第15話 浅見先輩との高校時代②
──ハンドボール部に入部するのはかなりの勇気が必要だった。
たった一ヶ月入部が遅れただけだが、高校生にとってはその期間が死活問題。
スタートダッシュは、何事においても重要だ。
浅見先輩の様々な計らいがなければ、俺はあっという間に孤立していたと思う。
そんな苦労を経てやっと馴染んだハンド部だったが、中学時代を知る人たちからは案の定止められた。
姉は「何考えてんのよ」と叱咤し、バスケ部の元チームメイトからは「それならうちに入れよ」と提案された。
だが俺は、たとえ試合に出ることができなくてもこの部活に居続けることに決めていた。
「君、試合に出られないんだってね」
ある日、激しい運動を控えて筋トレをしている俺に、浅見先輩が声を掛けてきた。
浅見先輩がハンド部に誘ってきたといっても、この部は一年生だけで二十人近く在籍しており、全体では五十人を越える。
その殆どが浅見先輩に声を掛けてもらっていたらしい。
ハンド部はサッカー部や野球部と違い、中学校には存在していないことが多い。だから積極的に誘わないと部員が入ってくれないと、他の先輩たちが話しているのを聞いたことがあった。
そんな状況下でこれほど部員が集まったのは、間違いなく紅一点のマネージャーである浅見先輩の力だ。
高校一年生の夏に途中入部をしてマネージャーとなったらしいが、ハンド部にとっては大きな財産だと評されている。
そんな人だから、浅見先輩の中で俺という人間も大した印象に残っていないだろうと思っていた。
その胸中を伝えると、浅見先輩は面白そうに笑った。
「すごい印象に残ってるよ。仮入部の期間が終わってから誘ったのは、君一人だもん」
そう言ったあと、浅見先輩は俺に訊いた。
「なんで、ハンド部に入ってくれたの?」
「……先輩に誘われたからですよ」
俺が答えると、浅見先輩は目を丸くする。
「それだけ?」
「それが重要だったんです」
バスケに未練がないと言ったら嘘になる。
敵の重心をハイスピードで揺さぶり、最後には繊細なタッチを求められるシュート撃つ、スリリングな世界。
たが体育館内の競技は余計に膝に負荷が掛かるため、ハンド部以上に望みが薄い。
どの運動部でも、動くとすぐに膝を痛めてしまう自分を必要としてくれるところなんて一つもない。
スタメンになることなどできず、それどころか練習にも参加できないかもしれない、ただの帰宅部。
そんな何者でもなくなった俺を、浅見先輩は誘ってくれたのだ。
もちろん、そんな感謝は自己満足に過ぎない。
浅見先輩は俺の状態を分かった上で誘ってくれた訳じゃない。
本当は後悔だってしているかもしれないから、この気持ちは胸にしまっておこうと思っていた。
「そっか。……じゃあ、面倒みてあげないとね」
だから俺は浅見先輩のその言葉を、気まぐれによるものだろうと本気にしなかった。
だが俺の予想とは裏腹に、次の日から本当に浅見先輩は空き時間に筋トレを手伝ってくれるようになった。
二リットル入る空のペットボトルに砂を詰めて、数分持ち続ける地味でキツいトレーニング。
いくらトレーニングをしたところで、スタメンになれる訳でもないのに。
引退するまでに試合に出られるかすら分からない俺に、浅見先輩は隣で一緒にいてくれた。
最後の大会を一週間後に控えた時、浅見先輩は「ずっと訊きたかったんだけどさ」と切り出した。
「目指すものがないのに、なんで君は頑張れるの?」
それは、少なからず自分でも感じていたことだった。
だからこそ、俺は力強く答えた。
自分に言い聞かせるように、自分は間違っていないと思うために。
「目指すものがないから、見つけるために頑張ってるんですよ」
本気でプロを目指していたこともあったが、中学引退試合を最後に諦めてしまった。
新しい目標がないと、自分が駄目になっていく姿を容易に想像できてしまう。
そのことは、高校生活の最初の一ヶ月で痛感した。
だから俺は、今後のために目標を探さなければならない。
浅見先輩が声を掛けてくれなかったら俺は自堕落な高校生活を送っていたことだろう。
浅見先輩に報いるためにも、俺は目標を欲していた。
世間には明確な目標がなくても、器用に生きていける人は沢山いる。
だが自分がその類の人間じゃないことは、自分でよく分かっている。
だから、俺は──
◇◆
「……くそ」
夢から覚めると、俺は思わず天井を睨み付けた。
思い出さないようにしていても、夢に出てこられては防ぎようもない。
あの時恐れていたものが現実になろうとしていることに、唇を噛む。
俺は新しい夢を見つけられそうにないと一旦諦めた。
夢が見つかった時に、それを叶える手段はなるべく多かった方がいいからとなるべく有名な大学を目指した。
大学では見つかるだろうと思っていた夢は未だ何処にもなく、アテもない。
もしかすると、今後ゆとりのある生活を送っている内に見つかるかもしれない。夢を叶えるために纏ったお金が必要な時、それを理由に諦めることは避けたい。
そのためにはワークライフバランスと待遇の良さを両立させた大企業への就職する必要がある。
だが結局、大企業へ就職できたとしても、俺は目先の仕事や出世争いに忙殺されて夢を見付けられない気がする。
中学時代まで身が焦がれるほど抱いていた夢は、もう見つけられない。
そう自分に初めて言い聞かせた時、ストンと腹落ちしたのだ。
ああ──夢がある人が、特別なだけなんだ、と。
もう、割り切るしかない。そうすれば、いくらか気楽になるだろう。
普通の人より少しでも良い生活をするという目標だけで充分じゃないか。
そんなモチベーションで、ただの内定欲しさで就活をしていて、倍率の高い企業ばかり受けて。
数多くの企業から要らない人材として不採用を食らい、どうやら俺は自分で思っていたよりもずっと矮小な存在らしいと実感していた時に、路上で歌う砂月に出会った。
自分でも笑ってしまうくらい、卑屈な気持ちになった。
だがそんな中でも、何とか頑張ることができているのは──
不意に、カーテンが開く。
視線を向けると、浅見先輩が振り返ったところだった。
見返り美人とはよく言ったものである。
先輩は既に軽くメイクをしていて、私服に着替えている。
「ん、おはよ。朝ご飯作り終わったから、丁度よかった」
「……先輩」
起きたばかりなので、声が掠れている。
何者でも無くなった俺を、最初に認めてくれた人。
部活、受験、就活。ずっと影で応援し続けてくれる人。
浅見先輩にとって俺は、きっと仲の良い後輩の一人に過ぎない。
だが俺にとっては、唯一無二の先輩だ。
不釣り合いな想いの強さも、先輩を見ていると虚しく感じることはない。
きっと誰でも、俺と同じ立場になると、こんな気持ちを抱いてしまうだろうと思うから。
俺を暫く眺めていた浅見先輩は、おもむろに口元を緩めた。
「ねえ、昨日からどうしたの?」
「え?」
「私のこと先輩って呼ぶの、久しぶりじゃん」
その言葉で、俺は思い返す。
大学でまた一緒に行動するようになった時、浅見先輩は「大学で先輩呼びは目立つから浅見さんって呼んで」と言ってきていた。
基本的に俺は浅見さんと呼び、そのまま数年経った。
だが未だに浅見先輩と呼んでしまう時があるのは、高校時代の先輩が記憶に強く残っているからだ。
それほど、好きでもあったのだろう。
認めるのは何だか癪で、俺はぶっきらぼうに返事をする。
「……呼んでないっすよ」
「嘘ばっかり。可愛くない後輩だねー」
「ほんとは?」
「可愛い!」
「いえーい」
俺は平たい声で喜んでみせて、再度布団に仰向けになる。
この立ち位置でも、俺は満足している。
……それでも。
視界に映る見知らぬ天井が、いつか見慣れた景色になればいい。
そんなことを考えてしまった自分に、思わず苦笑いを浮かべた。
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