第12話 俺と先輩と砂月

 砂月はもう一度息を吸って、今度は長く吐いた。

 どうやら俺の申し出は、砂月にとって深呼吸を促すほどのものだったらしい。


「え、私何でもするって言ったよね?」

「それ自分で言うやつ初めて見たわ」


 俺が思わずつっこむと、砂月が頬を膨らませた。


「なに、私そんなに魅力ない? 私くらい顔の良い人、ほんとに滅多にいないと思うんだけど」

「自分で言ってりゃ世話ねえよ……」


 自己肯定力が高いのも浅見先輩と同じ。

 とはいえ、浅見先輩の方がいくらか品がある。

 似ているところがある姉妹でも、当たり前だが別人だ。

 それが証拠に、浅見先輩が歌っている姿を俺は見たことがない。

 カラオケに行くのは好きらしいが、行く機会はあまりなかった。

 砂月がなにか言葉を返そうとしたところで、リビングのドアが開く。

 浅見先輩が入ってきたのだ。


「おかえりお姉ちゃん。ねえねえ、訊いていい?」


 浅見先輩を見るや、砂月は問い掛ける。

 だが今度の先輩は、キッパリと首を横に振った。


「その前に、砂月。何か私に言うことは?」

「え?」


 砂月がキョトンとした表情を見せる。


「家に入る時は、必ず事前に連絡をすること。家に一人でいる時は、キチンと施錠すること。これが合鍵を渡す条件だったはずよ」


 浅見先輩がニコリと笑う。

 なにも面白いことがあった訳ではないということは明白で、砂月の背筋がピンと伸びた。


「言うことは?」

「ごめんなさい!」


 砂月がガバッと頭を下げる。

 俺はそんな光景に思わず目を見張った。強情な砂月が素直に謝るとは、さすが姉というところか。

 浅見先輩自身の人柄によるところも大きいに違いないが。


「うん、よろしい。それで、訊きたいことって?」


 浅見先輩が問うと、砂月は遠慮がちに上目遣いをしながら言った。


「お姉ちゃんって、勇紀のこと好きなの?」

「え?」


 浅見先輩は目を丸くしたあと、クスクス笑いながら俺に視線を送った。


「君はどう思う?」

「なんで俺に訊くんですか、知りませんよ」


 照れ隠しで、思わずぶっきらぼうに返事をする。

 元憧れの人にこんなことを直接訊かれて平常な心持ちでいられるほど、経験を積んでいる訳ではない。

 砂月はそんな俺の反応を見ると、不満そうに口を尖らせた。


「まあ私と勇紀は、結構付き合い長いからね」


 浅見先輩はブラウンのハンドバッグを収納ラックに入れて、砂月に言った。

 結構長い付き合い。俺が高校一年生の時から知っているのだから、その言葉に間違いはない。

 俺の学年が上がる頃には浅見先輩は大学に進学していたので一緒にいる時間こそ限られていたが、離れてもラインなどで雑談を続けていた。

 ラインのおかげで浅見先輩が大学一、二年の時にどんな生活を送っていたかはある程度把握しているし、だからこそ俺も先輩と同じ大学を目指したのだ。


「その"付き合い"っていうのは恋人とかじゃないよね?」

「違うって」


 俺が代わりに答えると、砂月は眉を顰めた。


「勇紀は自信満々だけど、私からしたら分かんないんだもん。だってお姉ちゃんの家に、二人で来たんだよ? この時間に!」


 砂月がビシリと時計を指差すと、時刻は二十三時半を示している。店を出てから浅見先輩の家に着くまで、コンビニ寄ったりとしていたせいだ。

 そしてこの時間から女性の部屋にお邪魔するということは、普通ならそう・・なることもあるかもしれない。

 だが、俺と浅見先輩はそうはならない。


「いや、俺たちそんなんじゃないから」


 俺がそう言うと、砂月はまだ納得できないという表情を見せるも、一旦口を閉じた。

 ──就活の合間で、金曜日の夜。

 そんな僅かに気を抜ける時間だったからこそ、俺は先輩の誘いに乗ったのかもしれない。

 いつもの俺だったら、飲みの誘いすら断っていたはずだ。

 浅見先輩が普段から異性と二人きりで飲みにいく人だと知っているからこそ、心を乱されたくないという思いもある。

 変に期待をして裏切られることが最も辛い──それが恋愛でも就活でも、何事にもいえる事象だと分かっているから、今まで二人きりの誘いは全て断ってきたのだ。

 先輩からの誘いに乗ったのはあくまで、面接落ちの気分を晴らして月曜日からまた頑張るための支えになるかもしれないと考えたから。

 無論、酒の回った頭で思考したということが、誘いに乗った大きな要因であることは否めない。

 だが、いくらなんでも砂月の考えたようなことが起こる可能性は限りなくゼロに近かったと思う。というより、ゼロだろう。

 浅見先輩は酒の席に異性を誘うことへのガードは緩くても、告白を全て跳ね除けるくらいには男を受け入れることへのハードルが高い。

 矛盾しているようだが、浅見先輩の中でこの意識は分立しているのだ。

 ──そしてそのことを、俺は知ってしまっている。

 そんな俺の思考を読み取ったかのように、浅見先輩は砂月に告げた。


「勇紀は、私のこと分かってるからね。砂月の心配するようなことは起こらないよ。私も、彼のこと信頼してる」


 浅見先輩はエプロンを腰に巻き、キッチンに立った。


「二人とも、何か食べる?」


 飲みに行ったばかりの人から出たとは思えない言葉は、この問答がここで終わりだということを暗に示していた。

 砂月もそれを察したのか、不満げに口を尖らせたが何も反論はしないようだ。

 そのかわり、といった様子で砂月は俺に訊いてきた。


「お姉ちゃんとご飯行ってたのに、まだ食べられるの?」


 当然の問いだ。

 砂月はともかく、俺は先ほどまで浅見先輩と飲んでいたというのに──

 そこまで考えたあと、俺はあることに気が付いた。

 お腹をさすると、浅見先輩の小さな笑いがキッチンから聞こえた。


「君、飲んでるばかりで全然食べてなかったもの。帰ってもお腹空いて、どうせスナック菓子で満たすんだろうなって考えたら可哀想になっちゃって」

「も、申し訳ないです……」

「いいのいいの。まあ、リクエストは聞いたものの食材があるものでしか作れないからね」


 浅見先輩はそう言ってから、砂月に視線を送る。

 砂月は少し逡巡した様子を見せた後、「うーん」と声を漏らした。


「せっかくだけど、今日はいいや。ママにお姉ちゃんの家に行くこと言ってないし」


 そう言って砂月は、収納ラックからハンドバッグを取り出す。先ほど浅見先輩が入れた色彩とは違う、グレーの革素材だった。


「さっきの件、お姉ちゃんの言葉信じることにする。まあ、よくよく考えたら大丈夫って私も思った」


 砂月は俺に顔を向けて、口角を上げた。


「勇紀って、私の告白をフっちゃう意気地なしだし」

「おい、別にフッたのは意気地がない訳じゃなく、単に知り合ってから──」

「ばいばーい」

「話聞け!!」


 砂月はケラケラ笑いながら、リビングから出て行く。間も無く玄関のドアが開き、家から砂月の気配が消えた。

 嵐のようなやつだ。


「……元気そうでよかった」


 浅見先輩が微笑ましそうに頬を緩ませる。

 それから、俺の方を見て言った。


「砂月のこと、よろしくね」

「よろしくって──」


 浅見先輩を好きだった頃の俺が、心の中で頭を抱える。

 捉えようによっては失恋になりかねない言葉を聞いて、俺は心底諦めておいて良かったと思う。


「──浅見さんには悪いですけど、付き合う気はないですよ。俺たち、知り合ってまだ一週間とかなんで」

「へえ、ほんとに最近なんだ」


 俺の言葉で、浅見先輩は冷蔵庫の中身を弄る手を止める。


「それにしては砂月、随分あなたに心を開いてたみたい。……ほんとに好きなのかもね」

「お姉さんすら疑ってたんすね……」


 俺は思わず呆れた声を出す。

 浅見先輩はそんな俺に眉を八の字にして笑い、「まあね」と答えた。

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