糾弾
白蓮を帰して直ぐさま、桜薫の元へ届ける文を認める。
女官から、春玲が認めた文を受け取り目を通した桜薫はその晩、真相を確かめるため月花楼へ向かった。
以前、芽李月にこの件を尋ねたが、情報を聞き出すことは出来なかった。
そこで他の妓女に、“最近何か変わったことはなかったか”と尋ねた。
妓女らは皆、決まりが悪そうに口をつぐみ、目配せをし合う。妓女らの反応から、妓楼内で騒ぎがあったことは間違いないと確信する。
恐らく、緘口令でも引かれているのだろう―。
騒ぎを起こしたのは誰だ―?
思案しつつ妓楼の中を歩き回る。
「ご案内いたしましょうか」
桜薫の不審な行動に、奉公人の少女が声を掛ける。どうやら、建物内を迷っているように見えたらしい。
「いや」頭を振ると、奉公人にも妓女らと同じ問いを投げかける。しかし、先程の妓女らと同じく口を噤んでいる。
「話してくれたら、これをやってもいいんだが……」
桜薫は深衣の袂から、和紙に包まれた落雁を取り出し見せる。
奉公人といえど所詮は子ども。故に、甘い菓子でも見せれば簡単に口を割るのではと自負していた。
しかし、少女は頑なに口を割らずその場を離れる。
少女の態度が、期待したものではなかったことに、桜薫は苛立ちを募らせ、舌打ちをする。
結局、何の情報も得られないまま妓楼の門を潜り、その場を後にしようとする。
「しかし、謹慎と聞いた時にはどうなるかと思ったが……」
「あぁ。もう客を取らないのかと……」
「まぁ、あれだけの騒ぎを起こしたからな……」
「良かったな。復帰が出来て」
妓楼の門の前で、二人の男がそう話す声が耳に入る。桜薫は二人の会話に聞き耳を立てる。
もしかしたら―。
「その話。詳しいく聞いても良いか」
男らに歩み寄り声を掛ける。突然のことに、男らは戸惑いながらも頷く。
「妓楼内には緘口令が引かれているんだが……」
男らは言葉を濁しながらも、“騒ぎ”についての一部始終を話してくれた。話を聞けば聞くほど、それまでの白桜の行動と妓楼内の雰囲気に合点がいった。
もう少し―。
妓女の名さえわかれば―。
「王子と騒ぎを起こした、妓女の名は……?」
桜薫の問いに、一人の男が空に指で妓女の名を書く。
「梅花……?」声を落とし呟く。二人が揃って、大きく頷いた。
そういうことか―。
帰り際、桜薫は歩きながら忍び笑いを漏らす。
幾ら妓楼内で緘口令を引いたとしても、客が話すことまで、制限することは不可能なのだろう。
そのお陰で、騒ぎの全容が掴めた―。
春玲は、桜薫から届いた文に目を通していた。文には、白桜の想い人と思われる女人の名と、彼女が起こした騒ぎの一部始終が認められていた。
妓楼の妓女が、王子に想いを寄せるなど汚らわしい―。
舌打ちをし嘲笑う。梅花という名の妓女に対する憎悪が渦を巻く。
春玲の元に文が届いてから数日後。
桜薫が王宮に参内し、春玲と対峙していた。
「叔母上。文はお読みになりましたか」
挨拶もそこそこに桜薫が問う。
「ええ。勿論」春玲が冷ややかに答える。
「王様はこの件をご存じでしょうか」
桜薫の言葉に、春玲は暫し思案する。
白桜の意思を尊重するという桜月のことだ。想い人が誰であっても、二つ返事で受け入れるのではないだろうか。
「例え、ご存じであったとしても、反対なさるとは思えません。王様は、白桜に甘いお方。わたくしとは違って」
春玲は椅子の背凭れに凭れる。
桜薫が頷く。
「白桜様も、ご存じのはずです。妓女に想いを寄せることが、どれ程の罪に価するか。わたくしは兄として、弟にひとつ忠告をせねばなりません」
桜薫は不気味な笑みを浮かべる。
白桜も考えなしの王子ではないはずだ。この国において、妓女がどのような存在か。妓女を娶れば、民からどのような視線を浴びるか。
「お願いできますか桜薫。母のわたくしより、兄の貴方の言うことのほうが身に染みるかと」
桜薫と同じく、春玲も意味深な笑みを浮かべる。
もう言い逃れなど出来ないはず―。
宮の石段を上がると、番傘を閉じ柱に凭れさせると、待機をしている女官に取次を頼む。
「桜薫様。お久しゅうございます」
突然のおとないに、内官の桃苑が驚きつつ、揖礼をし出迎える。
「白桜様なら中に」そう言いつつ中に誘う。
久しぶりに再会した弟は、文机と対になった椅子に腰掛け、突然の桜薫の参内に目を丸くしている。
「兄上。お久しゅうございます」
白桜は椅子から立ち上がり、恭しく揖礼を捧げる。朗らかな口調だが、瞳には猜疑の色が浮かんでいる。
「ああ」桜薫は低く相槌を打つ。
どこから切り出そうか思案していると、桃苑が急須と湯飲みを手に姿を現す。桜薫は桃苑を一瞥すると口を開く。
「ありがたいが構わぬ。長居をするつもりはない。白桜様も、長居をご所望ではないはずだ」
「左様でございますか」
桃苑は白桜のみに、湯飲みを置き急須から茶を注ぐ。
「して、兄上は何用で王宮へ?
いつもの、母上へのご機嫌伺いですか」
腰を下ろし茶で口の中を潤した白桜が問う。
「いや。忠告をしに来た」
問いの答えになっているのかどうか、わからない言葉に白桜は「は?」と声を漏らし、柳眉を顰める。
「叔母上から、白桜様が妓楼の妓女に想いを寄せていると耳に挟み……。まさか…と。
叔母上も、大層ご心痛でございます」
丁寧だが、神経を逆撫でするかのような口振りである。
何故そのことを母上が―?
兄上が吹き込んだのか―?
まさか、都での行動を見られていた―?
耳を疑う言葉に目を見張る。ぞわりと、悪寒が走る。
「その狼狽ぶりを見ると、ただの奇聞ではないようだが」
挑発するような口調。
「母上に何を吹き込んだ!?」
白桜は思わず立ち上がる。その拍子に、椅子が大きな音を立てる。
桜薫の飄々とした、それでいて嘲笑うかのような態度に、白桜の声音は低く怒気が混じる。
「吹き込んだ!? 私が?」桜薫は鼻で嗤う。
「早とちりはよせ。
私は、叔母上の命のもとそなたに忠告をしに来ただけだ。可愛い弟が、色恋沙汰で泣くことがないように」
決めつけるような物言いに、白桜は奥歯を噛み締め、拳を痛いほど握り締める。
二人の間に一触即発の空気が流れ、桃苑はことの成り行きを固唾を呑んで見守っている。
「しかし、想い人が妓楼の妓女とは……。そなたも隅に置けぬな……。いつから色事に……?」
軽蔑するような瞳を向ける。
「何が言いたい」
白桜は桜薫と距離を詰める。
怒りが胸中で膨張する。あと少し、針で突けば破裂してしまうほどに。
「その妓女は誠に、そなたのことを好いて慕っているのか?
妓女なら男の一人や二人、
そなたは、妓女が持つ恋心は
梅花の何を知っていると言うのだろう―。
彼女がどのような思いで、客を取っているか―。
梅花を侮辱する発言に、怒りが暴走し破裂する。
考えるより先に、身体が動く。
桜薫の胸ぐらを引っ掴み、そのまま壁に押し付ける。重い音が響き、壁に押し付けられた桜薫は痛みで顔を歪める。二人の鼻先が触れあう。
「彼女の恋心が欺瞞だと!? 兄上に梅花の何がわかる!?
どのような思いで、妓女が客を取っているか!! 妓女が、妓楼の外でどのような扱いを受けるか!!
なにも知らぬ兄上が憶測のみで、
白桜の怒声が空気を揺らす。
「白桜様!!」桃苑が二人の間に割って入ろうとする。
しかし激昂し、周りが見えなくなっている白桜には、桃苑の声は届いていない。
白桜は肩で息をし、歯茎が見えるほど威嚇をする。
「私のことは、好きに言えば良い! だが、梅花のことを侮辱し軽蔑する者は、例え兄上であっても許しはせぬ」
低く冷ややかに言うと、白桜は掴んでいた手を離す。桜薫はその場に、崩れ落ちるように座り込む。咳き込みつつ、乱れた深衣の襟元を整える。
桜薫は荒い息を整えつつ、白桜を鋭い視線で睨み付ける。
「国の王子が妓女に想いを寄せるなど、どれ程の罪になるか承知しているだろうに。妓女が、宮妓ならまだしも王宮に正妻として入るなど、民が誠に
すれ違いざま、桜薫が囁く。
「それでも、私の想いに変わりはありません。
彼女を好いております。誰よりも、これ以上ない程に」
白桜は桜薫を真っ直ぐ見つめ、己の気持ちをはっきり吐露する。白桜の毅然とした態度に、桜薫は呆れたかのように頭を振る。
「少しは、私や叔母上の言うことにも耳を貸したらどうだ。今日のことが、叔母上の耳に入ればどのようなことになるか……」
恐らく、桜薫はすぐさま宮で起きたことを、春玲に話すだろう。しかし、もはや春玲に想い人が、梅花という名の妓女だと知られてしまった以上、どうなろうと構わなかった。
この気持ちが、棘の道になるのは承知している―。
「どうなろうと構いません。兄上、ご忠告ありがとうございます」
白桜は笑みを浮かべ、揖礼を捧げる。呆気に取られている桜薫を横目に、桃苑に桜薫を宮の外まで送り届けるように、と指示を出す。
「参りましょうか。桜薫様」桃苑は声を掛けると、桜薫を案内する。
先程よりも、雨脚を強くなったのか雨音が聞こえた。
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