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 梅花が若様に仕えている男性に文を渡してから数日後。

 

 再び男性が、梅花に文を渡すために月花楼に姿を現した。男性は、最初に訪れた時とは違い、梅花に会って楽しんでいくのではなく、楼主に「梅花という妓女に渡して欲しい」と文を渡してすぐ身を翻す。


 楼主に預けた文は、奉公人の少女によって梅花が生活している自室に届けられる。


 その日、客の相手を終えた梅花が自室に戻ると、几の上に置いてある文を見つけそっと近寄る。


 梅花の髪には、若様から贈呈された簪が挿さっている。

 芽李花と華琳は、まだ客の相手をしているらしく、部屋は梅花ひとりである。

 文を手に取り、裏返してみるが、裏に小さく梅花の名が記してあるのみで、差出人の名はどこにも記されていない。

 梅花は慎重に礼紙を外し文を開く。


 文には、送った簪を気に入って貰えて嬉しかったことにはじまり、訳あって自分の身分や名は明かすことは出来ないが、それでも梅花が何を好いて何をいとうているのか、これから梅花のことを良く知りたいといった旨が認められている。


 褻衣に着替ることも、化粧を落とすことも忘れ、たった一枚の薄桜色の麻紙に認められている事柄を、何度も何度も目に焼き付けるように読み直す。

 客の相手をした後は、湯浴みをするのが通例だが、今は若様からの文に目を奪われている。


 “自分の身分や名を明かすことは出来ない”という下りが、引っかかるが貴族の殿方なら妓女に知られたくない秘密の一つや二つ、あるのは当然と思い気に留めずにいた。


「誰から?」背後から掛けられた声に、飛び上がりそうになる。

 慌てて文を畳み、背後を振り返る。

 背後には、芽李花と華琳が微笑を浮かべていた。

 梅花は、素早く文を几の上に置くが、二人の目にはその行動が余計に不審に映ったらしく、再度「誰から?」と尋ね詰め寄る。

「だから……」そう口にしたまま、うつむく梅花に華琳は微かに声を漏らし笑う。

「もしかして……。この間の休日に、助けてくれた方?」

 梅花の不自然な反応に、芽李花は顔を覗き込み訝し気に問う。梅花は顔を上げ、観念したかのように微かに頷いた。

 

 その刹那、華琳が歓喜の声を上げる。

 梅花は渋々といった体で、几の上に置いた文を二人に見せる。

 二人は、顔を近づけ文面を食い入るように見つめる。

「なんで、名前と身分が明かせないの?

 ちゃんとした人なら、明かせばいいのに」

 華琳が顔を上げ不満そうに言う。華琳の意見は至当である。

「私と若様は、置かれている環境が違うと思う。だから、明かせなくて当然」

 梅花はあっけらかんと言い、笑みを浮かべる。

 梅花にとって、若様が何者かより自分に返事をくれたことのほうが重要なのだ。


「若様か……。

 こんなこと梅花には言いたくないけど……」

 梅花の言動が、浮かれているように見えたのだろうか。それまで、文面を凝視していた芽李花が顔をあげ梅花を見つめる。真っ直ぐな視線に、梅花の笑みがすっと消える。

「いくら助けて貰ったとしても、若様の素性か分からないなら、これ以上関わらないほうが賢明だと思う。

 梅花も知っているでしょう? 妓楼に来て妓女と関わる人は皆、真の色恋など求めていないことぐらい」

分かっている。ここは妓楼ー。

妓女は客の、色事の捌け口でしかないー。

客が求めるのは一夜の夢ー。

 ぐうの音が出ないほどの正論。


「芽李花姉さん。

 私は別に、若様とどうこうなりたい訳では……。ただ……」

 胸に覗かせる感情が、どういうものか説明がつかず下を向いたまま口ごもる。

「まぁ好きになさい。ただ、傷つくのはあなた。それだけは覚えていて」

 芽李花は、深くため息を吐くと、髪に挿していた簪を抜く。芽李花の長い漆黒の髪が、背中まで落ちる。

 そのまま、襖を開け出て行ってしまった。


「返事書いたら?」華琳が文を手渡す。

 呆けた表情の梅花を横目に続ける。

「芽李花姉さんはああ言ったけど……。別に、妓楼のお客さんに文を出すことは、おかしなことでもないし……。

 それに誰かのことを知りたい、親しくなりたい気持ちは誰しも平等。もちろん、梅花姉さんも」

 自分は若様の人となりを、知りたいだけ……。

 そう思案すると、少しばかり腑に落ちる。

 

 その日を境に五日と開けず皆が寝静まった後、すずりに墨を擦り文を認めるのが日課になっていた。

 相変わらず、芽李花は良い顔をしないが、かと言って苦言を口にされることもないので、気にしないようにしていた。


 若様からの文には相変わらず、名と身分は明かされていないが、梅花の知り得ない都の様子や自身の好きな物事から苦手としている事柄に関すること、更には政に関することが事細かに認められていた。

 梅花も文に、妓楼での生活や妓女の間で流行っていること、自分が何を好いて何を厭うているのかを認めた。


 そうして、文のやり取りを重ねていく度、もう一度会って話をしたい、叶うのなら若様が何者か正体を知りたい、という欲求が生まれるのは当然であった。


政に関することが、認められていたということは若様は、王宮に勤める官吏なのだろうか―。


 しかし、文にも一向に正体を明かす気配がないこと、更には若様自身が妓楼に姿を現さず、仕えている男性が毎度文を届けに来ることから、自分勝手な欲求を認めても良いものか、見当が付かず筆が進まなかった。


「白桜様」背後に控えている桃苑に声を掛けられ、白桜は文から顔を上げ桃苑の方を見る。

 文は数日前に梅花が認めたものであり、普段は文筥ふみばこに保管しているが、時折こうして取り出しては読み返している。

 白桜が腰を下ろしている背後には、大きな丸窓があり外に植えられている桜の木から伸びた枝は暖かな陽を浴び、蕾が綻びかけている。


「何か変わったことでも、認められておりましたか」

 桃苑は神妙な顔をして問うが、白桜は「いいや」と首を振る。

「そろそろ。ご自分のお立場を、認められてはいかかです?

 我名は白桜。この国の王子であり、次期王位後継者で幼馴染のお嬢様と、縁談が組まれている身だと。いつまでも、“貴族の若様”で誤魔化しは効かぬかと。

 文の主である、妓女も白桜様の正体をお知りになりたいのでは?」

「それでは、梅花を悲しませてしまうであろう?

 私はできるだけ、文の中では“王子白桜”ではなく“何者でもない己”でいたいのだ」

 優しいが悲しげな笑み。


 王族として、何不自由ない生活を送る代償として、己の将来が意志とは関係なく決められ、将来には重圧が付き纏う。

 桃苑は白桜がどうあがいても、運命を変えることが出来ないのだと思い知る度、微かに胸が痛む。


「白桜様がお優しいのは充分承知しております。

 ですが、その優しさは余計に、妓女を傷つけてしまうやもしれません。妓女だけではなくお嬢様も同等に」

「そうだな……」

 白桜の生返事に、桃苑は真意を確かめるため一つ問うてみることにした。

「白桜様にとって、この妓女はどのような女人なのでございましょう。幾ら都で助けた縁があろうと何故、白桜様は気にかけていらっしゃるのでしょう。

 白桜様の瞳には、この女人がどう映っているのでございましょう。

 わたくしからの問い、お答えいただけませんか」

 真っ直ぐな瞳が白桜を射抜いた。

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