第26話 私の夢〜浅見優花side2〜


 努力をすれば、報われる。

 努力をした分だけ、ほんの僅かだけど上手くなっていく自覚がある。

 平均値に努力をした分上乗せするという私の必勝法は、歌手活動にも通じると信じていた。


 ──いつか、本当の特別な人になれるって。


 私は必死に歌い続ける。

 普段はしない歌唱法で、何とか人を惹きつけようと、歌いながら模索する。

 目を瞑った数秒後には、また人が戻ってきていると信じて。

 再度眼前を見ると、数十人いた観客はたった三人になっていた。

 思わず目頭が熱くなる。

 私が惹きつけていた観客は、たった数秒で引き剥がされた。

 警察に、ではない。それだったらどんなに良かったことか。

 観客を私から引き剥がしたのは、"歌"だった。

 十メートルほど先でライブを始めた、女性シンガー。

 離れた場所から聴こえる僅かな歌声だというのに、開始数秒で観客の大半を持っていかれた。残っていた人もそれに釣られるように、またはどちらかを聴くか吟味した素振りを見せた上で、向こう側へと歩いていった。

 自分の歌声の外側から覆い被さるような、圧倒的な存在感。

 歌いながら、実感した。

 "特別"って、ああいうことなんだ。

 努力では埋められない差を、私は見た。

 それでも、途中で歌を止める訳にはいかない。私の目の前には、あの圧倒的な歌唱力を聴いて尚、残ってくれる人がいる。

 あの"特別"な路上シンガーにはないものを、私が持っているからかもしれない。

 それなら、今は"特別"になることはできなくても、また努力を積み重ねれば──

 やっと歌い終わった時、私は最後まで残ってくれた一人に訊いた。


「なんで……残ってくれたんですか?」


 知りたかった。たった一人、あの路上シンガーの元へと行かずに、最初から最後まで聴き続けてくれた人に。

 私の歌のどこに、惹かれたのかを。

 金髪の男性は、口角を上げた。


「めっちゃ可愛いからです。ずっと応援してます!」


 私の何かが、ポキンと折れた。


 ◇◆


 物事に挫折したのは、初めての経験だった。

 あの路上シンガーは弓野という名前で、私と同い年。そして、シンガー歴は三ヶ月。

 だからこそ、私は心底叩きのめされて、這い上がる気力さえも無くなった。

 ライブを一切しなくなってから一ヶ月ほどは、音楽活動について更新するツイッターのアカウントにはファンだと言ってくれる人たちからメッセージが届いていた。


『最近ライブの頻度減りましたね、待ってます!』

『次に桜代駅に来てくれるのが楽しみ』


 でももう一ヶ月も経つと、メッセージが届くことはなくなった。所詮私は、その程度のものだった。


「本気で言ってるの!?」


 砂月に音楽活動を辞めると告げると、予想以上に激昂された。それだけ私を信じてくれていたんだろうと分かっていても、私の気持ちは動かない。


「同年代の人が自分より圧倒的な存在だったから、辞めるの? 今までのファンは?」

「そんな人、みんなあの弓野って人に取られたよ」

「それは、その日だけの話でしょ? お姉ちゃんのファンが皆んな取られた訳ないじゃない」


 砂月は、私が歌を辞めるのは弓野というシンガーにファンを取られたからだと思っている。全く見当違いという程でもないけれど、当たってもいない。


「砂月、私たちが夢を叶えられるって信じてた根拠覚えてる?」

「え?」

「テレビを見て、これなら私の方が上手いじゃないって思ったからだよね」

「そう……だったけど」

「今回は逆だった。経験の浅い人が自分より圧倒的に上手かった。だから私、もう歌える気がしない」


 他人を根拠に自信を保っていた人にとって、それは諦めるのに充分な理由だった。

 これはただ、それだけの話。


「お姉ちゃんはほんとに上手いよ。綺麗な歌声だし、周りを惹きつけるものも持ってる。お姉ちゃんも自分で言ってたじゃん」

「ライブをしてる人、きっと殆どの人がそう思ってる。あの気持ちは、踏み出すための最初のファクターに過ぎない」

「そんな気持ちで踏み出した人が、自分より圧倒的に経験が浅くて、圧倒的に実力が叶わない人と会って。ほら、諦める理由には充分すぎると思わない?」

「お姉ちゃん」


 砂月は静かに問い掛ける。


「そうやって諦める理由を探すの、楽しい?」


 ──楽しい訳、ないじゃない。

 妹に失望されたような顔をさせて、何も思わない訳ない。

 もう一度だけ、奮起しよう。

 私はその日から、ライブは辞めたものの死ぬほどボイトレに励んだ。

 毎日毎日、ずっと練習した。

 お小遣いなんて全部注ぎ込んでカラオケボックスでも練習した。

 喉に違和感を覚えても、気合で歌い切る頻度が増えてきた。

 そんな私が声帯ポリープを発症したのは、それから二ヶ月後のことだ。

 声帯ポリープは、喉を酷使する人が発症しやすい病気。

 私は発声のし辛さを時々感じていながらも、病院に行くということをしなかった。ただ喉が枯れているだけだろうと、楽観的な思考だった。

 高校一年生の私にとって、声帯ポリープなんて病名は遠い世界の人が発症するものとしか思えなかったからだ。

 だけどさすがに、歌い始めて十分程度で声が枯れるようになってから、親に内緒で耳鼻科に行った。

 診察はすぐに済んで、数ヶ月くらいは歌うことを控えるようにと言われた。

 喉を酷使すれば、治りかけていても再発する。


「諦めるしかない、か」


 そうして私は、夢が無くなった。そのことで、強く、強く悔恨した。

 ──こんな想いをするなら、最初から夢なんて追いたくなかった、って。

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