第11話 姉妹
砂月は唖然とした顔で俺を見た後、後ろにいる浅見先輩へ視線を送る。
そして自分が下着姿だということを改めて認識したのか、俺をキッと睨んだあと、一旦リビングへと繋がる扉を閉める。
すぐに扉が開くと、私服に着替えた砂月の片手には大きめの枕が握られていた。
……嫌な予感がする。
「待て、これは──」
「おらぁ!」
問答無用の枕が投擲されて、俺の顔面にぶち当たる。
後ろから「私の枕ー!?」という浅見先輩の声が響いた。
俺は枕を顔から引き剥がすと、砂月の姿を凝視する。
「ねぇ、どうだった私の下着姿、嬉しかった?」
「な、なんだその羞恥心の欠片もないような質問は!」
「羞恥心あるから照れ隠しに思わず枕投げちゃったの。それくらい察してね」
砂月はそう言ってから浅見先輩を見て、溜息を吐く。
私服は初めて会った時と同じものだったが、表情が変わるだけで抱く印象は全く違う。
「お姉ちゃん。なんで私をフッた男と一緒にいるの?」
砂月が大きめの声で訊くと、浅見先輩は慌てたように玄関のドアを閉めた。
重厚なドアが閉め切られると、外の音の一切が遮断される。
さすがはお高そうなマンションだ。この分なら今しがたのやり取りをご近所様に聞かれた可能性は限りなく低い。
「浅見さん、お姉ちゃんって──」
見上げると、浅見先輩は戸惑いながらも俺に頷いてみせた後、砂月に向き直る。
「フッたって、勇紀が、砂月を?」
「そうなの、私生まれて初めてフラれ──って、違う。今はそんなことよりも」
砂月はズンズンと俺に近付いてきて、耳を引っ張り上げる。
「痛い痛い痛い!」
俺が痛がるのもお構いなしに、砂月は浅見先輩に向き直った。
「お姉ちゃん、ちょっと五分だけ時間ちょうだい? 私、この人と話があるから」
「い、いいけど」
気圧されたようにぎこちない笑みを浮かべる浅見先輩に、砂月は「ありがと!」とお礼を言う。
浅見先輩のあんな表情、今まで見たことがない。
二人が姉妹というのは本当なのか。
似ている気がしなくもないが、なにぶん服装や化粧の系統、髪色までもが違うのでハッキリとは分からない。
砂月はそんな俺の反応を無視して、無理やりリビングへ連れて行く。
リビングに迎えてくれる人が家主じゃないなんて、一体誰が予想できただろう。
リビングに足を踏み入れると、そこには高校時代の俺が夢にまで見た景色が広がっていた。即ち、浅見先輩の過ごす部屋。
お洒落な内装の中に、浅見先輩らしさを感じるチョイスの小物がいくつか並んでいる。
パンダが薙刀を持っているぬいぐるみなど、まさにそうだ。
できればこの一つ一つの小物に対して、浅見先輩の前でリアクションを取りたかったのだが。
「ねえ、勇紀。お姉ちゃんには内緒にしておいて」
「え? 何を」
俺が首を傾げると、砂月は俺の胸を人差し指で叩いた。
また、察してよと言いたげな目をしている。
「私が、路上で歌ってること」
砂月は声を小さくして言った。
リビングから玄関まではかなりの距離があるので、声が届く心配はないと思うが、余程聞かれたくないらしい。
「お前ってほんとに浅見さんの妹なのか?」
俺が質問すると、砂月は「今それ訊くの?」と息を吐く。
「妹だよ」
その返答に、俺は視線を落とした。
浅見先輩に妹がいることは知っていたが、俺と同い年だとは聞いたことがなかった。
だが、苗字が違うということは色々あったのだろう。
俺が複雑な気持ちになって何か言おうとすると、先に砂月が口を開いた。
「違う違う、苗字が違ってるのは親が離婚とか、そういうのじゃないから。ていうか私の苗字、浅見だし」
「え? 浅見なの?」
「そうよ」
砂月はこともなげにそう言ってのける。
俺は拍子抜けになって、肩の力を抜いた。
「雨宮は、なんていうのかな。芸名って感じ。まだデビューもしてない身で、なんだって話かもしれないけど」
砂月は自分の言葉に小さく笑った後、ハッとしたように首をブンブンと横に振る。
そして俺を見上げてから襟を掴んで、耳元で囁いた。
「とにかく、絶対言わないでね。私、お姉ちゃんには言いたくない事情があるの」
「それが人にお願いする態度かっての……」
今の話を聞いて浅見先輩に伝えるつもりは毛ほどもないが、素直に頷くのは何となく気が進まない。
せめて普通にお願いしてくれたらいいのにと、酔いが覚めてきた頭で思った。
砂月はそんな俺の態度で察したのか、口元を緩める。
「勿論、タダでとは言わないから。借りを作りっぱなしにするのも、気が引けるし」
「金を貰う方が気が引けるんだけど」
「ううん、それも違う。勇紀の頼み事、何でも一つ聞いてあげることにする」
一瞬の沈黙が、リビングに降りる。
時計の針の進む音がやたらと耳朶に響く。
「俺、今酔ってるぞ。そんなこと言っていいのかよ」
俺が忠告すると、砂月は目を瞬かせてから、こくりと頷いた。
「いいよ、私ができる範囲なら。あと、安心して?」
砂月は俺の手に触れてから、ギュッと握りしめた。暖かい体温が直に伝わってくる。
「私のできる範囲ね。勇紀になら、ちゃんと広いから。お茶を濁すことなんて真似はしないよ」
砂月の言葉に、俺は思わず押し黙った。
彼女の言っていることが理解できない訳ではない。
大学四年生ともあるものならば、砂月の言葉は難なく理解することができる。
それならばと、俺の答えは決まった。
俺が口を開くと、砂月は柔らかい笑みを浮かべて紡がれる言葉を待った。
「俺の就活手伝ってくれ」
砂月は頷きかけて、眉を顰めた。
そして俺の言葉が理解できなかったのか、小首を傾げて、「えっ?」と声を漏らす。
そのきょとんとした表情は、なるほど浅見先輩とよく似ていた。
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