いた瞳には、揺らぐことのない意思と決意が宿る。

 梅花の表情を見て、桃苑は頬を緩める。

「どうやら、わたくしの懸念は杞憂で終わったようですね。安心いたしました」

 桃苑の意味深な言葉に、梅花は詳細を尋ねたそうに口を開きかける。

「いえ。なんでもございません。わたくしの独り言でございます」

 梅花が言葉を発するよりも先に、桃苑が言葉を発する。


「文だけではなく、こちらもどうぞ」

 桃苑が桜色の和紙で出来た包みを、開けるように勧める。

「こちらも白桜様から……?」探るような視線に、桃苑は大きく頷く。

 梅花は包みを手に取り、しげしげと見る。よく見れば、和紙は無地の桜色ではなく、細かく桜の花が描かれていた。

 

 梅花は慎重に包みを開く。中身を目にした刹那、笑みが広がった。

 中に入っていたものは、桜と梅が模られた落雁が十程。

「白桜様が、わざわざ女官に作らせたものです。梅花殿のために」

 思いも寄らない言葉に、梅花は目を丸くし掌に乗った落雁と、桃苑の顔を何度も見比べる。

「頂いても?」梅花の問いに、桃苑は再度大きく頷く。


 梅花はそっと、落雁を前歯で齧る。そして直ぐに、目を見張る。

「桜の風味……」梅花の呟きに、桃苑が「わたくしもはじめは驚きました」と答える。そして、こう続けた。

「昨年、開花した桜を塩漬けにしたものを、塩を抜き風味付け程度に加えたのだとか。王宮では、花見の宴に塩漬けした桜を、酒や茶に浮かべてお出しいたします。

 お二人が仲睦まじくと願う女官の一工夫です」

 梅花は頷き口を開く。

「妓楼でも、桜の時期は料理に桜の花を添えることがございます。

 場が違っても、花を愛でる民の気持ちは変わらないのかもしれません」

 梅花は朗らかに微笑むと、手にしていた落雁を口に入れる。


 口の中でほろほろと、崩れ溶けてしまう落雁を味わう。最後に残った桜の風味を、味わううちに白桜のことが思い出され、胸に迫るものがある。会えない寂しさが、胸に積もる。


 梅花は気持ちを落ち着かせるために、下を向き呼吸を整える。

「思うように会えず、お寂しいでしょう」

 梅花の胸中を読み、桃苑がそう口にする。梅花は下を向いたまま頭を振った。

「仕方がありません。

 白桜様を妓楼にお連れすることは、骨が折れることでございましょうから」

 梅花の寂漠せきばくたる口振りに、桃苑は表情を引き締める。

「近いうちに必ず、白桜様をお連れいたします。白桜様も、梅花殿にお会いしたいとお思いでしょう」

 その言葉に、ようやく顔を上げ小さく頷いた。


「梅花殿。

 王宮の動きで、話さなければならないことがございます」

 桃苑の言葉で、梅花は座り直し背筋を伸ばす。

 恐らく、春玲が起こした一連の騒ぎの件だろうと、察しが付く。

「今王宮では、白桜様と梅花殿を支持する者と、お二人の関係を目の敵にし仲を引き裂こうとする者が存在しております。

 王宮内特に外廷が、二分されているといっても過言ではございません。

 目の敵になさっているのは、王妃様と白桜様の腹違いの兄上様でございますが」

 淡々とした桃苑の声。

「王妃様のことは、伝え聞いております。

 朝廷に乗り込んだとか」

 梅花は小さな声で言う。


やはりー。

 妓楼で暮らしている以上、客である官吏や胥吏など王宮に関わる者から、嫌でも耳に入れなければならないことを、充分予想していた。

 予想通りの反応に、桃苑は苦い顔をしため息を吐く。

「左様でございます。

 王妃様は朝廷に乗り込み、王様と白桜様、更には官吏らの面前で、白桜様の想い人が妓楼の妓女だということを、発言なさいました。恐らく、妓楼に出入りしていらっしゃる、桜薫様から伝え聞いたのでございましょう。

 王妃様のご発言と王様が、白桜様を支持すると仰せになったことから、官吏らは上訴を」

 春玲が起こした騒ぎは、梅花にとって恐怖の対象である。しかし、国王自身が、二人を支持するということが、小さな希望のように感じられた。

 恐怖と期待、二つの相反する感情がせめぎ合う。


「王様は、梅花殿が正式な手筈を踏み、入内なさることをご所望しておられます。

 今はまだ、王宮が苦境に晒されているため難しいでしょう。ですが、必ず道はあります。梅花殿が白桜様の、正妻として入内なさる方法が必ず。

 王様も、梅花殿が白桜様の正妻として入内なさることを、更には国母として今までの王族とは違う価値観や視点で、民の生活に寄り添っていただけるのでは、と期待していらっしゃいます。勿論、わたくしも」

 桃苑は、瞳に決意を湛え、語気を強める。

 桃苑の物言いとは裏腹に、自分が白桜と結ばれ白桜が、国王に即位すれば自分は王妃の身分を得るのだと、ずっしりと錘を背負うような思いである。


 今までは、自分の身分が低い故に、白桜と結ばれないことを、一番の問題と捉えて来た。

 だがただ、結ばれれば丸く収まるというものではなく、結ばれてからが本当の棘の道なのだ。幸い、梅花に身内と呼べる者はいない。それ故、即位をしても外戚云々というようなことには、ならないだろう。

 だが、一般的には外戚というのは王妃側の親戚だけではなく、国王の母のことも指す。故に即位をした後、春玲が外戚として口を出してくることは、決まったも当然ではないのか。


 自分には、背負いきれそうにない重圧に、又もや梅花の視線は下に落ちる。

「即位をしてからのことは、時が来てから考えれば良いのです。

 それに、民の中には即位をした王や王妃が、誰であろうと朝廷に関心を持たぬ者も少なくはありません。

 ですから今からそう、思い詰めずに」

 桃苑は、梅花を覗き込む。

 まだ、即位できるかどうかの前に、正妻として入内できる見込みすらないのだ。今から、そのようなことを案じてもどうにもならない。

 梅花は気を取り直し、大きく頷いた。


「あの。白桜様にお礼の文を認めても?」

 梅花の申し出に、桃苑は笑みを浮かべ「勿論」と返す。


 梅花は一度、部屋を出ると階を上がり、自室に戻る。幸い、自室には誰の姿もない。

 梅花は墨を擦り、返信用の麻紙を取り出し、筆にたっぷり墨を含ませると、落雁のお礼と自分も白桜に対する気持ちは、何があっても変わらない旨を、認める。

 文を認めながら、あることを思案していた。

 礼紙に自分の名を認めると、春玲に露見されることを危惧し、梅の花が描かれた香炉を取り出し、香を焚く。

 梅の香りが部屋に満ちる。文と礼紙を、煙に潜らせる。

 墨が乾いたことを確認し、礼紙に包み紙縒りを結ぶ。


「お待たせしました」大切そうに文を手にし、梅花が戻ってきた。

 桃苑は、先程と同じように、腰を下ろしている。

「これを白桜様に」桃苑に近づき、手にしていた文を手渡す。

「必ずお渡しいたします」そう言うと、深衣の袂に文を収める。そして、立ち上がり「そろそろ」と暇乞いをする。

「お送りいたします。と言っても、門までですが」

 梅花は桃苑の後を追う。


 部屋を出、桃苑と並んで歩きながら、口を開く。

「ひとつ分からないことがございます。

 王妃様としては、わたくしと白桜様が結ばれた方が、外戚としては有利ではございませんか。わたくしは、妓楼の出で政に対しては素人です。

 操るのは容易いのでは」

 梅花の疑問に、桃苑の足がぴたりと止まる。

 何か、不味いことを口に出したのか。政に対して、素人考えを述べるべきではなかったか……。

 そう思案していると、桃苑が徐に口を開いた。

「確かに、梅花殿を操ると考えればそうでしょう。ですが、白桜様はその手には乗らぬかと。白桜様は、王様の国政の在り方を成人を迎えてから、具にご覧になっておりました。それ故、そう簡単にはいかぬでしょう。

 それに王妃様は、白桜様より桜薫様を目をかけていらっしゃいます。それ故、梅花殿が入内なさった暁には、桜薫様を正式なお世継ぎとして、担ぎ上げるやもしれません。桜薫様も、側室の子とはいえ王族であることには変わりはありませんから」

 

白桜様の王位継承権を無効に―?

親ならば、自分の息子が君主になるのは、喜ばしいことではないのか―?

 政は理屈ではないのだろう。桃苑の言葉から、それを読み取る。

「意味が分かりません。王妃様は何故」

 呆然と呟く梅花の声に、頷きこう続ける。

「恐らくですが、桜薫様をお世継ぎに据えれば、王妃様は摂政として外戚ではなく、もっと国政を意のままに操ることができる故かと。垂簾聴政すいれんちょうせいとでも言えば良いでしょうか。

 桜薫様は、それこそ政に関しては素人です。故に、王妃様のお力無くして、国政をお取りになるのは、無謀かと」

 梅花はどう言葉を返せば良いのか、その場に立ち尽くす。

 桃苑はまた歩みを進める。


 玄関を出、門の入り口まで来ると桃苑が、「もうここで」と制する。

 西日が輝き、闇が迫る。背にした妓楼から、妓女らの賑やかな声が聞こえてくる。

「最後にもうひとつ、お尋ねしてもよろしいでしょうか」

「なんなりと」桃苑が朗らかに言う。

「何故、わたくしに丁寧な物言いを?

 わたくしの方が、桃苑様より身分は下のはずです」

 まさか、そんなことを尋ねられるとは思わなかったのだろう。桃苑は、瞬きを繰り返す。

「梅花殿は、いずれこの国の母となるお方。それに、我が主・白桜様の想い人。そのような方に、丁重にものを述べるのは当然でございます」

 桃苑は、なんの疑問も持たず、平然と言う。そして、丁寧に揖礼をし妓楼を後にした。

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