混在

 行灯の火が一つしかない、薄暗い部屋の中。

 一組の男女が、寝台に腰を下ろしなにやら話し込んでいる。

「白桜様が月花楼に?」月白げっぱく色の襦裙を身に纏った芽李月は眉を顰める。

「芽李月ならなにか知っているんじゃないのか?」

 桜薫が背後から抱きしめつつ問う。低い声と息遣いか耳に届き、芽李月は微かに息を呑む。

 桜薫の手が、芽李月の絹のように柔らかく長い髪を撫でる。桜薫の手が、ゆっくりと動いていく。芽李月がびくりと、肩を震わせる。

「まんざらでもないくせに……」

 芽李月の反応を、都合よく勘違いした桜薫はそう言い鼻で笑う。


 こうして、耳元で囁かれる度、身体に触れられる度、言いようのない嫌悪感が芽李月を支配する。

 桜薫の自分に対する言動が、純粋な恋心ではなく単に己の欲望を満たしたいがためだと、知っているからだろう。


「例え、白桜様がこちらにお越しになっているとしても、わたくしといたしましては他のお客様のことを勝手に話すわけにはいきません。

 それが、桜薫様のご所望だとしても」

 嫌悪感を露わにせず、淡々と答える。

「釣れないなぁ……」そう呟くと、手慣れた手つきで帯を解いていく。

「そういえば……。ひとり、客を取っていない妓女がいるのではないか?

 受付の札が、そう示していた。確か…梅花と……」

 芽李月は大きく目を見開く。

 

 月花楼の受付には、在籍している全ての名が書かれた札が一人ずつかかっている。

 客は受付で、馴染みの妓女が既に客を取っていることを示す、札が裏を向いていないことを確認し、楼主に名を告げる。

 梅花のように一定期間、客を取らない場合は札が受付の外に出され、客に知らせる。

 桜薫は受付で、梅花にの名を目にしたのだろう。


「あの娘は……!」

あの娘の存在は気付かれてはいけない―。

桜薫様には絶対に―。

 弁解のため後ろを振り返ろうと、身体を捻るとその隙を突いて寝台に押し倒される。

 雰囲気に飲まれまいと起き上がろうとするが、強い力で手首を掴まれているため身動き一つ取れない。

「離して頂けますか。桜薫様」

 芽李月の言葉に、桜薫は鼻で嗤う。

「白桜のことを教えてくれるなら、今日は諦めるとしよう。もちろん、梅花という妓女に関しても」

ずるい―。

この方は、私か話すはずがないと踏んでいる―。

 芽李月は唇を噛む。

「そのようなこと、いたしかねます。話すことはできません」

 そう口にした刹那、桜薫は舌なめずりをし己の欲望に身を任せていく。


 部屋の障子を開けると、今にも一雨きそうな曇天が顔を出す。葉桜がら新緑の季節が移り替わると、途端に雨や曇りの日が増えた気がする。


黴雨はまだ先のはずなのに―。

 梅花は曇天の空を見上げながら、ため息を一つ。


 時刻は未の刻を少し過ぎたころ。

 妓楼の一階は、幾人かの奉公人と梅花の他には人気がなく、ひっそりとしている。

 現在、客をもてなす部屋の掃除の真っ最中であり、休憩と換気を兼ね障子を開けると、曇天が目に入った。

 部屋には、机と屏風しか家具がないため、殺風景に見える。

 

 謹慎処分が延長になってから、梅花はだた部屋に籠っているのではなく、奉公人と共に妓楼内の掃除をしたり、客に出す料理を盛りつけたりといった裏方に回っている。

 

 梅花が白桜と起こした事柄については、妓楼に在籍する妓女全てに緘口令かんこうれいが敷かれているため、追及されることはない。

 

 しかし、いくら緘口令が敷かれているとは言え、そこは奇聞を好む女人が共同生活を送る妓楼という場所。

 奇聞はすぐさま、妓女たちの間を駆け巡り、梅花は好奇の目に晒されている。

 

 好奇の目から逃げるように、裏方としての仕事を黙々とこなしていく。

 

 風に乗って、雨の匂いが混じる。本当に、一雨来るかもしれない。

 梅花は障子を閉め、掃除を再開する。

 しねければならないことがあると、ほっとする。手を動かしていれば、何も考えなくても済む。


 芽李月からは、“逃げずに自分の気持ちに向き合って欲しい”と、言われているが、自分が白桜のことを好いていると認めれば、なにかが変わり壊れてしまうような気がして、認められずにいる。

 

 このまま、気持ちに気付かなければ良い。気持ちに見て見ぬふりをすれば、なにも変わらず今まで通り過ごすことが出来る。そんな、よこしまな考えまで浮かぶ。

 自分がここまで、色恋に関して臆病だとは思わなかった。

 気持ちに気づき認めるのが怖い。認めたら最後。二度と恋心を知る前の自分には、戻れなくなる。


 梅花の胸の内を察してなのか、白桜からの文もぱったりと途絶え足掛かりが何もない、宙ぶらりんの状態である。


あれだけの騒ぎを起こしたのだ、もしかしたら嫌われてしまっただろうか―。

 そう思うと手が止まり、胸に痛みが走る。


 梅花は勢いよく、頭を振り考えを打ち消し手を動かす。


 掃除を終えると、階を上がり自室に戻る。

 自室では、芽李花と華琳が夜見世の為に化粧をし襦裙を着替えている。


 梅花は二人の邪魔にならないように、部屋の端で腰を下ろす。

 芽李花は、まるで梅花を避けるかのように、支度を整えると足早に部屋を後にする。


 自分が蒔いた種とは言え、芽李花の軽蔑するかのような態度に、深くため息を吐く。


「梅花姉さん」

 遠慮がちに、華琳が声を掛ける。澄んだ瞳が、梅花をとらえる。


 華琳は、とき色の衣に、御空みそら色の裙を合わせ、髪を二輪に結い、金の歩揺を挿している。

 衣には、枯野色の糸で唐草模様が、裙には白い糸でかりんの花が刺繍されている。


 淡い色は、彼女の可憐な雰囲気に良く似合う。


 華琳は芽李花がいる手前、気になりながらも進んで声を掛けることが出来なかったと話す。

「あのね。

 芽李花姉さんやここに居る他の人は、梅花姉さんのことよく思わないだろうけど、わたしはそうは思わない」

 思ってもいない言葉に、梅花は瞬きを繰り返す。

「だって梅花姉さんは、別に悪いことをしている訳じゃないもの。

 ただ、たまたま想いを寄せている方が、王族で更には王位継承者だっただけ。いいじゃない、想い人が王族でも。

 誰かに想いを寄せることは、誰でもあるのに相手が王族だからって、色々言うのは違うと思う」

 彼女にしては珍しく、微かに怒りを含んだ口調は、奇聞に翻弄され梅花を好奇の目で見ている、他の妓女たちに対して苦言を呈するものである。


「それだけ伝えたかったの。

 私は、梅花姉さんには上手くいってほしい」

 華琳はそういうと、笑みを浮かべる。


 梅花が礼を述べると同時に、襖の外から「ご指名にございます」と声が掛かる。

 華琳は、「行ってきます」と声を掛け、笑顔で手を振り部屋を後にする。


芽李月さんだけではない―。

華琳も私の味方でいてくれる―。

もしかしたら気持ちを認めても、それ程状況は変わらないのかもしれない―。

そうならば―。

 華琳の笑みと言葉は、梅花の凝り固まった感情を微かに解きほぐしていく。


 一人になった梅花は、そっと部屋の障子を開ける。

 昼間の曇天が嘘のように、煌々と満月が輝いている。


自分から動かなければ始まらない―。

まずは、先日のお詫びをしなければ―。


 梅花は、真っ白な紙を引き出しから取り出し、墨を擦り筆にたっぷり含ませる。そして、“白桜様”と想い人の名を認めていく。

 想い人を思う感情が、筆を動かしていく。

 この文を認めても、王宮まで届くかどうかわからない。それでも、筆をらずにはいられなかった。

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