第14話 浅見先輩との高校時代 ①
──歌が聴こえる。
高校一年生の五月。
周りの殆どは部活に入り、それぞれに青春を満喫している。
部活に入らなければ学校生活は楽しくないという固定観念を持っていた俺にとって、今の帰宅部という現状は受け入れがたいものだった。
仮入部のどこにも顔を出さず、同じ帰宅部の友達とゲーセンやウインドウショッピングを楽しむ。
そんな生活を一ヶ月送った後、俺は放課後の教室に一人残り、窓から運動場を眺めていた。
運動場を走るバスケ部の外練を眺めていると、不意に聴こえてきたのだ。
──優しいアコギの音色と、女性の歌声。
その歌声を聴いた瞬間に惹き込まれるような、優しい音色。
人を励ますような溌剌としたものではなく、人の弱さに寄り添ってくれるような、柔らかい歌声。
恐らく俺がいる教室の上階の何処かから聴こえてくる。
「上ってことは、三年か」
恐らく三年生の教室から聴こえるであろうその歌声に近付こうと、腰を上げる。
窓から見える歌声に気付いた生徒たちも同じことを思ったようで、何処から聴こえるのかを探っている。
だが女性の声はマイクを使っている訳でもなく、アカペラだ。
一つ下の階にいる俺なら聴こえるが、外だとあまり聴こえないはずだ。
それなのに校舎に近付いてくる生徒がいるのは、この歌声の魅力が凄まじいからだろう。
鞄を肩に掛けて、教室の鍵を締める。
今から、あの歌声に。
だが、歌声に異変があった。先ほどよりも、声量がない気がする。
そういう歌なのだろうと思っていると、歌声は次第に小さくなり、途切れた。
暫く待ってみても、再開される気配はない。
友達がやってきて、歌うことを中断したのかもしれない。
「……なんだよ」
こんなにも心を動かされたのに、最後まで聴くことができないなんて、ひどくもどかしい。
たった一分程の時間、あの歌声はこの高校で一番輝いていた。中途半端な部分で終わってしまったことに落胆しながら、俺は帰路に着いた。
"中途半端"という単語が、嫌な記憶を刺激する。
──中学生の、バスケ部時代。
思い出さないようにしても、あの情景を忘れることができない。
中学時代、俺はバスケに熱中していた。
小学生の頃からミニバスで鍛えてきていた俺にはどうやらセンスがあったらしく、中学では他校にも広く名前を知られている程だった。
一年生のうちからスタメンに入り、二年生の夏には全国大会直前にまで駒を進めた。
その頃には他府県の選手にも知り合いが増えていて、選抜選手にも選ばれた。
既にスポーツ推薦で行きたい高校は決まっていたし、いずれはプロになるという明確な夢があった。
夢を追い掛ける日々が、俺の生き甲斐だった。
だが、やはり現実は甘くない。
──オスグッド。
成長期によく見られる、骨端症。膝の奥あたりがズキズキと痛み、プレーに支障がでることもある。
中学生の際はバスケ部員の内、何人もこのオスグッドを患っていた。オスグッド自体は成長とともに治ることが一般的なので、大して珍しくもない。
膝にサポーターを巻けば問題なくプレーできる選手も沢山いて、俺自身も膝が痛み始めた時は全く気にしていなかった。
だが次第にサポーターを巻いても満足なプレーができなくなり、ついに走ることすら困難になった。
オーバーワークを続けた結果だった。
医者からは、軟骨が剥離しているため、完治までには二、三年要すると診断された。
俺がスタメンから初めて外れたのは、中学最後の大会。
ベンチから最後の負け試合を眺めた光景を、俺はこの先きっと忘れることができない。
「……ちっ」
なんだって、こんなことを想起しなければならないんだ。
少し苛立って、小石を蹴飛ばす。
周りには誰もいないので、これくらいしてもいいだろう。
それでも、高校生活を辞めてしまいたいとは考えたことはない。
中学時代の生活より、性に合っているとさえ思う。
俺が高校に入学した時に感じたことは、此処は自由だということだった。
無論、校則という縛りはある。髪を染めることはできないし、あまりに制服を着崩すことも、恐らく許されない。
それでも、中学の頃より選択肢が増えたことは間違いない。
放課後の教室にダラダラ残っていても特に咎められることはないし、帰り道にゲーセンへ寄ることだってできる。
入学してから、そんな新生活を帰宅部として曲がりなりにも楽しんでいる。
同じ帰宅部の友達と過ごす時間は悪くないし、一人でいる時間も好きだ。
「君、退屈そうな顔してるね」
突然そう言われて、振り返った。
ドキリとした。
その言葉を放ったのが校内でマドンナだと名高い先輩だったから、ではない。
──図星だったからだ。
先程まで思っていたこと、思い込もうとしていたことを全否定するような言葉に、俺は佇んだ。
中学の時のような、体力を消耗しつつも、充実した運動部での生活。
バスケ部として自分を躍動させていた活動力が、身体の中で静かに燻り続けている感覚。
それを発散できない理由があったとしても、中途半端に終わってしまった結果にどこかで諦めがついていなかった。
あの歌声を聴いた時、この燻る気持ちが薄れていく気がした。
この気持ちを慰めたいと無意識に縋ったから、あの歌声が止んだことにひどく悲しんだのだ。
「私ね、ハンドボール部のマネージャーしてるの」
マドンナと呼ばれる先輩は、放課後ずっと外にいるとは思えない白い肌を覗かせながらそう言った。
澄んだ瞳で俺を眺めて、口角を上げる。
「やってみない? ハンドボール」
唐突な誘いだ。
それにも拘らず、俺は逡巡した。
ハンドボール。どちらかといえばマイナーなスポーツである為、体育の時間くらいでしかやったことがない。
バスケ部への誘いなら、未練に苦しみそうで断ることは必至だった。それでも、ハンドボールなら。
一体なんでこの人は自分を誘うのだろうという疑問はある。だがそれよりも、俺は自分の燻りを発散する場所を探していた。
あの歌声が止んだのは、俺に道を絞らせるためだったのかもしれない。
「どう?」
その瞬間、俺は先輩に見惚れた。
吸い込まれるような瞳に誘われて、俺は無意識のうちに口をぽかんと開けていた。
「ん?」
小首を傾げる先輩を見て、俺はかぶりを振って雑念を消す。
「……いえ、その。見学してから、決めさせてください」
そう答えたのは、燻る気持ちを発散させたかったからか。
それとも、この先輩のことを知りたいと思ったからだろうか。
両方だろうなと、俺は苦笑いした。
見学からという条件だったが、恐らくはこの先輩のいる部活に入ることになるだろう。
そして、その足で見学に行ってみると、ハンドボール部は屋外で活動していた。
コートに入ると、皆んな汗水垂らして練習に励んでいる。
久しぶりに目の当たりにする、一つの球に全員が執着している空間。だが体育のそれとは全く違う。
皆んな和かな表情の裏に、確かな闘争心を隠している。
身体がブルッと震えた。
たとえもう、運動部で活躍できないと分かっていても。
試合にさえ出られるか定かではないとしても、込み上げてくる欲求に抗えなかったから。
「入部する気になってくれた?」
今度は、迷わず頷いた。
すると、先輩は和かな笑みをたたえて言った。
「私、浅見優花。よろしくね」
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