第33話 合同説明会 after story

 風華と久しぶりの邂逅を果たしてから二時間後のことだった。

 もうすぐ金曜ロードショーが始まるという中で、スマホからは着信音が流れている。

 普段なら見なかったことにするのだが、相手が砂月ということで俺は逡巡していた。

 映画が始まるまで後十分を切っていたが、長話にならない限りは大丈夫だ。用件だけ済ませておこうと、俺はスマホを手に取った。


「もしもし」

『もしもーし。今何してたの?』


 底抜けに明るい声が、俺に訊いてきた。この地声があの透き通るような歌声に変わると思うと、人間の声帯は不思議なものだ。


「テレビ見てたところ」

『あっごめん。邪魔しちゃったかな』

「これから邪魔になるかも」


 俺が馬鹿正直に答えると、砂月は声を上げて笑った。


『ははは! 分かった、じゃあ手短に話すね。明日私と合同説明会に付き合ってくれない?』

「合説? なんで」


 合同説明会とは、数多くの企業が一堂に会し、就活生に自社説明をする催しのことだ。就活が本格的に始まる直前から開かれ始めて、合説をきっかけに志望会社を決めて選考に進む人も珍しくない。

 大企業からベンチャー企業まで、業界もバラバラな企業が一斉に就活生を求めて自社のアピールをする。よってそこに参加する就活生の心持ちは、何となく雰囲気を味わいに来た人から、その場で選考に進むのを目的とした人までとピンキリだ。

 俺も何度か合説に参加したが、就活へのスイッチを入れるためには必要な催しだったと思っていた。


『うーん、今から就活始める人ってやっぱり少数派じゃん。その中で、今まで就活に真面目に取り組んでた人からアドバイスとか貰えたらなって』

「まあ、確かにあれに参加すると気分は変わるよ。ただなあ」

『なに、私は変わらないかもって?』

「違うって。ただ、もうこの時期って合説シーズンからは外れてる訳。あえてこの時期に参加する企業って人が足りてないところだったり──」


 それから、有力企業と並ぶと就活生がエントリーしてくれないと考える企業。何にしても、シーズン中の合説と比較すれば好条件の企業が限られてしまうのは事実だろう。

 大企業志向だった時期の俺だったら、この時期の合説に参加するのは無駄に思えてしまっていたかもしれない。


「まあ、行ってみるか。興味ある企業が見つかるかもしれないしな」


 だが今は、可能性が少なくてもゼロではないから行動するべきだと思った。砂月の性格を鑑みても、企業の規模よりも仕事の内容への方が重要度は高いに違いない。

 俺の言葉を聞くと、砂月は明るい声色で『ありがとうっ』と返した。


「……砂月、ほんとに歌辞めるんだな」


 俺がポツリと呟いた。電話先からは返事がなかった。余計な一言だったと思い、謝ろうと口を開く。


『辞めないよ』

「え?」

『私が辞めるのは、路上シンガー。歌うのは、楽しいもの』

「……そうか」


 今しがたのは"プロを目指すのをやめる"というニュアンスだったが、よくよく思考を巡らせてみれば砂月の歌を聴ければ俺にとっては満足だったかもしれない。

 俺が応援していたのは、夢を追うという砂月の姿。彼女の夢はプロではなく、姉を越えること。夢が一度叶えば、違う夢を探すことに疑問はない。

 砂月の今の夢は俺の知るところではないが、浅見先輩の業界に関するものだろうと勝手に推測している。

 負けず嫌いな砂月のことだからあり得る話だなと、俺は口元を緩めた。


『勇紀は、私にプロ目指してほしいって言わないんだね』


 砂月が意外そうな声を出したので、俺は肩を竦めた。


「仮に俺がそう言ったとしたら、それはお前のための言葉じゃない。きっと自分のためだ」


 知り合いにプロの歌手がいたら、さぞかし誇らしいだろう。自分が何も成し遂げていない矮小な存在だとしても、隣にそんな存在がいてくれたら、自分も似たようなものかもしれないと錯覚することもできるかもしれない。

 だがそんなものはまやかしだ。

 自分を何者にするかは、全て自分次第。それは何事にも当て嵌めることが可能だ。例えば就活なら、どの企業に入るかではなく、入った企業でどんな人物へ成長できるかが重要。

 俺にそう考えさせてくれた砂月は、あっけらかんと笑った。


『あはは、いいねそれ。勇紀の自慢になれるなんて、嬉しいかも』

「茶化すなよ。それに──」


 言いかけたが、俺は思わず口を噤んだ。


『なになに?』


 砂月が追求してくるが、「何にもない」と誤魔化す。

 彼女に直接言える訳がなかった。

 お前はもう俺の自慢だ──なんて告白紛いなセリフ、言える訳がない。


 ◇◆


 合説当日、俺はリクルートスーツに身を包み、砂月と並んで歩いていた。黒い光沢を放つ磨かれた靴が、踵からコツコツと音を鳴らす。

 予想通り、会場に入っている企業の数はシーズン中と比較すると半分以下だ。それに、心なしか企業ブースの活気も低い。

 人事同士で話し込んでいる企業も見受けられて、俺は内心で溜息を吐いた。

 経団連が『就活解禁』を大々的に発表した解禁日に開催された合説は、こんなものじゃなかった。黒いリクルートスーツ姿の男女が何万人とごった返し、人酔いしてもおかしくない状況だった。期待と不安で胸を高鳴らせている就活生たちに呼応するかのように、企業の各人事たちも声を張って呼び込んでいた。あの独特の雰囲気を目の当たりにし、頭の中のスイッチが一気にオンされる人も少なくない。俺もその一人だった。

 ……これではその効果は期待できなさそうだ。焦燥感に駆られている顔や、気怠そうな顔。既に内定を貰っているのだろう、高みの見物で涼しげな表情の顔もいる。解禁日にあった、希望に満ちた表情の者はまだ見つけられていない。


 ──隣に歩く、砂月を除けばの話だが。


「すご、めっちゃ色んな会社ある! 私あそこ行ってみたい、あのカラフルなブース」

「待て、まず配布された資料で内容を──」

「レッツゴっ」


 先を歩いていく砂月の背中を追いかけながら、これでは自分が此処にいる意味が無いとげんなりした。合説は事前に参加企業をWeb上で確認できる。前日に目星しい企業を見つけて効率良く回るのがベターとされる為、俺も自分用と砂月用でいくつかピックアップしてきていた。

 今は砂月が合説に来るきっかけを作ってあげたと思って、納得するしかない。彼女が向かった先は俺が全く興味のない業界だったので、ひとまず別行動だ。


「あれ? 勇紀」

「ん」


 下の名前で呼ばれて、俺は振り返った。

 視線の先には、オフィスカジュアル姿の浅見先輩だ。髪をトップに束ねて、普段より畏まった雰囲気を漂わせていた。


「あれ、何してるんですか」

「何って、説明会だよ。うちは今から十分後に始まるけど、覗いてみる?」

「いや、いいです。俺もう行く場所決めてるんで」


 俺が答えると、浅見先輩は目をパチクリとさせた。


「えっ……こういうのって普通は来るものだと思ってた……」

「後で行きますって」


 俺は苦笑いをしてみせる。企業によってブース内で説明会を開始する時間はバラバラだが、目当ての説明会を早めに聞いておくに越したことはない。中には人数が多すぎて、後ろからではよく聞き取れない場合もある。

 ……比較的閑散としているこの会場では、その心配も杞憂に終わる可能性が高いけれど。

 浅見先輩は「あとで来てよ」と笑って、俺に背中を向けた。


「浅見先輩」

「おっ?」


 浅見先輩は急ブレーキをかけて、こちらを再度振り返る。

 その際就活生にぶつかりそうになり、「ごめんね」と謝った。


「……何かありました?」

「え、私?」


 浅見先輩はキョトンとしてから、クスリと笑みを溢した。


「勇紀、今は自分に集中しなきゃ」


 そう言い残して、浅見先輩は自社のブースへ歩いて行った。

 ごもっともな言葉に、俺は「確かに」と呟く。大賛電機という内定先があるから、気持ちにいくらか余裕はある。だが今日は俺が希望する業界の知識を深める貴重な機会だ。

 今は説明会に集中しようと、意識をブースに向ける。

 先ほどの就活生が、浅見先輩を遠目で眺めているのが視界に入った。

 ……浅見先輩、この会場で一番綺麗なんだろうな。

 早速邪な思考が脳裏を過り、俺はブンブンとかぶりを振った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【完結】就活から始まるラブコメ 御宮ゆう @misosiru35

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ