第28話 出会い〜雨宮砂月side〜

 お姉ちゃんが夢に敗れたのは、少なからずショックだった。

 お姉ちゃんは決して口には出さないけど、声帯ポリープになったのだって、私がプレッシャーをかけたからだ。喉の許容範囲を越えた練習量で、ますます悪化して。

 将来は音楽活動をしたいと両親に明かしていなかったお姉ちゃんは、高額な手術料を求めるなんてもってのほかだと考えて、夢を諦めた。

 お姉ちゃんの決断に、私が反論する資格はない。

 でも、目標にする資格はくらいはある。

 誰よりも近くで見続けた私にとって、お姉ちゃんはとっくに憧れの存在になっていたから。


 ──お姉ちゃんを超えるという夢の為、私は一人で歌い続ける。


 他人からは一銭にもならない、ちっぽけな夢だと思われるかもしれない。

 だけど私にとっては、どんな事よりも叶えたい夢だから。


 ◇◆


 桜代駅の良いところは、なんといっても歩いている人たちの心の余裕だ。

 実は路上ライブを行う上で、道行く人たちの表情は人通りの多さよりも重要なことだ。だから私は歌いながら、たまに歩いている人の表情を観察する。

 路上ライブは、ただ人通りの多い駅前で、自信のある曲を歌うばかりじゃない。

 駅の特性に見合った曲を考えて、ラインナップを決めるのだ。

 学生が集まる駅前では、気分を上げる曲を。

 サラリーマンが集まる駅前では、心に染み渡る曲を。

 カップルが集まる駅前では、ラブソングを。

 駅の特性のほか、時間帯によっても歌う曲を変えていく。

 行き交う人たちの潜在的なニーズを見極めて、事前に予定していたラインナップを柔軟に変えていくこともある。

 そうした行動がCDの売上に繋がった時の達成感は病みつきになってしまう。

 私がライブを始めたきっかけは、お姉ちゃんの影響だ。

 物心ついた時からお姉ちゃんは、リビングでいつも歌っていた。私もお姉ちゃんの歌を聴くのがとても好きで、両親が買い物で家を留守にする時間が楽しみだった。

 家で二人きりになると、お姉ちゃんはお母さんの昔のアコギを持ってライブごっこを行うのだ。

 お姉ちゃんはいつも二人になると、自分は歌手になるのが夢なんだと言っていて、私もその夢が叶うと疑わなかった。

 ──代わりに歌手になる夢を叶える、とは思わないからね。

 私は心の中で呟いて、音響の機材を道端に並べていく。

 これはあくまで、自分の為だ。

 姉を越えるという、夢の為。

 人生の勝ち負けは、人によって定義が違う。そもそも勝ち負けという概念に嫌悪感を示す人もいる。

 どれも間違っていないと思う。その人が思えば、そうなのだ。

 だから私の思う勝ち負けの定義にも、誰も口は挟めない。

 私の中の人生は、楽しんだもの勝ちだ。理由は沢山あるけれど、それもやっぱりお姉ちゃんの影響だと思う。

 歌っている姿が、あまりにも楽しそうだったから。

 そんなお姉ちゃんを越える頃には、きっとさぞ幸せな時間が待っているのだろう。

 期待を裏切らず、音楽は楽しい。

 お金になるかは微妙なところだけど、あの時のお姉ちゃんのように楽しんで活動できている。

 同じ活動をしているからこそ、お姉ちゃんを越えることが夢になっていた。

 叶えた後、きっと私は何にでもなれる。

 どんな時でも、幸せになれる。



 機材を並べ終えると、いつものようにライブを始める。

 この道沿いは駅前の広場と違って、本来なら路上ライブの許可を取らなければ歌うことができない。

 でもそんな決まりはあってないようなもので、警察が通り掛かっても優しく注意をされるだけだ。

 いつも他のシンガーもこの道沿いで歌っていることもあり、私にその場所でライブをすることへの躊躇いはなかった。

 時間帯は夕方頃。

 丁度サラリーマンが増えてきた頃合いで、私はピンと思い至る。

 元々は明るい曲の予定だったけれど、人の弱さに寄り添えるような曲を歌おう。

 姉も今では大企業で働いている。きっと、学生には想像できないような辛いことが沢山あるだろう。

 そんなことを考えていると、道行くサラリーマン一人一人がヒーローのように思えてくる。

 私はその想いを乗せて、車道を挟んだ向こう側にまで聴こえるくらいの音量で、歌を奏でた。

 いつの間にか観客は膨れ上がっていて、何人かはこちらにスマホを掲げている。

 ──皆んな、元気になりますように。

 その時、CDが眼下に散らばった。

 何が起こったか分からずに戸惑っていると、金髪の男が大声を出した。


「路上ライブってよ、条例違反なんだぜ? こんなとこで歌ってんじゃねーよ!」


 左耳にしている紅色のピアスが目立っていて、後ろには数人の男がこちらをニヤニヤと眺めている。

 いつもは負けん気の強い私も、さすがに萎縮した。

 常識という垣根を平気で越えてくる人は、恐ろしい。

 私が負けたくないのはあくまで自分の常識の範疇に留まる人たちとの勝負であって、こうした類の人たちとは関わることすらしたくない。

 純粋な力では到底敵わないから、私は嵐が過ぎ去るのを縮こまって待った。

 誰か助けてよ、とは思わない。

 私の中の常識人は、こういう場面に遭遇するとまず自身の身を守る。

 誰かを守るのは、二の次になって当然のこと。

 命に関わることなら別かもしれないけど、今犠牲になろうとしているのはCDだけた。

 お金さえ払えば、また復元できる。

 ……そのお金を稼ぐのは私で、稼ぐための対価は私の時間だけど。

 全部私が一人で賄えるんだから、誰も助けてなくていい。


「誰か止めなよ……」


 何処からかそんな呟きも漏れる中、丹精込めて作成したCDが蹴散らされていくのは正直応えた。

 誰か助けてよとは思わないものの、例外はあった。

 この金髪より明らかに強い人が、観客の中に混じっている可能性だ。

 もしこの金髪を蹴散らす強さを持っている人がいるなら、力を貸してほしいと願った。

 ライブをしている中で見る限り、そんなにガタイのいい人は見受けられなかったから、望みは薄いけど。


「やめろ」


 弾かれるように、私は顔を上げる。

 散らばったCDを踏まないように近付いてきた細身の男性が、私と金髪の間に割り込んだ。


「なにお前? 俺ら間違ったこと言ってねえんだけど」


 金髪が、男性の胸ぐらを掴み上げる。

 細身だというのに、何故間に入ってきてくれたのだろう。

 もしかしたら合気道か何かの上級者なのかな、と勝手な期待をした。


「条例違反だろ、路上ライブは。警察にチクッて優しく退去してもらうより、俺らみたいなやつがガツンと言ってやった方がコイツも懲りるんだよ」


 私は金髪の主張に、思わず俯く。

 暴力を別に考えると、その主張自体は的を射ていた。

 確かに此処は路上ライブが条例違反になる場所で、そこには何の正当性もない。

 この場所で歌ったのも、ただ皆んなが歌っている場所という自分本位の考えからだ。

 警察に優しく注意されても懲りないというのも、実感済み。

 蹴散らされたCDを回収しようとした手を引っ込めて、私は看板だけを抱えた。

 他人を危険に晒しておいて、なるべく自分への被害を抑えようとしている。

 ──最低でかっこ悪いな、私。


「……お前は間違ったこと言ってるよ」


 細身の男性から放たれた言葉に、私は顔を上げた。

 金髪の男は「ハァ?」と笑い、後ろにいる男たちもニヤニヤとしている。

 私本人から見ても、細身の男性の意見は苦しいものに思えた。

 暴力はともかく、主張そのものは真っ当なものなのだ。他の観客が助けに来ないのも、そのことが起因しているのかもしれない。

 だけど、予想は裏切られた。


「ここ、許可があればライブができる場所だから。問題は、雨宮さんが許可を得ているかどうかだけど──」


 細身の男性が私に近寄って、側にあった紙を手に取った。

 その表情からは、何を考えているか読むことはできない。


「──大丈夫みたいだな。この人、ちゃんと許可得てる」


 その言葉で、観客の反応が明らかに変わった。

 正当性を味方に付けた多人数の視線が、金髪グループに刺さっていく。


「それで? 条例っていう後ろ盾を失ったお前らに残るのは、人様のCDを蹴散らした犯罪者っていうありがたい肩書きなんだけど」


 ……強いんだろうな、この人。

 今の紙は、ただのチラシだ。機転を利かせて、観衆を味方に付けるために嘘を吐いたのだ。

 他の観客は、正当性があると知ってから金髪たちを糾弾し始めた。

 でもこの人は、それが分かる前に間に割り込んでくれたのだ。

 瞬間、男性が飛んできた。

 比喩ではなく、本当に。


「えぇ!?」


 目の前に転がってきた男性を、私は急いで介護する。

 触れた時、思った。この人、そこまで筋肉質じゃない。

 元々運動をしていた名残りはあるけれど、あのガタイのいい金髪と比べれば一目瞭然だ。

 それなのに、見知らぬ私を助けようとするなんて。

 強いんだろうな、じゃない。

 この人は、本当に強いんだ。

 助けてくれた行動にどんな想いがあったとしても、実際にこうして行動に移すことがどれ程難しいことか。

 この人のことを知りたい。

 私を助けてくれた人の名前が新田勇紀だと知ったのは、それから数十分後のことだった。


 ◇◆◇◆


 CD三百枚を売り上げた次の日、私は勇紀と出逢った場所へ訪れていた。

 既に懐かしさも感じ始めている自分に驚きながらも、私は自分用に残していたCDを鞄から出す。

 姉を越えた。

 私にとっての、大きな夢だ。

 ところが私の思考は、早くも次にシフトしている。

 ──次の夢は、勇紀と一緒になること。

 またもや、他人から見たらちっぽけな夢だ。

 本当に、何だって私はこうなんだろうと不思議に思う。

 でも、私から見たら大きな夢だということも変わっていなかった。

 勇紀は昔の縁で、少なからず姉に好意を持っている。

 つまり、また違う意味で姉を越えなければいけないということだ。


「……懲りないな、私」


 でも、だからこそ面白い。

 私はきっと、ずっと勝手に姉と競っていくのだろう。

 その勝負に姉の意思は介入していないので、本当に勝手な話だ。


『最終面接、頑張れ!』


 勇紀へのメッセージが送付されたことを確認して、私はスマホの電源を落とす。

 手に持っていたお姉ちゃんのCDを鞄に戻して、私は歩き始めた。

 次の夢も、楽しそうだなと思いながら。

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