心変

 白蓮が王宮に入る前日の晩。

 柊明は一人、渡り廊下に腰を下ろし夜桜を楽しみながら、紹興酒を嗜んでいた。幾ら、桜が満開になったとはいえ、花冷えかまだ夜風は肌寒い。

 柊明の側には、行灯に火が灯り、辺りをうすぼんやりと照らしている。

 

 ふと、横に視線を向けると、行灯の灯が一つこちらに向う。


誰だろうー?

この夜更けに―?

 眉を潜め、行灯を見つめる。

 こちらに近づくにつれ、闇夜に姿が浮かび上がる。


 行灯を手にして来たのは、他でもない白蓮である。

「白蓮」愛娘の名を呼ぶ。白蓮は、物言わず柊明の隣に腰を下ろす。

「明日。わたくしが、王宮に入ればお父様は、この邸で一人きりになります。お寂しいとはお思いになりませんか」

 白蓮は父の反応を窺うように、上目遣いで柊明を見る。

 白蓮の母親は、数年前に流行り病によって、命を落としている。それ以来、この邸には白蓮と柊明、そして梅月をはじめとした数人の使用人が共に生活している。


 白蓮の問いに、柊明は茶化すように笑う。

「では、私が寂しいと言えば、お前は縁談を諦めるのか?」

 白蓮は即座に頭を振る。

「ならば、案ずるでない。

 王宮に入ったとしても、今生の別れにはならぬ。王様も王妃様も、我が家の事情は承知故、会う機会を設けてくださるだろう。それに白桜様も、薄情な方ではない」

 柊明は、愛娘の頭に手を置く。

「白蓮。大きくなったな」


 柊明はあまり娘を甘やかすことは、これまでしてこなかった。特に左丞の地位に就き、妻が亡くなってからは。自分がしっかりと、娘を育てなければならないと、気を張っていた。

 大事に育てたたった一人の愛娘が、想い人の元に嫁ぐのだ。子どもは、親の手から簡単に離れてしまう。共に暮らした年月を思うと、途切れることのない愛しさと若干の寂しさに手が動いた。


 白蓮が幼い頃と同じように、頭を撫でつつ口にする。

「まさかお前が、王族に嫁ぐとは……。夢でも見ているようだ。

 お母様も喜んでいるだろう」

 柊明は天を仰ぐ。

「お父様」白蓮は柊明をじっと見据える。

「わたくしは、必ず白桜様をお支えいたします。

 王族の妻という、立場に恥じぬように」

「そうか……」

 白蓮の毅然とした物言いに、柊明は娘の成長を実感すると同時に、幸せを切に願い思わず泣き笑いの表情になる。


 同時刻。

 白桜は釈然としないまま、宮にて思いを巡らせていた。

 春玲に忠告された瞬間から、気持ちに迷いが生じている。


 このまま、白蓮との縁談を受けても良いものなのか。そのことで、梅花を傷つけることになりはしないか。そもそも、自分は白蓮と梅花をどう思っているのか。


 横には桃苑が控えている。

「万が一、私がこの縁談を白紙に戻したらどうなる」

 桃苑の反応を待たず、白桜は俯き口を開く。

「自分の気持ちが分からない。

 頭では、白蓮を正妻に娶った方が、国が安泰になると理解はしている。この国の王子としての定めだとも。父上も母上も、それを望んでいらっしゃる。

 だが……縁談を受けることで、梅花を傷つけてしまうのではないかと思うと、息が詰まりこの場から動けなくなる。

 私からの文が途絶え、その上白蓮を娶ったと都で噂が広まれば、いやおうなしに梅花は私の正体を知るであろう。梅花が、傷つき悲しむ姿を私は見知りたくない」

 白桜は、苦しげに自分の胸中を吐露していく。

 梅花を取るか。白蓮を取るか。白桜の気持ちは、振り子のように揺れ動く。


 己は思ったより、臆病だと思い知る。

 要するに怖いのだ。梅花が己から、離れてしまうことが。梅花に関する、足掛かりがなくなってしまうことが。


 白桜の吐露した胸中に、さほど驚くこともせず桃苑は静かに切り出す。

「万が一、縁談を白紙にお戻しになれば、お嬢様を傷つけることになりましょう。それだけではなく、左丞である柊明様はこの縁談を掛かりとし、更なる官位に就くことをご所望のはず。お嬢様が王妃に即位なされば、柊明様は外戚となりますから。国政により関わりたいと、ご所望されるはず。

 愛娘の縁談が、白桜様のお心変わりで白紙になれば、柊明様は朝廷に圧力をかけてくるやもしれません。

 縁談をお受けするにせよ、白紙にお戻しになるにせよ、じっくりお考えください」

 桃苑は“縁談を受けろ”とも“白紙にしろ”とも、どちらも言わず宮を後にする。

全ては白桜様のお心次第―。


「お嬢様。お気をつけていってらっしゃいませ」

 翌日の巳の刻(午前十時頃)。白蓮の邸の庭では、数人の使用人が彼女を見送っていた。

 顔合わせは、午の刻(正午頃)に予定されている。

 空は快晴で、満開の桜が良く映える。

 庭には、輿が二丁用意されている。柊明が乗る輿には柊が描かれ、白蓮が乗る輿には水面に浮かぶ蓮が描かれている。


 使用人に見送られ、二人はそれぞれ輿に揺られ王宮へ向かう。輿の周りには、桜月の命によって兵部と衛尉の官吏が、護衛として付き王宮まで同行する。

 白蓮の輿の隣には梅月が、寄り添い歩いている。白蓮は白桜からの文を手にしていた。


「お嬢様。到着しました」輿が地面に付くと同時に、梅月が声を掛け出入り口の引き戸を開ける。

 白蓮は、身を屈めたまま輿から降りると、前を見据える。


 正面には大きな城門が聳え立ち、警備を所管する武官が仁王立ちで眼孔鋭く白蓮らを見据えている。

 王宮の荘厳な雰囲気に、さすがの白蓮も圧倒され、心臓が早鐘の如く脈打っている。

「白蓮。何をしている」圧倒されなかなか動こうとしない愛娘に痺れを切らしたのか、柊明が声を掛ける。

「ただいま参ります」そう口にし、手にしている白桜からの文をきつく握りしめる。

 緊張と興奮で声が裏返り、最初の一歩が踏み出せない。

「お嬢様。参りましょう。白桜様がお待ちです」

 梅月が白蓮の顔を覗き込む。白蓮は頷きゆっくり歩きだす。


 顔合わせは、桜月の御所・華葉宮かようきゅうにて行われる運びとなっている。

 白桜は桜月の横で、どこか居心地の悪さを感じていた。白桜の背後には、桜や牡丹などの草木と様々な鳥が描かれた屏風が備え付けられている。桜月の前には、春玲が鷹揚な笑みを浮かべている。

 三人の前に備え付けられた、大きな几には尚食の女官と光禄寺が用意した、趣味嗜好を凝らした料理と菓子が並べられている。

 昨晩、桃苑に進言されたことが、まだ引っかかっている。


 予定より若干早く、宮の外にいた内官が柊明と白蓮のおとないを告げる。

「中へ通せ」すぐさま、桜月が声を上げる。

 宦官が障子戸を開け、中へと誘う。

 柊明と白蓮は、強張った表情のまま姿を現すと、深々と揖礼を捧げる。

 顔を上げた白蓮は、想い人と結ばれる欣幸きんこうと面映ゆさから満面の笑みを白桜に向ける。

 白蓮の瞳は、宝石の如く輝きを放っていた。


違う。この場に、いなければならないのは白蓮ではなく―。

 白蓮の欣幸の笑みと瞳の輝きを目にした瞬間、違和感が白桜の胸を突く。

私はやはり白蓮ではなく―。


「父上。母上。

 申し訳ございません。」

 頭で考えるよりも先に、口を開く。

「白桜?」春玲が何事かと、名を呼ぶが聞こえてはおらず、深く頭を下げこう続ける。

「お嬢様との縁談を、お受けすることはできません。この縁談は白紙にお戻しください」

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