縁談

自分にとって梅花はどのような存在なのか―。


 白桜は内廷を歩きながら、桃苑から問われたことへの答えを思案し続けていた。白桜の背後には、桃苑だけではなく薫風宮に属している、女官や武官が伴っている。

 数日前に内廷に植えてある桜が開花し、薄紅の花が綻んでいた。王族や女官、内官の住まいとなる内廷と、政の表舞台である外廷。どちらも、様々な草木が植えられ、季節の移ろいと共に、色鮮やかな花を咲かせる。


そろそろ、あの答えを話さねば―。

「桃苑」立ち止まり名を呼ぶ。背後からすぐさま「なんでございましょう」と声がする。

 深呼吸をし、桃苑に向き合うと一拍置き口を開いた。

「そろそろ、そなたからの問いに答えねばと思うてな」

 桃苑は一瞬、息を呑むが微笑を浮かべゆるゆると首を振った。

「そのことでしたら、もうお忘れください。わたくしが、立場をわきまえ戯言たわごとを申し上げました」

 温和な表情の桃苑とは違い、白桜は真顔で言葉を紡ぐ。

「いや。それでは、私の気が済まぬ。

 結論から言えば、思案してみたが自分の気持ちが良くわからぬ。

 梅花をどう思うておるのか、どんな存在なのか……。ただはっきりしているのは、私は梅花のことを今より知りたい、更には梅花の知らぬものを見せてやりたい、ということのみだ。この気持ちが、どこから来てどこに向かうのか私には見当がつかぬ。色恋の感情なのかも」

 白桜は金春色の天を仰ぐ。頭上には、開花したばかりの桜の花。快晴の空には、名も知らぬ鳥が数羽円を描く。


 白桜が視線を天から、正面に移すと前方から一人の女人が、大勢の女官と武官を伴ってこちらへ歩いてくる。

 女人は、薄荷色の衣に薔薇色の裙を合わせ、肩から純白の披帛を流している

 衣の胸の辺りに、大きな鳳凰が金色の糸で刺繍され、背には牡丹が金色の糸で刺繍されている。更には裙と披帛、そして衣の袖には禁色である桜色で桜が刺繍してあり、絢爛豪華な出で立ちである。


 歩いてきたのは春玲である。春玲は白桜の前で立ち止まると、優雅に微笑む。

「母上」白桜をはじめ、背後に控えている内官や女官らも、恭しく揖礼を捧げる。

 桃苑ら内官は、揖礼を終えると顔を上げることなく、すぐさまひざまづき視線を下に落とす。宦官は、妃と目を合わせてはならない、という決まりが王宮内には存在する。

 宦官も妓女と同じ、卑しい存在なのである。


「都にいるか、宮で書を読んでいるかの、どちらかだと思いましたが……。

 あなたが、王宮内を散策するのは珍しいですね。

 丁度、薫風宮まで伺おうと思っていました」

 笑みを崩さぬまま、そう口にする。

「桜が開花したと、耳にしたものですから……。

 お話なら、今ここでお伺いいたします」

 春玲は頭上の桜の枝を見やる。

「もう七日も経てば、満開になるでしょう。

 話というのは、他でもないあなたの縁談のことです」

 “縁談”という言葉を聞いた刹那、白桜の胸が針につつかれたように微かに痛んだ。


 そんな息子の、異変を知ってか知らずか春玲は言葉を紡ぐ。

「王様が、祝言の日取りを決める前に一度、顔合わせをしてはとご高察です。

 幾ら幼馴染で顔見知りだとしても、正妻として娶るのなら、それ相応の手段を踏まなければなりません。

 特に此度は、規定の手筈を無視して、縁談に持ち込んだのですから」

 そこまで口にすると、笑みを消し表情を引き締める。


 通常、王子や国王が正妻を娶るには、まず王室が国中の未婚女性に、結婚を禁じる律令を出し、正妻に志望する女性は決められた期日までに、届けを出すことが求められる。

 その後、容姿や教養、家柄をなどを幾つかの、選考によりふるいに掛ける。


 だが今回は、初めから白蓮が正妻になる前提のもと、選考は行わない。

 白蓮が左丞の娘という申し分ない家柄と、白桜に思いを寄せていることから、規定の手筈を無視した運びとなった。


「七日後。顔合わせを行い、その日を境にお嬢様には、薫風宮の隣にある翠雨宮すいうきゅうにて生活をしていただく所存です。

 正妻になる前に、様々な教育が必要になります。

 関係各所には、既に通達してあります」

 王族の妃になる者は皆、一定期間妃に必要な礼儀作法など教育を受けることが定められている。

 

 王族の婚姻に関わる機関は、王族の衣食住を司る殿中省でんちゅうしょう、王族の戸籍や婚姻を所管する宗正寺そうせいじ、婚礼の儀を司る大常寺だいじょうし、王族や上級官吏の衣服や飾り物の製作を行う少府監しょうふかんなど多岐にわたる。


「白桜。一度、お嬢様に文を書いては?

 顔合わせ云々のことは、内官が認めるとしても、お嬢様もあなたからの文を待っていると思いますよ。

 好いている殿方からの、文ならば尚のこと」

 穏やかな口振りとは裏腹に、有無を言わせぬ迫力が見え隠れし、白桜は微かに息を呑んだ。

「母上の仰せの通りにいたします」

去り際、春玲は思い出したかのように口を開く。

「此度は、先日のように都にお逃げになるのはお止めください。あなたの気持ちが、どこに向かおうとこの縁談は、“なかったこと”にはなりません。

 桃苑。白桜が、王宮から出ぬよう見張りをよろしくお願いしますよ」

 低い声で忠告を口にする。


 己は信頼をされていないと見える。


 桃苑は、体勢はそのままに「は!」と短く返事をする。

この痛みはどこから来るのだろう―。

 去っていく春玲の姿を見送りながら、白桜は胸の痛みが針を刺すようなものに、変化しているように感じていた。


 春一番か、桜が開花する時期とは思えない程の、強く冷たい風が吹き身を小さく縮こまる。


白桜が白蓮に認めた文は、桜月が縁談の詳細を認めた文と共に、内官によって白蓮の邸へ届けられた。

「お嬢様! 白蓮お嬢様!」

 渡り廊下を速足で歩く、足音と共に梅月の溌剌とした声がしたかと思うと、勢いよく部屋の障子が開いた。

「白桜様から文にございます」

 まるで自分のことのように、満面の笑みを浮かべ梅月に文を渡す。

「白桜様……から?」確認を取る白蓮に、大きく頷いて見せる。

 梅月の笑みに釣られ、白蓮も満面の笑みを浮かべ、急かすように紙縒こよりと礼紙を外し文を開く。

 

 文は二種類あり、一つは縁談を正式に進めることに始まり、祝言の日まで妃に必要な教育に精進して欲しいこと、生活に必要なものは全てこちらで用意をする故、白蓮は身一つで王宮に入って欲しい旨が内官の文字で、形式的な文章で認められていた。

 もう一つは白桜からで、己が君主に即位した暁には、白蓮には王妃として、国と民を支えてもらいたい旨が認められていた。


 白蓮は文を胸に抱き瞳を閉じる。頬が紅潮し胸が高鳴る。

わたくしが王妃となった暁には、必ず白桜様をお支えいたします―。

白桜様と共に生きていけるのならば、わたくしは如何様にも―。

「おめでとうございます。お嬢様」

 涙声に目を開けると、梅月が膝を付き揖礼を捧げていた。

 幼少の頃より、この時を待ち望んでいた。想い人と結ばれ、その人の妻となることを。懸想けそうともいうべき、おぼろげな感情は今確かに実を結んだのだ。

「ありがとう。梅月」つられて涙声になり、泣くまいと笑みを浮かべ泣き笑いの表情になる。


 この邸で生活できるのも後七日。

 桜が満開になる頃、慣れ親しんだ邸を出、王宮へ入り王族に嫁ぐ。一度、王宮に嫁いでしまえば、滅多なことがない限り、この邸へは戻れない。

 幾ら、左丞である柊明とは言え、愛娘においそれと会うことは難しくなる。

「お父様も、私が王宮に入ればお寂しいでしょうね……」

 涙声になるのは、懸想が実ったのみではない。

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