遂行
話は年明けから四・五日たった頃に遡る。
その日の昼下がり。白蓮は邸の自室で、火鉢に当たりながら暖を取っていた。
年明けの直後の神聖な雰囲気は消え、普段の日常が戻ってきている。
「お嬢様」自室の障子が少し開けられ、梅月が声を掛ける。
「文が届いております」白蓮の反応を待つことなく、そっと一通の立て文を自室の障子の直ぐ傍に置き、障子を閉める。
白蓮は立ち上がり、障子の前まで移動すると立て文を手に取る。礼紙には、近いうちに白蓮を妻に迎えると、思っている吏部尚書の息子の名が書かれている。
白蓮は紙縒りを解き礼紙を外すと、文筥に入っている春玲や桜薫からの文を礼紙で包み、再度文筥に戻す。
吏部尚書の息子からの文は、開くことなく火鉢に入れる。文が火種となり、燻り煙が上がる。白蓮は煙を外に逃がす為に、そっと障子の隙間を開ける。
縁談の話がまとまってから、度々文が届けられている。だが、白蓮は一度も開くことをせず、こうして火鉢にくべている。
幸い、今は火鉢で暖を取っている。故に、梅月や柊明に訝しがられることはない。
梅月や柊明には、縁談を受けると言ったが、白蓮にそのつもりはない。全ては、自分たちの計画から桜月や柊明らの眼を背けさせるための、目くらましにすぎない。
今回の自分たちの計画は、謀反とも取れるものである。謀反だろうとなんだろうと良いのだ。自分の願いが叶うならなんでも。
文が届いてから数日後。白蓮は桜薫と共に、都の路地に来ていた。計画に使用する、麝香豌豆を買い求めに来たのだ。
麝香豌豆は異国で栽培されている植物。故に、手に入れるには異国のものを専門に商う店で買い求めるしかない。天香国では、そのような店は都の大通りから一本路地に入った所にある。
異国のものを取り扱う店は、密輸したものを高価な値を付けて販売していることも多いため、人目に付かぬ場でひっそりと商いを続けている。
路地を歩く人の姿はまばらで、ひっそりとしている。日が当たっているはずなのに、路地に日差しが遮られ思ったほど暖かさが感じられず、白蓮は羽織の襟を合わせぶるりと身震いする。
隣では、桜薫がいつも通りの漆黒の深衣を身に纏い、平然と歩いている。
ふとある建物の前で足を止める。白蓮もつられて足を止める。
目の前には、こじんまりとした平屋の店が一軒。看板も何もないため、一見ここが店だとは気づかない程である。
桜薫は臆することなく、建物に足を踏み入れる。白蓮もそれに続く。
店内では
「桜薫様。今日はなにをお探しで?」
男性が桜薫に擦り寄り声を掛ける。
「麝香豌豆を探している。金に糸目は付けない」
桜薫の言葉に、男性は破顔し眼を細める。桜薫はちらりと白蓮の様子を窺う。
白蓮は物珍しそうに、異国の品物を手に取り眺めている。見るもの全てが見たことがないものばかりである。
男性が品物を出してくれている間、桜薫は白蓮に近づく。
「珍しいのか」熱心に眺めている白蓮に、背後から桜薫が声を掛ける。白蓮がこくりと頷く。白蓮の反応に、意外そうな顔をする。
「お前程の家柄の娘なら、異国の品を見慣れていると思ったが……。違うのだな」
なんとなく、家柄を
確かに家によっては、異国のものに触れる機会もあるのだろう。だが生憎、白蓮の家は両親とも異国のものに関心がなく、触れる機会がないままである。白蓮は己が、自国以外について無知だと自覚している。天香国の隣に、どのような国があるのか。世界は、どれ程広いのか。
ふたりの歯車が嚙み合わないような、雰囲気を知ってか知らずか男性が、お目当ての品を手に戻って来た。
「中身をお確かめください」男性は手にしている、紫檀色の巾着を開け中身を見せる。中には、小さな種子がぎっしりと入っている。
桜薫は喜悦した笑みを浮かべ、何度も頷く。桜薫は深衣の袂を探り、光沢のある
「桜薫様。これは……!」
男性が眼を瞠り、巾着と桜薫の顔を見比べる。男性の掌に、ずっしりとした金子の重みが伝わってくる。いくら麝香豌豆が高価だとはいえ、流石に貰い過ぎである。
「釣りはいらぬ。貰っておけ」
桜薫の言葉に男性は、暫く呆けた顔をしていたがそのうち、まんざらでもないといわんばかりに大事そうに懐に仕舞込む。
ふたりのやりとを白蓮は、半ば驚愕した目で見ていた。
確かに、金に糸目は付けないと桜薫は言った。しかし、手持ちの金子を全て渡すなど、誰が予想しただろう。
一方で白蓮には、これが桜薫のこれ以上ない、決意に思えてならない。必ず、此度の計画を成功させる。そのためならば、どれだけ金子が掛かろうが、誰が犠牲になろうが構わない。そう、言われているようである。
改めて、桜薫の野心的な性格を思い知る。
男性の「今後ともご贔屓に」という声を背に、ふたりは店を後にする。
その日の晩。桜薫の姿は、春玲の宮にあった。
「伯母上。こちらにございます」
几の上に購入した麝香豌豆の種が入った巾着を置く。春玲は巾着を手に取り、紐を緩める。掌に十粒ほど載せると、満足げに頷く。
「鴆毒のほうは」桜薫が問うと、春玲は立ち上がり鏡台の引き出しを開け、乳白色の高さ二寸(6センチ)ほどの陶器を取り出す。
陶器を几の上に置いた春玲は腰を下ろし、陶器の蓋を取る。
桜薫は中身を零さないように、慎重に陶器を手に取る。そして、片手で扇ぎ匂いを嗅ぐ。鴆毒独特の甘い匂いが、鼻腔をくすぐる。
「兵部の官吏に頼み、分けてもらいました。勿論、無月派の。
私が“王室を変えるためだ”と、述べたら快く」
まさか、自分が渡した鴆毒が君主と王子の想い人を、手に掛ける為に使われるなど官吏は夢にも思わないのではないか。
桜薫の胸中などお構いなしで、春玲は心底嬉々として声を弾ませる。
そのような叔母を、桜薫はこの時はじめて、怖いと思い慄然とする。だが、遂行しようと目論んでいることは、桜薫とて何ら変わりない。
「鴆毒はこちらで、料理に仕込みましょう。良いですね」
春玲の言葉に、桜薫は「お任せいたします」と賛同する。
時は満ちた。後は、成功を祈るのみである。
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