第29話 最終面接
「私は、貴方に本音を求める」
最終面接開始から十分程度が経った後、面接官を務める役員の一人が俺に言った。
俺の正面には重厚なスーツに身を包んだ、貫禄のある中年達が五人連なって座っている。
今の言葉を放ったのは、真ん中に座っている髭面の役員だ。
「……本音ですね。かしこまりました」
そう答えながら、俺は今までの面接と全く異なった雰囲気を感じていた。
最終面接では、今までのどの面接よりも人の数が多い。
そして、俺以外の皆が大企業の重鎮だ。
若手の人事部の人は面接会場となっている部屋の外で待機しており、ここにいるのは就活生一人と大企業の役員四人と人事部長一人。
就活始めたての頃の俺だと、緊張で声が上ずっていたことだろう。
「この最終面接では、弊社で働くという意欲に対しての再確認を行っています。これまでの建前は取っ払って、最後に腹を割って話してほしい」
先程とは別の役員だ。続けて、人事部長が深く頷いて、俺を見据えた。
「そうでなければ、貴方が弊社のカラーに合致する人材か見極められないのでね」
せっかく入った人材が短期間で辞めるのは、コストの浪費に他ならない。
一人の採用あたり数百万円を要するといわれているコストの採算を取るためには、これも当然の要求かもしれない。
俺は硬めの椅子に座り直し、「かしこまりました」と返事をした。
「新田さんは、うちの会社のどこに惹かれたの?」
「御社の事業内容です。人々の生活に欠かせない製品の多くを手掛ける事業は、私の望む社会貢献への意識と合致します」
「ほう。雇用条件ではないのかね?」
役員が目を光らせる。
裏を返せば、提示されている雇用条件が世間一般よりも高いことを示している。
俺はここが踏ん張り所だと、心の中で自分に喝を入れた。
「私は、自分がどれだけ現代社会に必要とされる人材になれるかが知りたい。御社は一年に三度もの昇格を望める評価基盤が備わっている為、質の高い社会貢献と自己成長、この両者が望めます」
「ほう。それで?」
俺が続けようとした時、不意に砂月の顔が脳裏を過った。
夢を追い掛け、歌っている時の顔だ。
「──私は自分のやりたいことが、まだ具体的に分かっていません」
俺の言葉に、髭面の役員の眉がピクリと動いた。
「この就活において、漠然とした指標はできたように思います。しかしながら、現段階で御社を志望する理由に雇用条件が入っていることは間違いないです」
就活をしていく中で、やりたいことが見つかる人もいる。
本来ならば建前でも、惹かれた事柄を大賛電機の求める人物像に当て嵌めて答えるべき場面だったかもしれない。
だが俺は本音が欲しいと言った役員たちの言葉を信じることにした。
俺に質問した髭面の役員は数秒黙っていたが、やがて口を開いた。
「そうか。それならば、やはり雇用条件、ないしは金銭が志望理由の主な理由と解釈してしまうな。君にとっては、少し意地悪に思えてしまうかもしれんがね」
「はい、勿論お金は大事です。でも、一番大事という訳じゃないです」
「ふむ。その心は?」
髭面の役員の瞳に、興味の色が宿る。
俺は落ち着いて、自分の心の内にある確かな本音を口にした。
「──お金はあくまで、叶えたいものの手段だから。お金を稼ぐ過程や、稼いだお金で何かしらの欲求を満たすことにこそ、本当の価値があると思います」
砂月の受け売りだ。あの時の俺は、その意見に全面的な同意ができた訳ではなかった。
だが砂月の直向きに歌う姿を見ているうちに、日を重ねるごとに彼女の言葉が腹に落ちていくのを感じた。
砂月は、姉を越えることが自分にとっての夢だと言っていた。その夢を叶える為に、歌う。
彼女にとって歌とはあくまで姉を越える為の手段であり、同時に重要な過程だった。
「私は就活をする上でお金を稼ぐという過程を大事にしています。御社を志望する理由は、その過程が他のどの企業よりも、自分には輝いて見えたからです。具体的には、自己成長を促す様々な制度です」
「……学生にしては、正直で悪くない答えだ」
髭面の役員が発言すると、人事部長は「そうですね」と小さく頷いた。
「最後に、何か私たちに質問はありますか?」
人事部長が俺に問い掛けた。
所謂、逆質問というものだ。
此処では自分が内定を貰った後の事を想定して、「もしご縁があった際は一層御社の役に立つべく励みたいのですが、今から何を勉強しておいた方が良いでしょうか」「逆境を乗り越えた経験談をお聞かせください」といったような意欲を感じさせる質問がベターとされている。
だがそれもまた、建前に他ならない。
この最終面接においては、本音で臨むべきだろう。
「これまでの面接を、建前だと仰いましたね」
早くも質問の意図を察したようで、髭面の役員は逞しい髭に触りながら口を開く。
「如何にも。無論、本音の人もいただろうがね」
「建前だと分かっていながらも、私を最終面接に通していただいた理由は何ですか」
こんな質問、他の企業ではできない。
他の面接官にもできそうにない。だが、目の前にいる髭面の役員なら、きっとこの質問を理由にマイナス点を付けることはないという確信があった。
「君、今更かね」
髭面の役員は声を僅かに緩ませた。
こちらを見据える目は、質疑が終わっても尚俺を観察し続けている。
俺が無言で応えると、髭面の役員は口角を上げた。
学生とは違い、口角を上げるだけで顔の皺が際立つ。
「それはね、私たちの生きるこの社会が建前で成り立っているからさ」
俺は怪訝な表情を見せないように努力した。
上手く隠せたと思ったが、もしかしたら正面に座る髭面の役員にだけは動揺が伝わったかもしれない。
「君だって沢山覚えはあるはずだよ。政治家たちの謳う公約なんて、まさか全部信じている訳ではないだろう?」
他の役員たちは特に何の反応を示す訳ではなく、ただ黙って話を聞いている。
「そういった社会に慣れているからこそ、君は私たちに建前で話す。この会社じゃなければできない仕事があると、自分を騙す」
──先程の問答に建前を使ったことを認識していると、暗に言っているようだ。
先程言った俺の主張は、嘘ではない。砂月の言葉が俺を変えたのは紛れもない事実だ。
「私たちもね、君たちの言う"御社が第一志望です"なんて言葉は頭の片隅に留める程度だ。その言葉自体が内定に関わる事など無い」
髭面の役員は、自分の側頭部をトントンと指で触れた。
「だが、毎度訊く。それは就活生がきちんと建前を使うかどうか。自分を巧く騙せているかどうかを知る為だ」
自分を騙すのも一つの才能には違いない。だが採用企業側にとって、そういった人を取るメリットは何処にあるのだろうか。
その疑問は、次の言葉で解説された。
「だがこの建前の使い方が下手だとね、仕事を円滑に進める難易度が上がるんだ。巧く話せば簡単に終わっていたことも、会話の進め方一つでいくらでも拗れる」
端にいる役員は苦笑いして頷く。
そういった経験を乗り越えて役員まで昇り詰めたのかと思うと、こうした話を聞くのは貴重な機会だと思うことができた。
「面接では、その場の質問への対応力を見ている」
「対応力、ですか」
仕事をしていれば、自分が会社の代表という状況がいつでも起こり得ることは想像に難くない。
大賛電機という大きな看板を背負うには、最低でも平均以上の機転は欲しいというところだろう。
俺のおうむ返しに、髭面の役員は深く頷き、額に皺を寄せた。
「ただね。就活という事前準備が可能な状況下で、建前を全くのゼロから作ろうとするとどうしても居た堪れなくなってしまうものだ。だから就活生は、一つの本音から話を拡げていく人が多い」
「……なるほどですね」
就活サークルの中にも、自分は副代表だったと虚偽の発言していたメンバーはいた。その人も、副代表に値するほど頑張っていたから全てが嘘じゃないと自分を騙している。
俺は、「頑張った」という一つの主観的な事実から、話を拡げるのは卑怯だと思っていた。
だが今しがたの言葉を聞くと、あいつも就活生としては真っ当だったのかもしれない。
「私のように何十年も面接をしていれば、そうした本音は会話の中から掴み取ることができる。私はそのたった一つの君の本音が、弊社のカラーに合致していると思った。だから面接の結果を聞いた際、君を通したんだ」
「私の本音は、何と共有されているのですか」
俺が訊くと、人事部長は書類を捲ってみせた。そこに、今までの面接のデータが記載されているはずだ。
「仲間を慮る気待ちだね」
確かに、チームワークを大切にしたエピソードを、二次面接で話したことがあった。
どの企業でも話していたが、まさか大賛電機の役員の目に留まるとは思わない。
「……仰る通りです」
「その気概がないと、うちではやっていけないからね」
髭面の役員は最後に、ニコリと笑う。
重厚なスーツを脱げば、きっと誰もが人当たりのいい印象を抱く。そう思わせてくれる、柔らかい笑みだった。
「ご縁があれば、内定承諾のため近いうちにまた会うことになります。それでは、これにて最終面接を終了します」
俺は人事部長からの面接終了の合図を聞いて、勢いよく立ち上がった。
「ありがとうございました!」
若さをアピールする為の元気ある御礼は、この人たちに届くのだろうか。
俺はそんなことを思いながら、面接室を後にした。
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